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日本という女社会での生き方

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 日本社会は土居健郎が「甘えの構造」で記しているとおり、根底には女性的な甘えが存在する女性社会です。社会が女性的であること自体は問題ありませんが、それが多くの方に蔓延し、女性的な考え方に支配されてしまうと、自分と他人の区別がつかなかったり現実を受け入れられなかったりしてしまいます。これは一人の人が自立する意味でも、また現実を現実として正確に把握できない意味でも問題です。そこでここではこうした女性的な文化のある社会においてどのような考え方を持っていったらよいかを考え、記してみました。 嫉妬深い社会  現在は女性的な社会と思われます。男性であっても女性のように同調や同質を求める人がいたり、あるいは個人でなくともマスメディアのニュースを見ても芸能人だけでなく政治家までも足を引っ張りあったりして、女性同士のような醜い争いのようなもののなされることがあります。  一方でそうした情報の発信者だけでなく情報の受信者側も誹謗中傷を楽しみにしている方、場合も少なくありません。例えば匿名掲示板の2ちゃんねるで無責任に悪口を書き込んでいることなどはその典型ともいえるでしょう。  こうした女性的な妬み嫉み、悪口などは次第に大きくなりやがて他人と自分とを比べ、無意味な争いをしてしまいます。そうした無意味な争いはなされる一方で、実はみな、こんなんでいいのか、などといったどこか不安を抱えている部分があるのかもしれません。皆さんにはこうした不安を少なくして自分らしい生き方を持ってほしいと私は思っています。 嫉妬深い人とは  そうした女性的な社会にいる人々、女性的な考え方を有している方の一部には幼く、また自他分離ができていないことがあります。後者は「お母さん病」といわれるそうですが、相手を思いやろうとする気持ちが強すぎて、自分の考えがさも相手も同様に持っている、といった誤った認識を持ち、現実を自分の都合の良いように考えてしまうようです。  一例として一部のワンマン経営者などが挙げられます。一部のワンマン経営者さんは自分と相手との境目が不明瞭なため、相手に自分基準のジャッジを当てはめることによって相手が自分の思い通りに動いてくれないことに対して時に怒ったり、時に責め立てたりしています。  そうした状況では現実を見ずに万能感に考え方を支配され、場合によっ

流されやすい社会で生き残るコツ

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流されるのがすべてよいわけではないです  日本は戦後、高度経済成長期やバブル期を経て現在は成熟した社会となっております。その一方で遊びや余裕がなくなり、新たな問題を抱えているようです。たとえば物事を極端に考えてしまったりあるいは周りに影響され間違った選択をし、自分の心が病んでしまうことがあると思います。それらは私は問題だと思っています。ですからここではそうした社会が発展したことによって発生した流されやすい社会の問題に対して、行動と気持ちの両面でどのような対処をするべきかを考え記したいと思います。 過去と比べた現在の社会状況  現代の日本は発展し、また発展し続けています。おかげでケータイなどの電化製品の普及や単身を含んだ核家族化が多世帯家族より多くなり、たとえば都会で生活をすることを考えるのならばコンビニやネット通販などを使うことによって場合によっては一日誰と話をしなくても生活ができる状況にあります。  そうした状況に至る背景には科学技術の発達がなされていることはもちろんですがそれだけでなく、一時期、現在でも一部の会社で行われている目標管理制度やトヨタ自動車の「KAIZEN」のように、無駄を極端まで排除し続けてきたこともあると思います。  上記の徹底した無駄の排除によって企業の好業績や社会の発展を得ることができた一方で、無駄を排除することにこだわりすぎてこれまであった「遊び」や「余裕」がなくなり、どこがぎすぎすした堅苦しい社会になったのではないか、と私は思っています。 日本特有の状況  また昔から、そして現在でも日本は外国と比べ横並びの社会と言われています。出る杭は打たれるといったことわざもあることから、異端は叩かれ、場合によっては交通違反のように見せしめに攻撃を受けることがあります。  ですので出すぎてしまうと叩かれることがあることから、社会の中では多くの方がより平均がよいことのように思われています。  また最近では以前と比べ社会的に弱い方に手を差し伸べる場面や、そうした弱い人々とも共生しなくてはならないといった考え方が多く世の中に受け入れられてきています。 マスによる影響と参考にできること  こうした無駄を徹底的に排除し平均最良社会を作ってきた背景、裏方には個人の気持ちもありますが、それ