わからん






















代の流れと日本

20世紀の日本は正解を目指す、といった
ゴールや目標、”わかること”がはっきりしていました。
国でしたらドイツやアメリカ、経済でしたら技術やお金です。
何かしら正解といわれる”もの”や”かたち”があり
それに突き進めばよい時代でした。
しかし

現在は分からないことが多いです。
未来がさっぱり分かりません。

現在は21世紀ですが、前述の20世紀の頃のように
分かる”こと”や”もの”、”正解”を求める方はいまだ多く居ます。
彼らにとって、わからないことは「恥」で、
これは日本の文化独特なもののようです。
自分自身のわからない「特性」を認めず、

「分からないこと」は「変」として
それを排除します。

「分からない」を「わかる」ようにするためには
非常に多くの苦労をします。
結局「分からないこと」は「分かること」の集大成
なことが多いのですが、それを理解するためには
挫折を経験し、かつ未知を取り入れる余裕を持ったり
地道でめんどくさい作業をしなければなりません。

そうした苦労をしたくない、”分かっているつもり”の大多数の方が
少数の「分からない」、という「変な」人を排除すると、
組織は「変ではない人」ばかりになります。
すると最終的には他人の目を取り入れることが出来ない
鼻の高い団体となります。
それでは困った、ということでいくつかの対処方法を考えます。

なお現在は情報過多の社会であるため、変にノイズ
取り入れてしまうと組織本来の目的が失われます。
また、組織数を多くすると供給過多になります。


決方法

恐らく心と手段のふたてで見るのがいいのかと思います。

心として
  • 自分の知りたいと思う思いを持つ。
  • 自分で解決方法を考える。
  • 自分を納得する。
  • 自分の直感を信じる。
  • いろいろする気持ちを持つ。
  • 基本をマスターする謙虚さを持つ。

手段として
  • 過去の文献や歴史からある種のパターンを見つける。
  • 分からない部分の分解、掘り起こす。
  • 騙し絵のような素人視点を持つ。
  • 抽出したデータを理解する。

です。


れらを会得することにより

以上心と手段の二つのポイントをおさえることで
分からないことへの対処が二点みえてくるのだと思います。

一点目は

ゴールを、”別地点”に変更する。

(研究開発をしていたら、
 物事を理路整然と考えられるようになったとか)

もう一つは

多くの解釈を持ち、意味を再構築する。

(論文を作成する際には
 国語算数理科社会の知識を全て用いる必要があるとか)

ことです。




結局は終わりよければ全て良しで、
行き着いたところがゴールなのだと思っています。

仕事や結婚のゴール?
残念ながら、ありません。


これらをこの本を読んで考えました。
「「わからない」という方法(橋本治 著 集英社 発行 2001.4)です。

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