性的な、生物学的な、考え。

間を考えるに

研究では起こった事、過去の出来事を調べて考えます。
事実か、事実が正しいかもわからない場合もあります。

私ひいてはヒトさらに広く見ると生物を研究している研究者さんは
世の中にたくさん居ます。その人たちはどんな視点で
ヒトを見ているのでしょうか、考えてみると
1文化学的に考える場合
2科学的に考える場合とがあると思っています。
前者は感情が思い切り入ってくるので時に非理論的で主観的な場合があります。
後者は事実を積み立てるので論理的で客観的な考えですが味気ないです。
どちらが悪いということは無いと思っています。
私はどうあれ、「ヒトはいる」んだと思います。
理由?は無いんじゃないかなと思っています。

人間、引いてはヒトは現在存在しています。
そのルーツももちろんあります。ではそれはどのように進化したか、
研究されている分野によって考え方がまったく異なります。
生物学を主とした遺伝を基に考えた場合
生物が生き残るためには生殖活動(セックス)をし、受精し、減数分裂します。

進化の過程で遺伝子を残すためには見た目を大事にするそうです。
現代人の技術はすさまじいものがあり、手術でいとも簡単に変えられます。
その場その場でそれにより気分は良くなっていくのでしょうが
長く生きていくうえで後悔をしたりはしないのでしょうか、
他人を欺いていること、自分が無くなっていくことに
いつか気が付くことがあるのでしょうか。

そういった気持ち的な部分を書いてくと長くなってしまうのですが
それはそれでともかくとして、生物学的な意味で生物・ヒトの進化
「性」というものを書かれた方がいらっしゃいました。

「人間の性はなぜ奇妙に変化したのか
(ジャレド・ダイアモンド著 長谷川寿一訳 草思社発行2013.6)」です。





















み終えて

魚類とその他が数千万年前に、類人猿とヒトが数百万年前に分化したといわれ、
この本もそれを元に書かれていますが、これって本当に本当なのかな
と思っています。
確かにダーウィンの言っているように、環境に適応できない種は
生き残ることが出来ないというのはわかるのですが
もっと中間的な生物がいても良いのかなぁなんて思うわけです。
ヒトと類人猿、哺乳類と鳥類などに関してもそうです。

一方、ヒトが成長するに当たり、そら言葉を使うのは本当にごく最近の
出来事なのでしょうけど、あらかじめ性や生きることがDNA上で
プログラミングされてるということや、理由はどうあるにせよ、
生きて成長し、そして最終的に死ぬということ変化するということは
結構凄いことなんじゃないかなと思ってしまいました。

そういった意味で当たり前を改めて意識することは参考になります。

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