仕事ではコミュニケーションが大切

 よく仕事場に居て「これはどうなのかな」などと思うことがあります。それは「作業自体としては問題ない」ものの、そこで「働く周囲の人々との気持ちの関係うまく取れていない」ことのあることです。確かにそれでも「ある程度の業績」は確保することは出来るかもしれません。しかしそれだけでは「長期的な仕事場の効率向上」を考えることは出来ないと思います。そこでここでは仕事を行う場合における関係性や気持ちの大切さ、とりわけコミュニケーションの大切さを書きたいと思います。


多くの組織構造は官僚型


 多くのグループは「トップが少数で手足を動かす実働部隊に近づくほど多い」といった「官僚型の組織構造」をとっています。グループの長がそのグループを統括し命令していくスタイルです。

 長はグループを束ねて売り上げの上げることが望まれます。そのためにグループメンバーに命令することはありますが、得てしてそうした場合において重要なのが「グループメンバーの気持ち」です。これを考えてまで行動している方がいったいどれだけ居るでしょうか、実はあまり考えている人は多く無いのではないかと私は考えています。


長の命令なら聞くには聞くが


 自分がそのグループに所属していて、人間関係のあまり無いグループの長から突然何か命令された場合には「そりゃあなたがグループの長やから「やれ」と言われればやるにはやるけれど」と言ったり思ったりすることがあるかもしれません。 少なくとも私はそう思います。

 そうした場合にグループメンバーとの関係性があまり出来ていずに、あるいは納得するのを待たずにグループの長が「あれしろこれしろ」などと言ってグループメンバーに行動を移させることは「物理的には」可能だと思います。しかし言うだけ言って以後関係性の構築に対するフォローが無かったり、あるいは放って置かれたりするならばグループのメンバーの士気が落ちることもあるでしょうし、一時的には業績を維持することは出来ても、長期的な視点で見た場合には売り上げアップさせることも仕事場としての雰囲気も実りあるものにすることはできえないと私個人的には思います。

 これは多くの組織構造を持つものの欠陥として、グループの長が「組織の形」を認めるも、 その組織にいる人の「一人一人の固有さや気持ちあるいは考え方などといったものを認めていない」ことが原因としてあるのではないかと考えています。あるいはグループの長がそうしたグループメンバーのことを重要だと思っていること自体が少ないことも問題点として考えられます。要はグループの長が「末端を見ずに形を維持することに躍起になっている」ということです。これでは本当にグループの長に心からついてくるグループメンバーはいません。


なぜ組織内の人を考えないのだろう


 公務員であったり本当に超巨大企業などに働いているのならば、そうした長期的な視野を考え無くても数年で入れ替わることもあるでしょうし、「自分ひとりが責任を負わなくても後任の人が責任は取ってくれる」などと思っているであろうことから「グループメンバーの気持ちなどを考える必要が無い」と思われる場面もあるのかもしれません。
 そもそも「グループメンバーなんていわばコマなのだから彼らの気持ちなどを考える必要が無い」と思われている部分もひょっとすると心の中にはあるのかもしれないです。

 しかしそうした考え方を有していますと長に立つ人にとって人望はもちろん、その他仕事を通じて関わる人とも良好な人間関係を作ることは難しいと考えます。
 特に昨今は業績評価で容易に他人と上下関係がひっくり返ることがあります。入社当時は一番下っ端の後輩の方でも、時間をかけ業績をあげるに連れて、その後輩が上司になる可能性だってあります。そうなったならばかつて気持ちを考えない行動をとった後輩から自分が気持ちを考えてもらえない行動を取られても致し方ないと思われます。

 こうしたことの起こる結局の問題の元としては「自分が相手の立場にたって物事を考えることが出来ない」といったことが心の奥底に横たわっているかもしれません。そうしたことに対しての対策は「自分の心の素直なところを丁寧に観察」したり、「他人との会話や本などを通して他の人との考え方のズレを修正していく」ことで対処は可能です。


ホーソン実験から学ぶグループ内に大切なもの


 では何が重要かと考えますと、「グループの人たちとのコミュニケーション」が大切だと考えます。かつて作業効率改善を目的としたホーソン実験がありましたが、これは「グループ内のコミュニケーションが円滑に図ることが出来れば、光量を増すことが無くてもより高効率で仕事を進めることも出来る」といったもので、これは大事なことであると私も思います。

