相手との良い関係性維持のために奢る

 皆さんはどれだけ多くの方と本気の付き合いをしているでしょうか。一般的に本気の付き合いをしていくには、長く時間をかけて相手の性質を見出すことが重要と思われます。しかし、そうした相手の性質を見出すには時間をかけずともリスクを負うことで判別可能と思います。その負うリスクとは例えば金銭です。そこでここでは特に金銭的リスクを負うことによって相手と関係を良く出来る可能性のあることを書きます。



おごり


 私は相手に興味がある場合、基本的にお金を払って相手に「奢っ」て話を聴きます。 ここでの「奢る」こととはすなわち「お金」を使って「相手の情報」を「貰うこと」で、言い換えると「投資」や「応援」と同じものです。
 仕事はもちろん恋愛についてもそれが言えて、自分が積極的に「奢ることを言うこと」および実際に「奢る」ことで、相手と自分とが「合う」「合わない」といった判断を「自分が」出来ます。
 もちろん「奢る」といったことをしなくても時間をかけてじっくりと相手と合う合わない判断がつけばいいのでしょうが、私の生きている時間は限られています。また判別したほうが良いだろうと思われた特定の出来事について、一度起こったことが再度同じような状況で再現されるとは限りません。ですから一回きりの状況で適切な判断をするため、損をしても良いほどの担保をかけます。私の場合その「担保」は「奢るお金」です。
 そうした担保をかけるお金は小額で最大限の効果を得られることが望ましいです。ですので特に私の場合には最初に多くの方に奢ってからその中で今後奢り続けたい人を判断します。あまり付き合いたくないと思う方には一回きりの奢りで、今後ともずっと付き合っていきたいと思う方の場合には担保額をどんどんあげます。


奢ることを言うタイミング


 そうした前提の上で私は「奢ること」を言うほうが良いと思っています。そしてそれは食事や会合などを誘った段階で言うのがスマートと判断します。
 なぜなら私自身が奢られるのか奢られないのかわからない場合、食事をしながらでもその場の会計をどちらが出すかは不安になることがあるからです。どっちが持つかはっきりしないとご飯ものどを通りませんし緊張して楽しい話も出来ません。
 また僕自身がそうですが「奢ってもらえる」といわれると嬉しくなります。私自身がそうした「奢ってもらえると嬉しくなること」を感じるため、同じようなことをすると相手も喜ぶのではないかと考えて実行しています。

 ですが一般的には「奢ること言わず」に勝手に支払いをしたり、「払っておいたよ」と食事後に言いますし、それを多くの方が望んでいます。しかしそれだとせっかくの「食事会」や「会合」が「価値あるもの」 として認識されなくなってくると思うのです。
 即ちその「会合が」「価値あるものとして機能したor機能するか」を考える場合、敢えて会が開催される前に「奢る」といったことを言うことで、楽しい雰囲気になることを期待できますし、相手から有益な情報をくれることもあると思います。
 恋愛において特に自分のほうが一方的に好きなら尚更、相手に言って奢ってあげたら良いのではないかと思います。

 また「奢ると言う」だけでなく実際に「奢る」ことで相手の「楽しそうな顔」はもちろん、「楽しい話」や「その人にとっての興味深い話」も貰えます。
 「楽しそうな顔」、「楽しい話」や「相手にとっての興味深い話」は「奢る」ことの有言実行したからこそ得られるものだと思います。そして私はそうした「楽しそうな顔」や「興味深い話」がお金を使って得られる「大きな財産」だと思っています。


多くの方が感じている懸念


  とはいえ、これまで奢り奢られといったような関わりが一切なかった人にいきなり奢られると「何か下心があるんじゃないか」であるとか、「マウントを取ろうとしているのではないか」などと思ってしまうことはままあると思います。そしてそうした「奢ったこと」を利用して相手の弱みに付け込む「卑怯な人」もいることも事実です。ですので私の場合にはそうした「やましいことはない」ことを言った上で、「純粋な好意」として奢ります。
 「純粋な好意」、即ち自分が「楽しいこと」にお金を使っていると思うことで、周りの人も「楽しいこと」が舞い込んできます。例え相手から有益な情報を聞き入れなかったとしても、気に入った相手が「奢られたことで満足した姿」を見ることで自分自身が嬉しくなることはありませんか?あるのだとしたなら「奢ること」で「嬉しい顔をみられるだけ」でも十分お金を出した価値はあるのではないかと私は思います。


対価要求やマウント取りはNG


 ただ私はやましいことはないと思って奢っていますが、他人に奢ったほうが良いかもよとお勧めする場合、奢ったからと言って「金銭的な何かや肉体的な何かなどの『対価』を要求」したり「自分が相手よりもえらい立ち居地にあるべきだ」などと勘違いしてしまっては相手に怖さや恐れを抱かせる結果になるため、良い関係を作ることは出来ないことは認識しておいていただきたいです。なぜなら相手は対価をあげるためやマウントを取らせるために奢ってもらってきているわけではありませんからね。

 つまり皆何かしら「楽しくなること」を想像した上で、あくまで「相手のために自分がしてあげたい」ことを「言って」「する」ことが大切なのだと思います。

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