自然に相手を受け入れる。

制でしか人は動かない、か。

介護現場で仕事していたときに看護師さんが言いました。
「人間なんて本来だらけるものだし強制しないとあかんねん」
私はそんなことはないと思っています。
相手に動いてもらうことは重要です。では相手に動いてもらうために
指導する側、教育する側としてなにが必要なのでしょうか。
ここではそれを述べたいと思います。


ければならない感と教育

「指導する立場」「教える立場」の人はどこか「完璧必須」な気持ちがあります。
「相手にわからせなくてはならない」と思われている部分があります。
そんなときは流れに任せればいいのです。


でも出来ると錯覚してる。昔は違った。

こうした完璧必須な気持ち、なければならない感は
時代も影響しているのかもしれません。
今はお金や権力があればたいがいのことはできます。
ですからなんでも出来る錯覚をもたれているのです。
しかし、人間は神ではなく不完全です。

昔の日本人は多くが農耕で生を立てていて、限界を知っていました。
農耕では自分でやることはすること以上に天候は重要です。
しかしそれは自分ひとりではどうしようもできませんでした。
ですから自然を受け入れるしかなかったのです。


在に生かす過去の知識

現在で過去の経験を活かす場合、「自然に流される」ことが重要です。
相手がなるようになる、といった絶望の受け入れが役立ちます。
絶望の受け入れが出来ると、相手は所詮変わらない、ダメでもともと感覚がもてます。
すると完璧にこなさなければならない言葉を発することから
最低限こなして欲しいことへの言葉を発することに変わります。

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