千三つの割合から考える挑戦の大切さ

 「千三つ」ということばが日本にはありよく使われます。1000の言葉の中に存在する真は3つしかない(裏を返せば997の殆どは嘘)ことのたとえで、建築業界はもちろん、それだけでなく製品開発や新規事業の立ち上げでも使われます。建築業界以外の場面では成功する確率はそれくらいの割合(0.3%)だといわれています。 今回はこの千三つという言葉を通じて、行動を起こすときにそれくらいの成功確立だと思えば失敗することも別に普通のことだよ恐れることは無いよということを書きたいと思います。


なぜその割合が重要と思ったか


 千三つとはGoo国語辞典によると
《千のうち本当のことは三つしか言わない意》うそつき。
《千に三つくらいしか話がまとまらない意》土地・家屋の売買や貸金などを斡旋 (あっせん) する職業。また、その人。「千三つ屋」 
《千品目出しても当たるのは三品目くらいの意》食品業界で、新商品の開発の難しさをいう言葉。
  なのだそうです。
  なぜ千三つなどという成功確立を見出そうと思ったかというと、特に私が「誠実な人」を見極め接していこうと考える場合、不誠実な人が多く居る中でどれだけの人を母数と接したらよいかを考える必要があると思ったからです。
 本田健さんの本にもその割合は書かれていますが、おおよそ同じくらいの割合で、誠実な人は1000人に2~3人くらいの割合で居ると考えられています。1000人居て2~3人が誠実な人なら、ありえなくはない割合だと思っています。
 そこで実験をしてみました。日本人人口の1%の人たちを無作為に20人にとって実験してみました。するとおおよそ4~5人は誠実な反応を得ることが出来ました。即ち一般の割合に直すと0.01(抽出割合)*0.2(4(結果)/20(実験対象))=0.002となりました。割合としては千三つで間違いないと思います。


 実験から考えられること


 この結果から実験してみたところ多くの人は不誠実であるものの、大変少ない割合ですが誠実な人も「居る」には「居る」ことが考えられます。また一回の実験で「居ない」ことがわかったとしても、その実験結果を虚心坦懐に見つめて、何が原因でそうなったのかを調べた後に改良に向けて対策を打った後に再度実験を続けていくことで、確実に「居る」結果を導いたり増やしたりすることができるのではないかと考えています。
 そもそも誠実と思われる人なんて世の中にめったにいるはずはないのです。断られることなんて大多数だと思っています。それは組織の中の人間において2:6:2に分かれるパレートの変法が起こるように、見極める対処し続けることが大切だと思われます。
 そして一時的には誠実でなかったとしても人は時間がたつにつれて成長することが出来ます。ですから今この時点では誠実ではないと考えられたとしても、近い将来誠実になる可能性があるのだとしたら、今は不誠実であったとしても早い時期から接しておくことで他の方に先を越されることなく誠実な人と接することが出来ます。
 

失敗を恐れてしないことは問題だ


 そうした失敗してもしょうがないといった考え方や将来的に良くなる可能性があるなといった考え方を醸成することが出来るようになると、間違ったことや失敗することも言うほど苦ではなくなります。
 特に人間関係において、自分が信念を持って行動をしていて、相手が拒否した場合などにおいても、自分は自分の哲学なりに「したことをした」と思うようになることが出来れば、相手が拒否したとしてもそれはそれで仕方がない、と執着することなく離れることが出来ると思うのです。もちろん残念だなと思うことはありますが。
 そしてそうした間違うリスク、失敗するリスク、拒否されるリスクを常にもちながら行動をすることが出来れば、行動する場合に際しリスク管理という面では十分果たしていると思います。なぜならそうした「最悪な状況」をあらかじめ想定しておくことで、それ以上の悪いことは起こり得ないと考えることが出来るからです。
 ただ、多くの人がそれほど一瞬一瞬を適正に、かつ重要視して生きる必要もないのかもしれません。そうしたことを考えると常に疲れてしまいますから。強制されてすることなく自発的に考え行動できる機会を持つことが出来れば素晴らしいのかなと考えています。

 何よりリスクを恐れて行動をしないことのほうが問題だと思ってしまいます。人間をはじめ多くの動物は変化をすることで生きています。つまり行動をしないことはこれ即ち「変わらないこと」であり、見方によっては「死んでいるのと同等」と考えることが出来ます。
 今生きている状態、「この世の中に生きている」のならば、そうした失敗するリスクを積極的に負って行動をしてもらいたいと思っています。もっともリスクを負って常に行動する習慣の癖をつければ「ここに労力や時間もしくは金を費やして良いかどうか」といった「目利き」も鍛えることが出来ると思います。一方でそうしたリスクを負っても目利きを鍛えられないならリスクの大きさが小さいか、あるいは自分自身の物事の見方に歪みのあることが考えられます。

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