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規則・法律・教義は使ってなんぼ

 マルチ商法や新興宗教など何かしらの「信仰」を元に、信者の資産を吐き出させ組織存続に当てたり、経営者や上位階級の人が有利になるよう働きかけることはあります。  それ自体は悪いことではありませんし、信者の方もそうした行為をすることで満足するなら、それはそれでまったく問題のないことだと言えるでしょう。クローズドな世界でわいわいすることは会社の中や学校サークルの中でも結構ありますし、そうしたことのあること自体はまったく問題ないと思われます。  しかしそれが教祖と信者との関係から広がって、「何の信仰も持たない人」や「別の信仰を持っている人」に対して「強制的に押し付けてしまうこと」は私は問題だと思っています。相手の生き方を自分の生き方として歪めてしまう権利は何人たりともないと考えるからです。  そこでそうした強制的な考えに引きずられることなく、自分の考えを持つにはどうしたらよいのでしょうか、私は「信仰や決まり法律を上手に使う」考えが大切なのかもしれないと考えています。  こうした「信仰や教えを使う」といった考え方を持つことで、実生活にいくらでも応用することが可能ですし、場合によっては「自分にとっての満足した生き方」のようなものを考えるきっかけになる意味で大切なのかもしれないと思います。  そこでここではそうしたことの重要性とそれを考える方法とを書きます。 世の中には多くの決まりや信仰がある  伝統的なキリスト教や佛教、新興宗教やマルチ、国家統一の憲法などもそうですが、人を束ねるために「信仰」や「憲法や法律」、「きまり」が作られています。  例えばキリスト教ならローマ帝国統一のため、憲法なども国の統治のために使われます。複数の人をまとめて動かすためには信仰を持ちながら決まりを作って、決まりを守らないと与えられる罰則によって組織にいる人間を縛りつけます。その結果、宗教や憲法なら恐怖の感情をもとに国家の参加と統一がなされたり、新興宗教やマルチ商法なら信者の資産の吐き出しや教祖や上位階級への崇拝などがなされたりするでしょう。  佛教の考え方やキリスト教でもグノーシス的な考えは比較的個人が良くなるためにあるものでそれらのものとは少し異なります。ですがそれを「使う」ではなく「信仰する」となると内容は先に紹介した国家統一のための道具などと同じになります。

飲み会食事会で「奢る」と言って奢ると得

 サービスを無料で提供して情報を得るグーグルという企業があります。グーグルのサイトだけでなくユーチューブのサイトも同じように、無料で動画を視聴できたりアップロードできます。無料でそうした高性能のサービスを利用できる分にはラッキーと思えます。しかし「ただほど高いものはない」ということわざのあるように、無料でサービスを得ることで個人情報といった大事なものを失ってしまう可能性のあることは認識しておいたほうが良いような気がします。またこうした方法を逆に「使う」ことで、ここでは特に飲み会や食事会においてあえて「奢る」と言って奢ることで「得」する、という話を書きます。  奢り奢られる場面と方法  新入社員が入った会社や夏休み前の学校のサークル活動などで先輩が後輩に奢る場面があります。営業が接待としてお客さんにご飯を奢ることもあります。そうした行為をすることの背景には先輩が後輩に先輩風を吹かせたいこともあるでしょうし、奢ることから 返報性の原理 によって相手の見返り効果を期待することもあると思います。「恩を売れる」ことや「相手に貸しを与えられる」意味でも作戦として行うことがあります。そうした「お金」という信用や労働力を提供すると、主導権を握れ、またそれに平伏す人が多いです。  お金を出すだけでなく言葉を言うことも重要です。自ら「奢る」と言うことで自分の覚悟を決めることも出来ますし、食事などで相手にものを食べさせながら自分の主張も一緒に食べさせることで自分の主張を相手に納得させることが出来ます。食べ物は食べるけれど主張は受け入れない、などという頓珍漢な人は居るには居るのかもしれませんが、今まで私は見たことがありません。  以上から出来れば「お金」と「言葉」とを同時に上手に使うことで奢りの効果を発揮できると思います。お金だけ奢られるだけだと自分の意図が相手に伝わることは少ないでしょうし、言葉だけでは「口先だけでいいこと言いやがって」といわれることがあるからです。  なおChina、特に華僑の人たちはそれぞれ 奢りあうことが当然 のこととしているようです。これは儒教の考え方にのっとって、偉い人が立場が下のものに「徳」を与える考えが浸透していることがあるのかもしれません。また、どこか奢ることで交渉ごとをうまく進めるための意図が含まれている部分もあるのかもしれま