見えないものを見て役割で見る

公開日: 11/05/2014 感想 仕事 働く。なぜ? 読書


 最近私は仕事の指導者的な立場に立たされることがあります。その際指導する相手にお話をお聴きすると、目的無く仕事をしている場合があります。そのような無目的で仕事をしたり、もしくはむやみに命令に従っていたりすると短絡的なものの考え方になりがちで、長い目で見た場合に良くならないことがあります。これが続いてしまうと問題です。そこで問題とならないようにするにはどうしたらよいのでしょうか。ここでは見えないものから見えるものへの変換の仕方、及びそれにかかる道作りの方法の一つを示したいと思います。


得が薄れてきている


 最近、皆「徳」の意識が薄れているような気がします。以前は古きものが新しいものへ自らの道を譲ったものですが、今は、そのようなことはあまりありません。

 例えば定年による仕事の引継ぎも、国から指定されない限り他の人に譲る意識が少ないです。勿論計画を立て実行することは素晴らしいと思います。ですが必ずしもそうなるとは限りません。
 こうした外的力によってしなければならないといった考えはどこか短絡的なものの考えな気がしていて、最近時間が経過するごとにより短絡的になりつつある気がします。

 それに対し、かつての日本では「許す文化」がすすんで採用されていました。長期的にものを見ていて「徳」もあったように思います。失敗をしてもあくまで自らそこから学べばよいといった考えがあり、不便ならば工夫し、目的を見据えることで、人間が人間らしく生きてきたように思います。そこでこれを今一度取り入れてみてはどうか、というのが私の希望です。


過去の日本、日本のあり方


 こうした許される日本で生きる場合、我々日本人は仕事上で「楽しさ」を基調に、「苦役でも耐えられる力」を持つことが非常に大事なのではないかと考えています。

 また、役割を演じ、感情を捨てることも大事で、たとえ単調な仕事だとしても「仕事人として」見方を持つことで仕事は何倍にも深みを増すことが可能です。

 一例としてメーカーで働くとしたならば、メーカーというものづくりをする仕事人としてお客様を意識することで、どんな便利な製品が喜ばれるかと言った観点から、良い製品を作ることのできる可能性が有ります。


これから求められる考え方


 そうしたことを踏まえ、現在どのような考えを持ってゆくと、許される日本で仕事人として生き抜くことができるか、と考えますと 主に二点あります。

 一点目は見えない未来を細分化し、見えるようにします。すると仕事の目的を見据えることで実現する夢を持つことは勿論、自らを見据える意味で、自らの棚卸しをすること(俗に言う自己分析、何ができて何ができない、もしくは何が好きかを考える)もこれに含まれると考えられます。
 また二点目は技術や徳を得るための泥臭い仕事をします。すると仕事そのものに慣れ、また余裕ができることで、作業から社会貢献への意識を高めることを善とします。

 こうした考えを大事にし、みなが実践できたとするならば、行き着く先は、個々人が協力して社会を構成するといった「協力社会」という形なのかもしれない、と考えています。


会社も人も同じ考え方で対処することができる


 これは会社として、部署として、そして自分として、それぞれの役割において、全て同じようなことがいえます。

 普段はどうしてもしなければならない仕事に目が行きがちですが、自分がしなければならないこと、すなわち仕事人としての役割を通して広い社会を見据える可能性やチャンスを潰さないで欲しいです。

 仕事は当然仕事ですから嫌なことやりたくないことは探せば無数にあります。その嫌なことを逃げていてはいつまでたっても成長しませんし、先を見る実感をもって仕事をすることで仕事がこなすことが可能です。いうなれば仕事と成長とが循環してよくなることが出来ると思います。決して組織維持の目的ではなく。

 「医龍」という漫画にも、維持することを目的としていたらそれは既に衰退しているということが書かれていて、衰退しているということは動物として退化している部分があるのだろうな、と思いました。勿論退化を望んでいるのならばそれでもよいと思いますが。。。



それを以下を読んで考えました。
中沢二朗 働く。なぜ 講談社発行 2013.10発行です。
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