仕事をするには役割を演ずる


 仕事上で相手との関係をうまく築けない、自分の心を実際に気づけない、相手への達成感を期待できず燃え尽きそうだ、、、、、そのような場合があります。こうした場合には気持ちを自分で決着することが一番大切ですがそれを実行するにはいったいどうしたらよいのでしょうか。一つに演技をすることで気持ちを落ち着ける部分があるかもしれません。ここではそうした業務において「演技をする大切さ」について書きました。


役割を演ずることで見えてくるもの


 仕事人は時に役割を演ずることで第三者的な見方を獲得し、自分の気持と相手の気持ちとの間を離すことができます。

 もちろん仕事上で接するお客さんや上司、あるいは部下の方など相手の気持ちが共感できたことに越したことはありません。

 しかし相手の気持ちが自分の気持となってはならないそれでは仕事をする人として失格な気がするのです。


そもそも仕事の目的は何か


 そもそも仕事は、こなすことが目的です。ですからその目的達成のためには手段として演技をし、相手の気持ちを処理し、自分のするべき行動を考えることではじめて今後何をするべきか見えてくる、目指すべき答えがでてくるのかもしれません。

 

プロは気持ちと違うことがある


 特に我々福祉、あるいは医療の方もそうなのでしょうが仕事上の役割としての気持ちと、自分個人としての気持ちとが違うことがあるような気がします。少なくとも私はそうです。仕方なく、というわけではありませんが仕事上で思っている気持ちが自分の気持ちとは異なることがあります。他人と自分との気持ちの間がうす皮1枚で隔たれているそういった感覚を持つこともあります。

 もちろん自分の気持ちと職業人としての気持ちが合致していることは非常に素晴らしく、好ましいことだと思うのですが、人間一人ひとりひとり完璧な人間がいないようにいつでも、そして必ず理想の仕事人としての気持ちが自分の気持ちと一致しているとは限りません。ですからそうした自分と職業人としての気持ちが異なる場合には「職業人としての役割」を演ずることで、職業上の気持ちを他人と合わせることができると思うのです。


自分の心は完璧ではないから


 演技をするのは自分の気持ちを落ち着ける意味で重要です。仮に演技をするのを忘れ、相手の心が自分の心と一緒であるそのような勘違いをしてしまうとどうなってしまうのでしょうか。

 例えば仕事上の話でお客さんから怒られた場合、相手が怒っていることは怒っていることとして、次回同じような間違いが起きないようにどういう行動を取るかこれはそれぞれ相手の気持ちと自分の気持ちそして自分の気持ちと自分の行動とを分けて考えることで解決できます。
 一方相手の気持ちを受け入れすぎ、それを一致させてしまうと怒られたこと、怒られた気持ちに着目しすぎてしまうことでその後にどう行動すれば良いか考えられなくなってしまいます。

 本来相手の気持ちの上で相手が解決するべきの問題のはずなのに相手の気持ちだけが自分の気持ちにコピーされ、その気持ちを解決するため自分が行動する。しかし自分発の気持ちではないことから行動しても満足しない、すると行動し続けてしまう「燃え尽きて」しまうことがあります。

 他人発な気持ちを自分の行動でなんとかしようとしている。何かねじれ曲がってしまっているとは思えないでしょうか。ですから根本的に自分と他人とは違うもの、それを知ることが重要と考えられます。


まずは軽い訓練から


 実際思わなくても、まずは役割として自分と仕事人としての気持ちは違うかな。職人としてならどのような行動を取るかな。と考えるだけでも大きな進歩につながると思います。

 自分としての自分と、職人としての自分、自分と相手との気持ちの違いを気づく、その手段として役割を演ずることは有用な気がします。

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