立場を複数考え、選択は責任を持つ。


むやみに捨てるのはどうかと思いますが、考えて捨てる事も大事です。




















 一方的な立場でしかものの言えない、考えられない方が居ます。そのような方は「自分の選択範囲以外考えられない。」と思われていることが多いようです。
 そうした考え方も決断を俊敏にする意味で悪くはありませんが「自分の選択範囲以外考えられない」考えをおし過ぎてしまうと、自分の考えている範囲外に原因が存在し、それから問題の発生した場合問題の原因や策を見出すことはできません。これでは困ります。
 ですからそうした自分の考えている範囲外にある原因で起こった問題の解決にはどうしたらたよいのでしょうか。ここではその解決方法を記しました。


一般的イメージ


 考え方を同一にする集団として組織があります。日本にはいい組織も悪い組織もあります。その一例が極端な例ですが国と暴力団です。前者は綺麗で後者は汚いイメージがあります。

 綺麗と思われる国は組織運営のためにお金が欲しいです。よって税金を設定し、出来るだけ多く取りたいと思っています。そのため、高い税を設定しますが、多く取ることに注視しすぎると、一部に税の抜ける穴を探され、税金逃れを図られます。これは困ります。
 ですから国は国民に対し出来るだけだましだまし、そして意図を気付かれることなく、愚かに、気付いたら管理されてた、と思えるよう動きます。例えば、一応建前上は便利だ、と謳ってサラリーマンは年末調整や国民基本台帳ネットワークへの記帳という手段を使い、国が国民の所得や個人情報を管理しています。

 一方、汚いと思われる暴力団も組織運営のためにはお金が欲しいです。手っ取り早くできるだけ多くのお金が欲しいので、場合によっては名前の通り暴力を用い、覚せい剤やペットショップなど国などで禁止されているものを仕入れ、あるいは先物や商社という偽者や中身の無い形を作ったりして、だましだまし売ることでお金を得ています。


見方しだいで変わるイメージ


 これだけ見ると、国は綺麗と、暴力団は汚い、と思われます。しかし、こうしたイメージも見方次第で変わります。

 例えば所得税でも科目の分け方次第で、国からすると悪いイメージの脱税も、節税という良いイメージができます。また、暴力団のしている偽者ブランド作りも、単に真似するだけならばイメージは悪いですが、模倣から新しいものが出来れば良いイメージとなります。

 なお、かつて戦後日本の工場はアメリカ製品の模倣からものづくりを発展させました。その恩恵で現在の便利な世の中を楽しめている部分があります。ですから模倣が悪、と決め付けることはおかしい気がします。


よしあしは立ち居地によって変わる


 また、こうした綺麗なことや汚いこと、即ち良し悪しは選択肢だけでなく、立場によっても変わります。即ち「悪人からすれば悪行が正義といえますし、善人からすれば善行が正義といえます。」
 即ち世の中に直面する問題には時に良い面も悪い面もあり、表裏一体でそれが一方的に見ているだけだとも言えるのです。翻って問題の見方においては自分はどういう立ち位置にいるのか、他に考えられる立ち位置は無いのか、複数の立場と選択肢を考えることが重要です。一方向だけではそれしか考えられません。そして考えられる立ち位置は二つだけではないかもしれません。


選択し覚悟や責任を持ち成し遂げる


 そして、こうした考え出された複数の立場や選択肢から、選択をする場合にはいずれもどちらかを捨てる、覚悟や責任が必要なのだと思います。それには正解がありません。

 問題が発生した場合はどうしても100点に近い正解を探してしまいがちで、選択したことにより結果が芳しくなかった場合には「あの時ああしておけば」と思ってしまいがちです。
 しかし、そのような場合でもその時はそれがベストの状態だった、あるいは選択をすることで新たな問題を知るきっかけとなった、と思えれば、次の解決策も見出すことができるのかもしれません。



それを以下を読んで考えました。
門倉貴史 人にいえない仕事はなぜ儲かるか 株式会社角川書店 2005.11です。

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