飲み会食事会で「奢る」と言って奢ると得


 サービスを無料で提供して情報を得るグーグルという企業があります。グーグルのサイトだけでなくユーチューブのサイトも同じように、無料で動画を視聴できたりアップロードできます。無料でそうした高性能のサービスを利用できる分にはラッキーと思えます。しかし「ただほど高いものはない」ということわざのあるように、無料でサービスを得ることで個人情報といった大事なものを失ってしまう可能性のあることは認識しておいたほうが良いような気がします。またこうした方法を逆に「使う」ことで、ここでは特に飲み会や食事会においてあえて「奢る」と言って奢ることで「得」する、という話を書きます。



 奢り奢られる場面と方法


 新入社員が入った会社や夏休み前の学校のサークル活動などで先輩が後輩に奢る場面があります。営業が接待としてお客さんにご飯を奢ることもあります。そうした行為をすることの背景には先輩が後輩に先輩風を吹かせたいこともあるでしょうし、奢ることから返報性の原理によって相手の見返り効果を期待することもあると思います。「恩を売れる」ことや「相手に貸しを与えられる」意味でも作戦として行うことがあります。そうした「お金」という信用や労働力を提供すると、主導権を握れ、またそれに平伏す人が多いです。

 お金を出すだけでなく言葉を言うことも重要です。自ら「奢る」と言うことで自分の覚悟を決めることも出来ますし、食事などで相手にものを食べさせながら自分の主張も一緒に食べさせることで自分の主張を相手に納得させることが出来ます。食べ物は食べるけれど主張は受け入れない、などという頓珍漢な人は居るには居るのかもしれませんが、今まで私は見たことがありません。

 以上から出来れば「お金」と「言葉」とを同時に上手に使うことで奢りの効果を発揮できると思います。お金だけ奢られるだけだと自分の意図が相手に伝わることは少ないでしょうし、言葉だけでは「口先だけでいいこと言いやがって」といわれることがあるからです。

 なおChina、特に華僑の人たちはそれぞれ奢りあうことが当然のこととしているようです。これは儒教の考え方にのっとって、偉い人が立場が下のものに「徳」を与える考えが浸透していることがあるのかもしれません。また、どこか奢ることで交渉ごとをうまく進めるための意図が含まれている部分もあるのかもしれません。
 

奢ることによる効果



奢られた人の情報収集


 奢られるとどうしても奢られたことに対する反応が態度として現れます。すると言葉でいくらなんやかんや言っていたとしてもそれ以上の情報、すなわち態度で相手に観察する機会を与えます。言葉ではいくらでも嘘をつくことは可能ですが、一般的に態度では嘘をつくのは難しい、というか出来ないと思います。
 奢ったほうは、そうした奢った状態における奢られた相手の態度を観察し、好感触を得られたと推察されるようなら奢り続ければよいし、言葉でいくら好感触であるようなことを言っていたとしても態度として拒否的な反応だったのなら以後は接するのを控える、などといった選択権を持ち判断することが可能です。
 これはアカギという漫画において主人公の赤木しげるが「ケチな点棒拾う気なし」と相手に対して言っていること同様です。あえて奢ることで相手の素性を見出せられる部分があります。


奢られた人との立ち位置の変化


  相手より先に「奢るよ」と言って実際に奢ることで、相手(後輩や同僚、先輩に対しても)に対して自分の立ち位置を上にすることが出来ます。「奢るよ」と言われた相手にとっては何もしなければ立ち位置が下にあるか、あるいは張り合ったとしても最大で同等までしか立ち位置を回復させることは出来ません。


その他の波及効果


 奢られた人はもちろん直接的に影響を及ぼせることはあるのですが、実は特に複数人居るときには一人で奢ったとき以上の効果が期待できます。そうした例を以下に書きます。なお、心理学の実験では他の人の印象は良くも悪くも直接的に言うより間接的に言う方が効果が高いといわれています。

 目上の人に対してプレッシャーをかけられる


 あえて立場が上の人に奢ることでそうした人に「心理的なプレッシャー」を与えることが可能です。何も感じない人にとってはもちろん効果はないのですが、目上の人間に奢ることで相手に自分の主張を言うときに文句を言わせないようにさせることが出来ます。
 また主張を受け入れられなくても精神的に優位に立つことが可能です。なぜなら目上の人間が自分の主張を受け入れてもらえないときにも「目下の人間に奢らせる割には文句を言う小さい人間」と認識することができるからです。
 さらにそうした人間性の小ささを他人に見せたり伝えたりすることで「目下の人間に奢らせてる目上の人間」という「最低な人間具合」が宣伝されます。そうした鬼のような行為を積極的にする人は最終的に自分が鬼のような行為をさせられることになり(これを因果応報という)ます。例えばパワハラで訴えられて退社を余儀なくされるなど社会的な立場を抹殺されることにもなりえます。

 何にも感じていない人に自分のよさを宣伝してもらえる


 何とも思っていない人を奢ってそれを伝えてもらうことで自分ひとりが及ぼす影響以上に自分の人間のよさを宣伝できます。奢った額自体はたいしたことがなくても、奢った「行為」に対して「あいつがおごった」などと良い人具合を奢っていない第三者にも宣伝してもらえます。


そもそもおごりの金額はたかが知れている


 どの程度の人と普段お付き合いをしているのかにも寄りますが、基本的に多くの食事会や飲み会は多くても一人10000円もかからないくらい、通常の居酒屋チェーンだとしたら一人3~4000円程度の値段しかかかりません。チェーンの居酒屋で10人いても3~4万で人を動かすことが可能です。だとすると、その程度の金額で相手を動かせられる可能性があると思えば安いものではないでしょうか。
 カウンセラーでしたら1人1時間拘束するのに10000円かかることなんてざらですし、上司などは何万支払っても動いてくれることはないでしょうから。


逆に奢らされそうになったら


 相手に何の意図もないことが明らかにわかる好意的な状況ならば、奢られるのもひとつなのかもしれません。しかしほぼ初対面で親密ではなかったり、通常時特に立場が下の相手に対しては、相手に主導権を握らせない握られない意味で奢らせないほうが良いのではないかと思います。
 何も考えずに相手の言われるがままに行動させ続けていると、気がついたときには自分の行動主導権を相手に握られ、自分の行動が八方塞になってしまう、などといった危険性もでてくると思います。
 そうした八方塞になることもそれはそれで悪いことではないと私は思います、ですが一般的に言うとそうした八方塞な状況になることは上司や対等な相手など、強い自分としての立場や威厳は示そうとする場合に対して以後全く効果がなくなる可能性があります。

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