怒りの感情を生かす。


 人間は私を含め、わがままな生き物です。自分で勝手に理想を定義し、知らず知らずのうちに怒っていることが有ります。こうした怒りは小さいものならほうっておけば良いのかもしれませんが大きくなると問題(例えば一家離散や戦争等)となります。そこで我々は問題となる前の怒りに対して、どのように生かし対処したらよいのでしょうか。ここではその方法を書きます。


人間も動物 感じることはある


 動物は本来、生きていくため不幸な出来事を覚えていて、同じ間違いを繰り返さないようにしているのだと思います。人間にとっても同じで、どうしても出来事に対して悲観的に考え、悲観的な考えから怒りの感情を持つことは有ります。
  ネガティブな感情は小さなものから拡大し、対象の決まったものから決まっていないものへ寂しさや不安はしまいには怒りやねたみになるのだと思います。
 こうした一連の怒りは、事実が自分の思い通りにならないことに憤っている意味では「わがまま」と言い換えられるのかもしれません。


感情は認識される 利点もある


 こういった怒りは怒りという言葉、概念であらわされていることから、感じたり認識することができるのだと思います。

 また、怒りを少し深く考えると、事実と感情とに分けられます。すると事実と感情とがあることがわかるだけでも物事を幅広く見ることができ、怒りの前にあった本来の目的も再認識することできるかもしれません。

 一方、概念がないものは認識することができません。例えば知らない外国語を聞いていると言葉としての認識はないため、通常は雑音として聞き流されることがあります。

 ですからこれら2つの考え方を利用することで①「怒り」を「怒り」として認識し、感情と事実とを分ける方法もひとつ②「怒り」がないと自分自身で認識する方法もひとつといった対処方法があると考えています。


怒りを整理して望まれること

 
 こうして拾うものを拾い、捨てるものを捨てる(拾わない)、と、認識したあとに最低限の事実を拾って生きるのが素晴らしいと思います。

 これは怒っている気持ちを捨て、事実を受け入れるということです。怒っていると言った「形」にこだわらず、ただただ「幸福に」生きて欲しいのです。なぜなら、「怒っ」ている「形」にこだわってしまうと「芯」がない状態となり、スカスカとなってしまうからです。


怒りを整理して得られる利点、私の立ち居地


 そうした芯のない、スカスカな状態が続いていきますと、やがて他人への愛情はおろか、自分自身も自信がない状態になってしまいます。

 「北風と太陽」でいうところの北風です。自分に自信がないため、風という力を使って相手を従わせ(衣服を剥ぎ取ろうとし)ます。ただ北風が北風になるには理由があり、北風になってしまった環境も、少なからず影響はしていると思います。

 ですから私豊島は環境を調整して、北風と太陽でしたら北風に、自信のつけられる環境を一緒に作れれば、と思います。


それを以下を読んで考えました。
アルボムッレ・スマナサーラ 怒らないこと サンガ 2006.8です。

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