幸せになるには「受け取」り「与える」。
幸せになることを考える場合には何が必要でしょうか、一つに「受け取ること」と「与えること」とのバランスを調整することが大切であるように思います。それら二つは人への不信感が前提にあると適切にできません。そうした人への不信感は相手だけでなく自分を傷つける意味で修羅の道への生き方になると思うし不幸になっている気がします。だとしたならば問題です。そこでここでは「受け取ること」と「与えること」とはどのようなことかを示し、一つの方法として特に受け取る場合において何をどうしたらよいか書きます。 受け取ったり与えて幸せになる 物事はまわりまわっています。日本のことわざや言葉でも例えば「金は天下の回り物」であるとか、あるいは「風が吹けば桶屋が儲かる」といったものがあります。通常生きている自分という人間はできることの限界はあるのですが、それはもちろんのことそれ以上に周りへの影響によって自分が受け取るもの、及び与えるものとが存在します。 ところで「幸せになる」ことを前提とした場合には、それら「受け取ること」と「与えること」とのバランスを調整して平衡にすることで「幸せにつながる何か」の得られることがあります。それらバランス調整することを考える場合、一方だけ強くてもあるいは一方だけ弱くても流れに滞留が起きて本来得られるものでさえも得られないことがあります。ですからきれいな形で「循環」を回すことが幸せになるためには大切であると考えられるのです。 それを考えるにあたって受け取ることとはその文字の通りで 自分 の 所へ 来たものを手で 取って 持つ。 「 代金 を-・る」 とあります。 受け取るとは 多くの大人は小さいころに母親からは通常無条件の愛情を受けて育っていきますが、この「愛の受け取り」に何かしらの悪影響があると大人になって他者からの愛を受け取ることができにくくなる性格になると思われます。またそれだけでなく生育過程で他人からの裏切り行為を学習してしまうと、大人になっても人から好意で出されたモノを受け取ることができない性格になることも考えられます。すると本来純粋な気持ちで接してきている人を必要以上に疑ったり常に考えの邪推をしたりする人間になってしまうのではないでしょうか。https://www.nhscafe.net/blog/1386