若者意識
昔の社会
昔、いわゆる団塊世代やバブル世代は
限定的競争社会
といわれています。
そう、意外性の無い社会、即ち右に倣えで
ひたすら高成績、高品質が求められた社会です。
会社などの組織も、基本みんな均質をモットーとした
年功序列制度で後押しをしていました。
今の社会
それに比べて今は
競争を前提とした機会平等社会
のようです。
外資系会社が多く来、能力主義が一般化することによって
競争がベース
となります。
労働環境も派遣社員の割合が多くを占め
先行きの見えない不安があるようです。
今の気持ち
以前は田舎から都会に行けば裕福になれると思い
東京や大阪など大都市に出てきた人が多かったそうです。
今でも勿論いますが、現在のような交通機関や情報機関が
発達する以前は、今よりももっと強い「憧れ」があったのでしょう。
彼らは田舎での農耕生活を捨て、都会のサラリーマンになります。
マンションに住み、コンビニでご飯を済ませ、と、
みんな画一化した生き方、定型な生き方を是としています。
そのような安定した生活をしている親から生まれた子は、
改めて新しい場へ出ようといった考えを生み出すことが難しく、
また新しい一歩を踏み出すのに不安が生ずるのかもしれません。
将来に対する不安が出てきたらそれをひとまず棚上げし、
競争に自分がいないかのような考えを持ったりすることもあります。
すると、「未来」よりも「今」中心の価値観や生活でいっぱいいっぱい
行き当たりばったりな生活になります。
行き着く先は、行動に対してマニュアルな考えが横行します。
そしてマニュアルを満たすことに満足する、消極的な気持ちが発生します。
イメージ化や努力を嫌い、ラクして儲けよう、コネや運をめちゃくちゃ使いたい
我慢なんて出来ない。と言った考えが出てくるのかもしれません。
即ち、満たされている現状で、
わざわざ苦労してまで得たくない
と言った気持ちがあるのでしょう。
今の行動
接客業ではマニュアルがあります。
そこでそれ以上のことはしたくないだとか
短絡的なゲームや、その場がよければよいといった「きぐるみ合コン」
みんなと一緒の・・・と言った考えも一つです。
何か幼いような気がします。
だからこそ
若者を育てる親御さんは、事前に答えのある
「正解を求め突き進む世代」でした。
そこで自分が子供のときに味わったときのような
「こうしなさい」と言った価値観を若者に押し付けます。
現在は正解の無い世代ですから、もしかすると
それが若者の意欲を殺がせる原因になっているのかもしれません。
「教える立場」というと通常、教員を考えがちですが
私を含め周りの大人が若者を育てる必要がある(参考:金パチ先生)と思います。
ですから、若者だけでなく、育てていく大人の態度も
変わっていかねばならないのでしょう。
さらに、車や旅行などの「若者の何々離れ」という表現もどうかと思います。
勝ち取ってまで得ようといった意欲が少ないのもあるのだと思いますが、
それ以上に魅力的な商品や製品を作っていけていないことも問題だと思うのです。
即ち使うお客さんの立場に立った、魅力的な製品にしようと言う
「研究力の欠如」
が考えられます。ですから、昔の日本人に習って大人も研究しましょう。
こういった自分たちが自責感を持つことは
宗教で言われる悔やみなさい、ということなのかもしれませんね。
それを以下の文献を読んで考えました。
「なぜ若者は「半径1m以内」で生活したがるのか?
(岸本 裕起子 著 講談社 発行 2007.9)」です。
若者は褒める、叱る、褒める、としなさい
アットホームな関係を築きなさい
と言った、結構極端な思考で書かれている部分があります。
就社志向の研究(2013)と非常に似ているタッチで書かれいました。
勿論、就社志向の研究のほうが新しいのですが。
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