倫理観が不安を煽る。和を持って自立を阻む。
倫理観の欠如が不安を煽る。
テレビや新聞では事件を不安をあおります。
最近何事に関してもやりすぎだと思う部分が私はあります。
そのやりすぎな原因として「倫理観」の欠如が有ります。
世界ではこれがしっかりあり、その具体的な例として宗教があります。
かつての日本でも、特に戦時中など、
日本国を守るといった意味で軍国主義的で宗教的な考えがありました。
戦後の現在ではそういった規制が無くなり
ある意味「たが」が外れているのかもしれません。
学校では道徳がそういった規制にあたるのかもしれませんが
今の私に生きている部分は残念ながらありません。
他利は循環。和は自立できない。
宗教には他利をよしとする表現があります。
その行き着く先には独立自尊の精神があるように感じます。
現在日本では「和をもって尊しとなす」という考え方があります。
これは集団での和が第一となっている部分があり
個をつぶし、独立自尊を阻みます。これは問題です。
そこで考え方を根本的に帰る必要があります。
他利をすることが自立することと繋がる意味で
循環型の社会がある、と考えられます。
それを以下を読んで考えました。
「哲学の回帰(稲盛和夫 梅原猛著 PHP研究所 1999.6)」です。
テレビや新聞では事件を不安をあおります。
最近何事に関してもやりすぎだと思う部分が私はあります。
そのやりすぎな原因として「倫理観」の欠如が有ります。
世界ではこれがしっかりあり、その具体的な例として宗教があります。
かつての日本でも、特に戦時中など、
日本国を守るといった意味で軍国主義的で宗教的な考えがありました。
戦後の現在ではそういった規制が無くなり
ある意味「たが」が外れているのかもしれません。
学校では道徳がそういった規制にあたるのかもしれませんが
今の私に生きている部分は残念ながらありません。
他利は循環。和は自立できない。
宗教には他利をよしとする表現があります。
その行き着く先には独立自尊の精神があるように感じます。
現在日本では「和をもって尊しとなす」という考え方があります。
これは集団での和が第一となっている部分があり
個をつぶし、独立自尊を阻みます。これは問題です。
そこで考え方を根本的に帰る必要があります。
他利をすることが自立することと繋がる意味で
循環型の社会がある、と考えられます。
それを以下を読んで考えました。
「哲学の回帰(稲盛和夫 梅原猛著 PHP研究所 1999.6)」です。
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