ボランティアとは。
昔の、世界と日本の流れ
社会主義が世界でにぎわっていた頃は
「差別が無かった」、「精神障害者が居なかった」
などという論を見ることがあります。
これが本当だったかどうかはわかりません。
なぜなら被差別者や精神障害者を
表に出さないようにしたのではないかと思う部分があるからです。
日本は社会主義国家ではありませんでしたが
戦中、そしてそれ以前も社会主義のような
お上に従えといった押し付け教育をしてきました。
終戦後も一部の方はその考え方を崩せなかったのだと思います。
しかしそれにより追いつけ追い越せの考えが生まれ、
貧しかった日本が高度成長しえたのでしょう。
今の、日本と障害
時代は流れ行くものなので今の日本が
いつをさすのかは明確に区別できませんが、
戦後は自由な資本主義社会となりました。
しかしどんな環境でも
障害(特に心の)を持つ方は出ます。
その方々のため国が支援しています。
年金や、障害給付などです。
これらは明確な条文という根拠がある一方
制度の特性上どうしても”漏れ”が生じます。
制度を作ってしまっても漏れがでるので結局はいたちごっこなのですが
少なくとも(資本主義社会の形上、
国家の制度上で)漏れそうな人を防ぐため、
ボランティアの方々が活動してくれている場合があります。
ひとつに、近年増えつつある「自殺に対する支援」です。
支える人 いのちの電話
そういった自殺対策ボランティア団体のひとつに日本では
「いのちの電話」
と呼ばれる、電話相談のできる組織があります。
また日本だけでなく世界中にあります。
他国が日本と同様ボランティアで活動されているのかわかりませんが
日本では無料で電話相談を行っている性質上「生活」「家族関係」、
「性」など多くの分野における問い合わせが寄せられるようです。
「いのちの電話」の対応者は研修受けた一般の方です。
また匿名性が守られています。
よってお客さんとは基本的に一度限りの関係となります。
タイミングが合えば連続して同じ対応者、
もしくは同じお客さんと話せられるかもしれませんが
確実に同じ人が対応してくれるというわけではありません。
疑問
私は、日本に居る
「いのちの電話」の対応される方が
責任感をもてるのか
疑問です。なぜなら
「ボランティアでやっている」、「匿名性が維持される」
そして電話という通信手段を用いることで、
「直接お客さんと接することが無い」、からです。
「話をしている相手に関心を持ち、かつ自分の気持ちに素直になる。
相手の複雑化した悩みを分解し共感することで相手の自立を促す。」
これは凄く立派なことだと思います。
また倫理綱領も臨床心理士のような形があって素敵です。
しかし、お金を貰ってないから責任を持たなくても良いやとか
場合によっては自分のいいと思ったことが相手に対していいことだ、
といった間違った考え方やきめつけも発生しうるのではないでしょうか。
(善意で行っているのでお客さんもむげに断られない考え)
そして極めつけとして危機介入をするときには相手に直接触れ合いません。
もちろん方法論として「研修」という場で同じ仲間たちと技術研鑽しあうでしょうが、
何か物足りないような気がします。
せっかく相手のために活動をしようとしているのであれば
自分を名乗り、場合によっては投獄されることも覚悟で
(自殺をほのめかしたとして自殺幇助で捕まる可能性がある)
責任を持つこと、
お客さんと直接接することでしか、
相手の本当の気持ちは得られない
のではないかと思っています。
もちろん気持ちを得て終わりという形ではなく
それから自立できるよう働きかけるという意味です。
そして事後対応も、、、
危機介入だけならまだいいのですが、
その後がどうなったのかも私は知りたいです。
結局自立したのか、できなかったのか
自分の対応が相手にとって
正しかったのか悪かったのか
その場だけの対応となると、それも確認できません。
ですので反省もしにくいのだと思うことがあり、何か歯がゆい気がします。
もちろん私のような変なことを考える方ばかりではないでしょうし、
調査した文献も今から13年ほど前に発行されたものなので
私の考えている疑問への対策も現在はされていることでしょうが
何か「ボランティア」というものに引っ掛かりがありました。
それを考えるきっかけとして参考にさせていただいた文献はこれ
「ひとりで悩まずに・・・いのちの電話
(樋口和彦 監修 斎藤友紀雄 平田眞貴子 責任編集 ほんの森出版 発行 2001.10)」です。
精神分析や心理学などとは違い、社会福祉学の歴史が浅く
全てに対応可能な理論を提唱できないことに心残りがあります。
他方、社会福祉自体が対処療法的な側面のあるから
それを体系だてた理論を立てても無意味と感じる部分もあり、
結局理論の無いことが理想なのかなと思う部分もあるのです。
また電話相談だけでなく直接会う面接でもそうですが、
お客さんの話を聴いていくうちに対応者自身が赦されている気になり、
対応者が元気になってしまうこともあるだろうなと思います。
それにはいったんその場を離れる勇気が必要なのでしょう。
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