 そもそもどんな仕事であってもある程度の熟練者が居れば作業自体はこなすことは可能だと思います。慎重に進めるべき作業であってもマニュアルを作ってそれを忠実に実行していけば仕事をすること自体はぜんぜん問題なく、極端なことを言えば「誰であっても良い」ものです。
 一方そのグループ内で働いている人の個人的な生き方であったり考え方であったりするものはまさにそのグループに居るからしか得られないものではないかと思います。これは即ち「その仕事場における固有なもの」であると考えられます。
 前者は普遍的なものであり後者は固有のものです。どちらを大切にしたら良いかというと後者であることは明らかです(何故なら取替えが効かないから)。


コミュニケーションがいまいちだと


 また、先に私の場合でしたら関係性の無いグループの長から命令された場合でも一応は「上司なので言われたらそりゃしますけど」と思いながら作業をすると書かせていただきましたが、一般的にはそうしたコミュニケーションが健全になされないと、部下と上司の場合で上司発信の言葉は部下に「言葉の内容」が入っていかなくなります。

 なぜなら意外と人間は人との言葉のやり取りを感情で左右させているところがあり、例えばどんなに正しい言葉の内容であっても相手との関係性がないと、あるいは良い関係性でないと相手や自分の心に言葉の内容が入っていかないことがあるためです。
 するとグループの長がどんなに売り上げアップに繋がる方法を提案したとしても、あるいはどんなにグループの維持発展を期待できる方法を言ったとしても、そのとおりにメンバーが行動を起こしてくれなくなります。最終的にはグループメンバー間でも疑心暗鬼な状態となり、コミュニケーションが無くなり、一歩ずつ組織崩壊のすることが考えられます。

 例えば現在でもよく言われる「学級崩壊」などというのはこれが原因だと考えられます。学級崩壊ときくと生徒が暴走して生徒が先生の言うことを聞かなくなってしまう現象だといわれていますが、その背景には先生と生徒との人間関係の関係性不足のような部分が原因としてある気がしています。うまいこと関係性が構築されていたら先生としては生徒がある程度暴走していたとしても許せるでしょうし、生徒としても「畜生でなければ」先生という人が管理する立場にある以上、必要以上に暴走したりはしなくなるような気がするからです。


コミュニケートする上でのポイント


 ではどんなことをコミュニケートしていけばよいかというと「相手の特異」な部分であったり「その人らしさを見出せる」ような会話を進めることが大事だと思っています。
 この世には一人として同じ人は居ません。そして「同じ人が居ないということはそれぞれの人によってそれぞれ異なるいいところがある」と考えることも出来ます。こうした部分を見出せるような支援をすることが上司として望ましいと思います。
 そしてその「良さ」を見出せるようならばその「良さ」にあわせて仕事を与えていけばよいのではないかと思います。それぞれの人にとって良い仕事を割り振ることが出来ればグループメンバーはますます仕事に対して意欲的になると思います。今までの形でそれぞれのグループメンバーの人にやるべきことが決まっていて「嫌でも仕事をしなければならない」などといったことは会社員になると良く聴きますが、私はここではそうした仕事の形にこだわる必要は無いのではないかと考えます。

 自分の得意なところを伸ばしていけばあるいはそうした仕事を割り振っていけばその分野に対してどんどん専門的になってゆきますし、場合によってはその専門的なところから派生してもっと広い目線で物事を考えることが出来る可能性もあると考えるからです。
 例えば3人で同じ3する仕事がある場合において、それぞれ1の仕事であっても、仕事の内容で0.333ずつに分け一人一人の得意な場面に合わせてしていけば3人で3する仕事が3人で4にも5にもなる可能性があります。こうした仕事の形を柔軟に変えていくことも仕事を効率よくもっと楽しく生きていくようにする上では重要になってゆく気がします。

コメント

このブログの人気の投稿

精神保健福祉士の実習 指導者が必要なもの5 細かい考え、コメント

理系と文系とにおける論文作成方法の違い

恋と愛との違い、愛への昇華方法