就職活動に必要なこと
いったいどこで間違ってしまったのだろう。
「風が吹けば桶屋が儲かる」のような考えかもしれませんが
恐らく現在ある社会問題の根本的な原因は、東京大学法学部が
「今」の最高権力にある「法」に優秀な人材や力を注ぎ、
「未来」の要となる「教育」に力を注がれなかった、
注げなかったためではないか、と私は思っています。
目先の利益を得る社会になりつつあるのは
それが原因なのかもしれないな、ともうっすら思っています。
教育の根幹となす「大学」は、本来研究機関です。
ですが、研究機関なのにも関わらず
中学や、高校、予備校、各種学校等のような
感覚を持たれている「ご家族」がいます。
そのような感覚を持たれたご両親や、ご両親に育てられたお子さんは
何か与えられた問題に合わせる、高得点をとると言った
「唯一絶対の解」「最高の解」を求めている気がします。
ところで最近の社会は先行きがみえません。
それゆえに、問題点が見つかりにくいですし、
たとえ見つけられたとしてもそれが本当に問題かはわかりません。
方法も一筋縄ではいかないかもしれません。
ですから、先行きの見えない社会では問題を発見することは元より、
問題に対する複数の解決策を見つける視点
複眼視点が求められています。
しかし先述の「問題を高得点で解く」、
「唯一絶対の解をもつ」といった考えの場合、
「解」はおろか「問題」さえも求められず、思考が「フリーズ」してしまいます。
同じようなことが言えるかもしれません。
本来会社組織は、
気分や感情で人を選んでいる部分があるのにもかかわらず
希望者側は必死で「シュウカツ本」という模範解答を読み、
それに踊らされています。
「問題が何なのか」わからず、「模範解答」に藁をもつかむ気持ち、
即ち「もれること」への「怖さ」かうかがい知れます。
また就職は結婚と一緒であくまで通過点です。
しかし、「就職」という「ゴール」を目指しています。
そのような状況を見ていると
何か見誤っている感じがしませんか。
少なくとも私は見誤っていると感じます。
ですからそれを解消するためにどうするかを書きます。
なお、結論を先に書きますと
- 支えてくれる人を見つけ
- 3~5年程度先の目標を持つこと
就業者に求められること
団塊の世代以前はともかく、バブル期では問題への正解を求め
就業者は頭数が大切と思われてきました。
しかし1991年のバブル崩壊により企業が不況にさらされます。
山一證券や北海道拓殖銀行が倒産し
「大企業にいれば安泰」という「神話」はもろくも崩れ去りました。
その後も2009年にリーマンショックなどの影響はありましたが
いずれの事件後も経営者は、
より高い「質」を求められるようになっています。
より高得点なのは勿論ですが、それ以上に
問題解決に対する複眼な視点と新しい発想が
求められるようになりました。
ですから、経営者の経営する会社組織も
価値ある「問題」を見つけ、多くの「対策」を作り
行動することのできる人間
を求めるようになったわけです。
対応する就職希望者の質
大学に通う学生としてはたまりません。
なぜなら、ただでさえ先行き不安な状況にさらされ、
ご両親は「唯一絶対の解、高得点」を求める世代で
かつその通り育てられてきたのにもかかわらず、
企業からは「問題を見つける力、策を作る力」を求められたからです。
高得点を目指す親御さんの指示に忠実に従っていた子供ほど
恐らく企業を受けることとなった場合に
カルチャーショックを受けると思います。
ただ、「こんなはずじゃなかった」と、文句ばかり言ってもはじまりません。
ですから一部の学生さんは自分を探す自己分析を早くから行い、
企業の要望に沿うような人間に「変わり」ます。
その就職準備がどんどん早熟化し過ぎると
場合によっては大学入学直後に就職のための準備をするようになりえます。
となると大学へ行く意味、ある意味があるのでしょうか、私にはわかりません。
就職希望者を支える人の存在は必要、必要だけど、、、
さて、価値ある問題を見つけ、そして多くの対策を見つけることが
学生に求められていると書きましたが、どうすればよいのでしょうか。
それは一人で導き出すのは難しいと思います。人間には限界がありますから。
ですから就職希望の学生を
支える立場の人は必要です。
問題を見つけるにあたり、本質を見る目が必要です。
それは学生さんにとって「良い仕事とは何か」と言ったことや
「学卒や多くの資格は十分条件だよ」といったことを
本気で「言葉で接し合える人」が求められていると私は思います。
その役割を担うのはもちろんご両親が一番望ましいのですが
学生さんと根本的に考え方が違う場合、学生さんよりも先に
親御さんの「自立、変わっ」た方が
よい場合もあります。
「自立、変わること」とは
- 親の接し方として、マニュアル本などの小手先技術ではなく子供の本質・成長が解ること
- 親も不完全な人間であることを認識、し子供にに良いも悪いも見せられること
それらを考えた原因は、
1.に関しては、親御さんからしか読みえないような名前を子供につけたり、お受験戦争等子供が望んでいないことを親が先取りしていたりし、子供の人生を全て親が握っているかのような感覚、いわば子供を所有物と思われている感覚が感じられたから
2.に関しては、サラリーマンのご両親が多いという前提で、会社に守られている親が子供に自立した人間であることを教育しきれるのか、即ち、親が自信を持って仕事を出来ていないことが考えられる場合子供の仕事を真剣に受け止めきれるのか疑問を感じたからです。
