怒りの感情には距離を置くのとトンボの目と
怒りの感情には離れることも必要かもしれません。 悪いと言われる怒りの感情から距離を置くにはどうしたらよいのでしょうか、ここでは距離を置くことと、複眼的視点で見る方法について考え書きました。 不幸な社会とこれからの社会 本音とタテマエ は生きる上でもちろん必要な物なものです。現在の日本社会ではそれがなくなりつつあり、悪い方向に向かっている気がします。以前はこんなことで大事になったか?というようなことでも問題になったり許されていたミスでも許されない社会になってきています。それでいて楽しくない社会であったり、各人は考えることを放棄する脳になりつつあり、理性的というより感情的な行動をとっているケースも少なく無いと思います。 一例として学校や一部の組織では「結果平等を善」とする考え方があります。私はそれがい良いのかが疑問です。 結果平等で物事を考えるように育ってしまうと人間が良くなろう・良くしようと思わず、ロボットのような作業をするだけの存在となります。すると起こった問題に対して「馬鹿よけの馬鹿よけ」のような目先のことだけ考えた策を作り、結果として頭の悪い行動ばかりする社会になる心配をしています。 もしくは仕事をするために問題を起こす(=マッチポンプ)、と言った人も出てくるかもしれません。それらは問題です。 ですから、対策を考えるわけですが、社会全体の策を考えるのは時間と労力がかかりますので、取り急ぎ自分だけでも行動についてどう考えたらよいかを書きたいと思います。 不幸になる怒りの感情 大抵の行動は感情が絡んでいます。そして悪い事や事件が起こる場合には怒りの感情が先走っていることが多いです。怒りの感情が先走ると怒りの循環によって不幸が不幸を呼び、残念な状況になってしまうこともあります。その原因は他人への怒りだけでなく、自分自身への怒りの場合もあるでしょう。生物学的な要因や環境的な要因が絡んでくる場合もあります。 そこで悪い行動を起こさないために怒りの感情を操作する必要があるわけですが、いずれもこうした怒りは同じ程度のレベルでしか起きません。自分のレベルが上がったり、相手のレベルが下がったりすることで怒りは収まることがあります。そのなかで相手のレベルを下げるのは難しいと