機微を知る。
外界からの摂取物
私も過去に経験したことですが
毎日晩酌すると、日に日に接酒量が増えてゆきます。
お酒でも薬物でも何でもそうです。最終的には死にます。
外界から摂取させられる「もの」は勿論、「気持ち」でも言えるでしょう。
毎日毎時間テレビを見て、移動中にはイヤホンをし、
お店でもサービスをされるのが当たり前の文化です。
テーマパークの神聖化から、癖の強い作家の喜ばれる文芸界があります。
いずれも
刺激の強さが”キー”
となっています。そしてそれを求める人が多いです。
かつては昔
過去は徒然草や更級日記に、毎日は退屈だ、と書かれているようです。
恐らく今のような娯楽施設はありませんでしたし、なおさらでしょう。
しかしその
退屈さがゆえに、詩を読んだりし
体を使った技術を得ていた
のだろうと思われます。
江戸時代でしたら寺子屋の存在が代表的なものでしょう。
ここでは一見退屈そうに見えて、心の豊かさはあったのかもしれません。
意味が無いことに意味があるのかもしれません。人生と一緒です。
そして今
今求められているのはそういった退屈に耐える力なのかもしれません。
そしてそれは以下二点で作られていると思われます。
一点目は、粘り強い継続力
です。
繰り返しされる練習や稽古をすることで培えるでしょう。
二点目は、退屈の中に意味を見出すこと
です。
作られたものの意味をすくい出し理解します。
これら二点はもともと子供が持っているものらしく、
例えば同じ童話でも繰り返し読むことからもわかります。
繰り返すことで極めてゆきます。
退屈なものの中身
極めることで愉しむことが出来るものについて、具体的には
1)武術と、2)芸術と3)学問に分かれます。
1)武術
スポーツを含め、不調時には型に戻り
基本からの思考力や知性を養います。
型を訓練することにより、細部に神経を集中し
くじけぬ心、おかしいといった違和感、感覚が身につきます。
また、我慢力の養成、技術的な力も付きます。
楽器を吹く人であればロングトーンが代表でしょうか。
2)美術
一流品を求めることで、本物の目を養えます。
一人の作家を深く味わってもいいと思いますし、
一つのテーマで多くの作家を見てもいいでしょう。
また、耳を鍛えることも重要です。
外国の人は気づきませんが、日本人は
虫の音を聞き分けられる力があるといわれていました。(ラジオは脳に効く)
そういった普段とは違う機微に気付くことは重要です。
3)学問
学問を学ぶと美術をより深く愉しめます。
また全体としてルールを学び、知る興奮を味わえます。
数学と国語について、重要な点を見てみましょう。
3-1)数学
計算を極めることで、ボンミスを減らす効果が期待できます。
人生の補助線を引くことが出来る目的で、
証明問題から問題解決への視点を養うことが可能です。
3-2)国語
書くことで心の研ぎ澄まし養えます。
心に対応する言葉を知り、気持ちを理解することができます。
現在では総合学習というものが授業に取り入れられていますが
ここでは一見何も無いことから問題意識を持てることが重要です。
これらがうまく身についていないと採用試験のときに、
例えば学校を中退してしまった経歴があると、
「仕事を続けることが出来るのか」
「ルールを守って仕事できるのか」
と言った疑問がでます。するといくら言葉で
「仕事は続けられます」「ルールも守れます」
と言われても、「本当?」と疑いたくなってしまいます。
昔に習う
対処としては何もなかった頃のように退屈を味わう、
敢えて退屈なことをする、ということも重要だと思います。
粘土遊びをしたり、田植えを手伝ったり、ねっころがって音を聞いたり
勿論何も考えないのは成長しませんが
(リラックス目的ならそれでもいいのだと思いますが)
何かしら感じる、考えること
が重要なのだと考えました。
それを以下の文献を読んで考えました。
「退屈力(斎藤孝 著 文藝春秋 発行 2008.4)」です。
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