子供(学生)は親の所有物ではないです。
子供(学生)には子供の人生があります。
加えてご両親にもご両親の人生はあります。
ですから子供を物として所有するのではなく、
子供を人として認められる人が望まれているのだと思います。
極端に突き詰めると私は、必ずしも親が
子供の人生を全て抱える必要は無いと思っています。
育てたい人に育ててもらったらいいと思う部分があるのです。
適材適所をみる
次に
適材適所、能力の見極めをし、
企業を決めること仕事をすること
が大切なのだと思います。いうなれば「餅は餅屋」です。
サラリーマンやサラリーウーマンとして働くならば、大なり小なり個性を殺して
「コマ」や「歯車」となる必要があると思います。
また非常識な人ならばそれを受け入れてくれるところを探す必要があります。
と言っても日本の企業数は421万社あります。
ですからある程度分野を絞って企業を捜すにしても、
近隣やあるいは地方や日本全体という規模で探せば
チャンスはいくらでもあると思われるのです。
勿論英語が出来たりするのであれば海外で働くのも「イイネ!」ですね。
目標設定
自分を支えてくれる人を得、分野や会社が大体絞られてきたところで
働く目標を設定することが大切になるのだと思います。
どうもいくつか就職活動本では「就職を勝ち取ること」に
「ゴール」をおきがちになっていますが、それよりは
経営における中長期(3~5年スパン)視野で、
変更可能な柔軟のある仕事への目標を持つ
ことが大事と考えています。
なぜなら、就職はあくまでスタート地点ですし、
今の時代は良いようにも悪いようにも状況が短い期間で変わるからです。
テストや受験勉強のような試験が終わったら終わりのようなものとは違い、
仕事はし続けなければなりませんから、目標も変わり続ける必要があります。
面接に際して
さて、目標を設定したあたりでいよいよ実際に行動し、面接がなされます。
私は面接で落ちに落ち続けますが、それは仕方ないです。
ある程度は諦めます。なぜなら
就職が決定されるのは
会社や組織の気分が大きいからです。
多くの会社で人事が複数回面接して採用されますが
面接が出来る人と、仕事の出来る人は違います。
本当に企業が欲しいのは面接が出来る人ではなく、仕事の出来る人です。
ですから面接が必ずしも出来る必要は無いのだと思います。
絶大な自信や経験があって落とされたのだとしたら、
落とした面接官と相性が悪かった、それだけの話なのかもしれません。
また、「入社後上司として一緒に仕事をする予定の方」が
面接をする場合もあります。
そのような場合も、過度のアピールをしないほうが良いような気がします。
なぜなら、内定なり入社後に
そのときのテンションなりを維持しなければならなく
しんどいと思うからです。
ですから私の場合はどうとでもなれといった感じで面接に臨みます。
面接内容よりも、面接官と心地よい時間を共有できたかを大事にします。
しかし最低これだけは身につけておきたいと思うことはあります。
最低限身につけておきたいこと
- 格好・態度
靴の色だとか、
スーツの色を指定している本もありますが、見られているか疑問です。
それよりはクリーニングに出したか、清潔感の方があって損は無いと思います。
また、態度として押すか引くかを迷った場合
少しは押してもいいとは思いますが、押しすぎることは嫌われます。
「他人の嫌がっていることは無理にしない」事が大事です。
それと同様に質問が無いのに無理して質問を作る必要は無いと思います。
- 理路整然さ
そして相手が「もっと知りたい」と思う場合、質問をされることがあります。
質問をされたときには
質問を復唱することがよいと記載されている場合もありますが、
これもしすぎると
「こいつわかってないんじゃないか」と思われる場合があると思います。
カウンセラーでもたまにオウム返ししかしない人が居ますが、
見ていて痛々しいです。
要は理屈を持ち、表現は適度にしませんか、ということを書きたいのです。
なんやかんやあって、入社後は
試験をした後、内定や入社ができても
いくらか働き出すと不満が出てきます。
よく聴かれるものとして給料への不満があります。
ただ、使えない新入社員の頃の、
自分の教育費用は往々にして会社が持ってくれていますし、
また自分がなんらかの障害が発生して仕事が出来なくなったとしても
安定して給料を得られることはありがたいことだと
思い直すことができる・・・かもしれません。
と言っても会社が潰れてしまったら元も子も無いですが。
また定期に心が健全かを省みる必要もあるかもしれません。
3日、3ヶ月、3年と辞めたくなることがありますが
最初の入社した気持ちを思い出すことで
定期的にリフレッシュすることが出来る・・・可能性があります。
いずれも、
支えられながら少し遠くの目標を設定し
複数の問題と解決策を考えられる
柔軟な考えを持ち続けたいものです。
それを、以下の文献を読んで考えました。
「就活は子どもに任せるな(鈴木 健介著 中央公論新社 発行 2011.8)」です。
命令形の文章が複数見られました。
それらを物腰の柔らかい書き方に変更されてはいかがかと思いました。
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