今手を動かして将来を考えることの提案

毎年年末から年度明け、そして夏ごろまでの間、次の年度の新たな新入社員の採用をするため会社の人事部があわただしくなります。今年は3月1日から企業による就職活動が解禁され、企業の人事部や、もしくは多くの人材育成企業それに付随する企業が「企業説明会」と銘打ってイベントを企画、来年度以降に卒業する学生を呼び込んでいます。そのような企業における企画が活発化してくる中で採用される学生側としては何が必要なのでしょうか。私は大事になってくるのが「自分の志望意図」だと考えております。自分の志望意図がしっかりしてくると応募する企業や職種なども決めやすくなります。ですからこの志望意図を固めることは重要になるわけですがここではそのなかでも重要になると思われる「手を動かして考えること」「プレイヤーになることとマネジャーになることとの違い」を示したいと思います。


理系は一流のプレイヤーになれえる


 私はもともと理系の出身です。理系の場合はもちろん文系の学生のように理論をこねくり回すこともありますが、それだけでなく「手を動かして実験ができる」といった大きな特徴があります。(文系の学生でもたとえば文化人類学の比較をする場合直接手を動かさなければ何もわからないわけですが)
 これはいうなれば自分の手でものを作れる。つまり一流のプレイヤーになれる可能性があるともいえます。


しかし多くの理系学生は手を動かさない部分で将来を決めている


 しかし多くの学生は中学生や高校生自分に数学や理科(もしくはそれに近しい科目、物理・化学・生物)が「他人よりも高い正答率が得られる」という理由だけで理系の道を選択した場合もあるように思われます。かつての私がそうであったように。

 またその理系の学生の中でも「仲間が多くいっているから」であるとか、あるいは先輩や両親などの周りの方々の声などにより「研究者になるには大学院まで行かなければならない」という幻想に踊らされてしまい、大学院に行く方も居ます。

 いずれにしてもこれらは自分の手を動かさず将来を自分以外のもので決めようとしている、と私は考えています。


一方仕事では手を動かさないことはない。


 これは大企業に所属するごくごく一部の管理職ならありなのかもしれません。
 案件を下請け企業に丸投げして、自分が高めの見物を決められるような、いわばマネージャーとしての役割だけで成り立つ存在です。
 そのような仕事のポジションを得られるならば、手を動かすという部分を無視してそれを生業としてもいいのかもしれません。
 しかしそのようなことは少ないのではないでしょうか。

 町工場や中小企業などならなおさらです。自分で手を動かさなければ仕事が回りません。手を動かすだけでなく、口も動かしながら作業をする必要があるように感じます。

 ですからどんな企業に行ったとしても、はじめはプレイヤーとしての力が必要となると考えます。

翻って理系学生が手を動かさないことに疑問


 翻って、手を動かすことで体験することのできるプレーヤー総祖の強い理系の学生が、手を動かすことをしない企業(多くは大企業)に就職することに私個人的には疑問を感じています。一貫性がないというか、刹那的というか、矛盾しているような感じを受けるのです。

 もちろんこれまで研究室において、後輩を指導して成果を上げる意味でマネジャーとしての役割を担ってきたので、会社に入ってもマネジャーとしての役割を持って仕事をしてゆきたい、というのであれば、それはそれでは一応理屈は通ります。

 しかし逆にこれまで専門的なプレイヤーとして仕事をしてきた人間がいきなり大企業に入って人を扱う経験がなくマネジャーをするというのも理屈が捻じ曲がっているというか理屈が破綻しているように感じはしないでしょうか。

 ですからこうした理論の捻じ曲がりを防ぐためにも、多くの理系学生は大企業ではなく中小企業やベンチャー企業に行け、といっているわけではないのですが、少なくとも就職や今後の将来を考えるにあたっては自分がプレイヤーになるのか、マネジャーになるのかそれだけは手を動かして考える必要のある気がしています。

 プレイヤーとして仕事をしたいのに、できるという理由だけでマネジャーをやらされてしまうのは自分にとっては非常に苦しいものだと思いますから。
それを受けて次回はプレイヤーとマネジャーの違いについて書きます。

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