規則・法律・教義は使ってなんぼ
マルチ商法や新興宗教など何かしらの「信仰」を元に、信者の資産を吐き出させ組織存続に当てたり、経営者や上位階級の人が有利になるよう働きかけることはあります。 それ自体は悪いことではありませんし、信者の方もそうした行為をすることで満足するなら、それはそれでまったく問題のないことだと言えるでしょう。クローズドな世界でわいわいすることは会社の中や学校サークルの中でも結構ありますし、そうしたことのあること自体はまったく問題ないと思われます。 しかしそれが教祖と信者との関係から広がって、「何の信仰も持たない人」や「別の信仰を持っている人」に対して「強制的に押し付けてしまうこと」は私は問題だと思っています。相手の生き方を自分の生き方として歪めてしまう権利は何人たりともないと考えるからです。 そこでそうした強制的な考えに引きずられることなく、自分の考えを持つにはどうしたらよいのでしょうか、私は「信仰や決まり法律を上手に使う」考えが大切なのかもしれないと考えています。 こうした「信仰や教えを使う」といった考え方を持つことで、実生活にいくらでも応用することが可能ですし、場合によっては「自分にとっての満足した生き方」のようなものを考えるきっかけになる意味で大切なのかもしれないと思います。 そこでここではそうしたことの重要性とそれを考える方法とを書きます。 世の中には多くの決まりや信仰がある 伝統的なキリスト教や佛教、新興宗教やマルチ、国家統一の憲法などもそうですが、人を束ねるために「信仰」や「憲法や法律」、「きまり」が作られています。 例えばキリスト教ならローマ帝国統一のため、憲法なども国の統治のために使われます。複数の人をまとめて動かすためには信仰を持ちながら決まりを作って、決まりを守らないと与えられる罰則によって組織にいる人間を縛りつけます。その結果、宗教や憲法なら恐怖の感情をもとに国家の参加と統一がなされたり、新興宗教やマルチ商法なら信者の資産の吐き出しや教祖や上位階級への崇拝などがなされたりするでしょう。 佛教の考え方やキリスト教でもグノーシス的な考えは比較的個人が良くなるためにあるものでそれらのものとは少し異なります。ですがそれを「使う」ではなく「信仰する」となると内容は先に紹介した国家統一のための道具などと同じになります。