THE 作法


Japanese SAHOU

「ええと、ご祝儀の結び方はどうやった。。。」

結婚式、パーティ、葬式など何かと社会に出ると
オフィシャルな会合に呼ばれることがあるものです。
私は少なくともそれらのときにどのような振る舞いをすれば良いか
分からなくなる事があり、振舞い方が分からぬときは凄く緊張します。

正式な振る舞い、即ちマナーを知っていることは、
相手の文化や考え方を侵さず自分のことを伝える意味で重要

なのだと思います。
そら大したこと無い集まりの場合にはマナーを侵したとて
「なんやあいつは、常識の無いやっちゃなー」
ということを言われるくらいでなんこと無いと思うのですが

「ここぞ!」という場面では
「ビシッ!シュッ!」と決めたいものです。

具体的な例でこれまでどんなことがあったかな、と思い出してみると、
それこそ日々反省につぐ反省の毎日なのですが
人生の中で「間違ったなー」と思ったこと、痛感したことは、
高専から大学の編入試験での出来事です。
編入する大学の一つに横浜国立大学を受けたのですが、
そのときの試験では面接があるのにも関わらず、
ハーフパンツに半袖でのぞみました。

周りの人はみんなスーツなのに僕だけ普段着。
加えて試験の出来がぜんぜん芳しくなかったので
諦め半分、やる気無しさ半分で泣けてきそうでした。
結局落ちたのですが、例え試験の結果が良かったとしても
デリカシーの無い服装で面接にのぞんでましたし
どう転んでも落ちたろうな、と思った次第です。

今ではある程度社会を経験しているため、さすがに
就職試験や転職試験のときにスーツ以外を着る事は無いです。
ですが場合によっては、場の空気を和ます方法として
「作法を知った」上で奇抜な服装を着、敢えて「場を乱す」ことで
アクセントを出すこともありなのなのかなとは思います。
全ての場面で有効だとは思わないのですが、

一種の「驚き」、即ち生活の中で緩急をつけることも
心豊かに生きるうえでは必要なのだと思います。

なお、あんまり堅苦しく「マナー」「マナー」と言うてしまうと
行動を制限してしまうことになると思うので

下手にマナーや規則に縛られず、他人を傷つけない程度に
自分を出すのが素晴らしいのではないでしょうか。

知らなければ教えてもらいましょう、そして学びましょう。
そして、規則を知らない方がいた場合には相手に教えてあげる
くらいの余裕を持ちたいものです。


それをこの本を読んでいるうちに考えました。
「一流の作法(山崎武也 著 PHP研究所 発行 1999.2)」です。

















を読んでの感想

 最後に山崎さんは
同窓生と今でも交流しているということが書かれていましたが
恐らく山崎さん自身が学生時代に戦争や終戦を体験し、
考え方が大きく転換した時期で
そのときに交流を持った周りの人との生き残ったという共有体験が
その後の強固な同窓関係を築いたのだろう、と考えられます。
そういう強い関係、もてたら良いですよね。

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