伝えること、伝わってきたこと。
証拠を追い求める
「相手が思うように動いてくれない」
「いい製品なのに全く売れる気配が無い」
自分ひとりではどうしようもないことはあると思います。
そのようなとき、引いて逃げてしまうか
あるいはもう少しとどまるのか、考えます。
今では百聞は一見にしかずといわれています。
目に見えない可能性も統計学的に、とか
心理学的技法を使って、などなど
目に見える形にして可能性を見出しています。
そのような技術の確立が無かった時代には
「神」の思し召しのとおり、
「神」が信じられそのとおりに従っていました。
今は勝算が得られる証拠となるものが見つからない限りは
新しい一歩を踏み出さないことがあります。
確かに目に見えるものがあれば守りとしてはありでしょう、
が、それだと何でも目に見える形にならなくては
ならないので、成功する場合には時間的に若干遅くなりますし
失敗した場合にも証拠を作ったものに憤りを感じます。
総合研究所などの経済予想も、当たる可能性は高いにしても
何より絶対ということはありません。
その点、「神」を信じている場合は出来事も
予定調和で起こることが考えられ、安心感があり
場合によったらその勝負に負けたとしても
損して得とれでは無いですが、いいように
解釈することができると考えられます。
何でも明確にものごとが決まりつつある時代、
目に見えるものはもちろん必要なのですが、
目に見えないものについても考える必要が
あるかもしれません。
人々の神に対する感覚
人間は「神」を考えるとき、偶像を思い浮かべることが
多いそうです。神の人であったり、マリア像であったり
そうした「神の御子」として現在でも語られている人の話に
キリスト教があります。
わかりやすく理解できるにはどんな本がいいのだろうなと思っていたら
マンガ聖書物語(樋口雅一著 山口昇監修 講談社発行 1998.7)
というマンガがあったので、ぼやっとではありますが、
読んでみました。ちなみに旧約編と新約編があります。
えてして実力的な神の命を受けている人(イェスとか)
が居る一方で、長期間その人に対する執拗な嫌がらせが
起こるのはなぜなのか、という疑問が私の中にはあります。
また、この漫画新約編にはパウロの伝道物語が比較的多く
書かれていますが、やはり教えとか考え方は文章だけでなく
直接的に伝え行くことが必要なのかなとも思いました。
(だから私もそうするです。)
更に神にすがることを目的にするものと
神をどう生活に取り入れるかということを考える人とでは
乖離があること、が考えられました。
加えて人の裏切りや権力による差別は往々にしてあり、
それに対する赦しと平等性、商売に対する倫理観を
物語の中で考えようと思えば考えることもできる為、
ある意味では、いわばそこまで解釈が及ぶならば
有用な書物であると考えます。
ただし伝聞の伝聞は正確に情報が伝わらないこともあろうな、
伝わっていないこともあるのだろうなと思っている部分が
私にはあります。一方で相手のレベルに立って現代まで
伝えることのできること・できたことは素晴らしいと思います。
伝えること
人間は相手の言っていることを自分なりに咀嚼して
文章としたり言葉にしたりしています。
それを発し出すことで他の人との伝達を図っているようです。
ですから解釈する時点、あるいはものごとを伝えるときの
言葉のチョイスによって間違って伝わることもあるでしょうし
それは注意する必要があります。
日本語は多くの意味を持つ言葉があるため、
余計に正確なニュアンスを伝えるのは難しい部分がある
と思っているのかもしれません。
ですが感情を豊かに表現する分には有用です。
いずれにせよ、伝えることは難しく、
また大変なことなのだろうと考えました。
「相手が思うように動いてくれない」
「いい製品なのに全く売れる気配が無い」
自分ひとりではどうしようもないことはあると思います。
そのようなとき、引いて逃げてしまうか
あるいはもう少しとどまるのか、考えます。
今では百聞は一見にしかずといわれています。
目に見えない可能性も統計学的に、とか
心理学的技法を使って、などなど
目に見える形にして可能性を見出しています。
そのような技術の確立が無かった時代には
「神」の思し召しのとおり、
「神」が信じられそのとおりに従っていました。
今は勝算が得られる証拠となるものが見つからない限りは
新しい一歩を踏み出さないことがあります。
確かに目に見えるものがあれば守りとしてはありでしょう、
が、それだと何でも目に見える形にならなくては
ならないので、成功する場合には時間的に若干遅くなりますし
失敗した場合にも証拠を作ったものに憤りを感じます。
総合研究所などの経済予想も、当たる可能性は高いにしても
何より絶対ということはありません。
その点、「神」を信じている場合は出来事も
予定調和で起こることが考えられ、安心感があり
場合によったらその勝負に負けたとしても
損して得とれでは無いですが、いいように
解釈することができると考えられます。
何でも明確にものごとが決まりつつある時代、
目に見えるものはもちろん必要なのですが、
目に見えないものについても考える必要が
あるかもしれません。
人々の神に対する感覚
人間は「神」を考えるとき、偶像を思い浮かべることが
多いそうです。神の人であったり、マリア像であったり
そうした「神の御子」として現在でも語られている人の話に
キリスト教があります。
わかりやすく理解できるにはどんな本がいいのだろうなと思っていたら
マンガ聖書物語(樋口雅一著 山口昇監修 講談社発行 1998.7)
というマンガがあったので、ぼやっとではありますが、
読んでみました。ちなみに旧約編と新約編があります。
えてして実力的な神の命を受けている人(イェスとか)
が居る一方で、長期間その人に対する執拗な嫌がらせが
起こるのはなぜなのか、という疑問が私の中にはあります。
また、この漫画新約編にはパウロの伝道物語が比較的多く
書かれていますが、やはり教えとか考え方は文章だけでなく
直接的に伝え行くことが必要なのかなとも思いました。
(だから私もそうするです。)
更に神にすがることを目的にするものと
神をどう生活に取り入れるかということを考える人とでは
乖離があること、が考えられました。
加えて人の裏切りや権力による差別は往々にしてあり、
それに対する赦しと平等性、商売に対する倫理観を
物語の中で考えようと思えば考えることもできる為、
ある意味では、いわばそこまで解釈が及ぶならば
有用な書物であると考えます。
ただし伝聞の伝聞は正確に情報が伝わらないこともあろうな、
伝わっていないこともあるのだろうなと思っている部分が
私にはあります。一方で相手のレベルに立って現代まで
伝えることのできること・できたことは素晴らしいと思います。
伝えること
人間は相手の言っていることを自分なりに咀嚼して
文章としたり言葉にしたりしています。
それを発し出すことで他の人との伝達を図っているようです。
ですから解釈する時点、あるいはものごとを伝えるときの
言葉のチョイスによって間違って伝わることもあるでしょうし
それは注意する必要があります。
日本語は多くの意味を持つ言葉があるため、
余計に正確なニュアンスを伝えるのは難しい部分がある
と思っているのかもしれません。
ですが感情を豊かに表現する分には有用です。
いずれにせよ、伝えることは難しく、
また大変なことなのだろうと考えました。
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