何にでも応用できる「使う」こと




















目的に合った「選択肢」を「感情」と「論理」を融合させることで
「使う」ことが出来ます。


使うことは重要です。

一般的に「頭がいい!」といわれる人がいます。
学校では知識を持ち、正確にアウトプットする人がそうでした。
一方社会では、知識を持っているのは勿論ですが、加えて
その持っている知識をどう「利用するか」、どう「使えるか」を考え、
また「実行すること」が頭のいい人には求められます。

「知識」を得、「使う」ためには
自分で「何が大切か」を考えることが必要です。
「考えること」を「楽しむ」ことで、知識の深さや幅が広がります。
よく楽しむことをサボること、
考えることは努力することや苦しむことと誤解されますが
それらは無関係です。

では「使う」こと、
「何が大切かを考えること」とはどのようなことなのでしょうか。
実は確立されたものはなく、どのようなものなのかは解っていません。

しかし実際には「使う」ことは存在します。
そこでこの「使う」ことを調べることにより
なんらかの特徴が確立できるのではないかと考えました。

「使う」ことがわかると今後より複雑化するであろう

社会への問題解決をすることができる

のではないかと考えます。
また「使う」ことの応用として、

専門分野を掛け合わせることで
新たな分野のできる

可能性があります。


提として目的が必要

はじめに、「使うこと」には「目的」が必要です。
それを認識し、達成するために
「感情」と「論理」とを育てる必要があるのです。


人に認めれれて感情が育つ

人は生まれながらにして一人では生きられません、
生まれてから成人になるまで保護を受けます。

多くの方は子供の頃に親から、特に感情を理屈よりも優先し、
人としての存在を認められます。
例え子供の頃に認められ得なかったとしても
大人になってから組織においてコーチングやファシリテーターにより
認めてもらうことは可能です。

誰かしらに認められることで、自由な感覚、自発的な感覚が育ちます。
また存在を認められ、かつ自由が育つことで、
自律的に物事を考えられます。
自律の指標として何かしら定量化(数字化)することで
物事の考えを客観的に認め、モチベーションを高めることが出来ます。
ただし、数字の追うことにこだわりすぎると焦ります。
あくまで「自由」の上に「規律」があり、その上に「定量化」があるのです。




















また自分が認められることで逆に他者を認めることが出来、
自他分離できます。
存在は勿論、時間やお金、役割や常識が割り切られます。


分で論理を学ぶ

一方、自分では「情報」を得、「洗練」することで、「論理」が学べます。
情報を得、日常で試行錯誤からを取捨選択を繰り返し、
必要な情報を加工します。
加工された情報をグラフなどの「構造化」をします。
他者モデルと比較可能です。
場合によっては達人から学ぶこともあります。

構造化は微分積分を用いた推定や、図、理屈でなされます。

これら感情と論理を育てることで、
使う目的に合った情報を得られるのです。

例えば会社における行動が考えられます。
素直な経験(本やフレームワーク、経営知識)を5~7つに要約します。
さらにそれを捨てられるギリギリまで捨ててシンプル化します。
最後に何回も繰り返し加工することで経営理念や教育目標にします。

それを以下の文献を読んで考えました。
「使う力(御立 尚資 著 PHP研究所 発行 2006.5)」です。


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