甘えとは何か。





 多くの感情の元には「甘え」があり、それは日本独特な言葉です。これが 転じて「わび」「さび」「あわれみ」などを感じられます。これは母性的な感覚で、日本人の集団性を形作っているものであるとも考えられます。そうした甘えを知ることで、他人や自分の感情・気持ちや行動をわかるかもしれません。


えという日本人独特なものがあります。

 日本人の特有な感情として「甘え」があります。甘えは日本語独特なもので、依頼心の肯定的なものです。もてなしの気持ち、察する気持ちがこれに該当します。どこか被害者的意識があり、甘えと意識が密接な関係を持ちます。

 それがこうじてかつて全共闘(学生運動)が起こりました。本来加害者のはずの学生が、被害者的な意識を持っています。背後に甘えたくても甘えられない葛藤があるようです。

 これに異なるものとしてアメリカを含む西洋の考え方があります。キリスト教では「神は自ら助けるものを助ける」とした考えがあるため「甘え」という言葉はありません。どんなに小さなことでも選択する必要があります。

 普段「甘え」を意識することは無いと思いますが、精神医学を学ぶ上で人の感情はどういう状況からできたものなのかと考えることがあります。そのときに、「甘え」が大きく意味することがわかります。ここではその甘えは何かと述べ、甘えのできる原因のわかることで良い生き方をする、もしくは人生の再体験をする足がかりとなるかもしれません。


えの形

 甘えは親子の関係で見られるものです。これが欠損すると、ひがみ、気兼ね、わだかまり、照れなど非常に多くの問題を表出することが知られています。
 甘えの肯定として人情があり、その関係を維持する目的で義理があります。親子関係の間では基本的に人情を返したりはしません。他人行儀と映るからです。

 一方他人には甘えを意識することなく、無視できるなら無視します。ただし無視できない場合は無理やり同一化しようとします。同一化しようとした例として明治政府は海外の技術を短期間で取り入れてきました。また2次世界大戦後でも、欧米に追いつく目的でそれまで東京帝国大学では技術的な授業は英語でしていたのにもかかわらず、わずか10年で日本語に読み替えし、日本語の授業としたという、逸話があります。

 これは海外のキリスト教のような集団が神とするものとは異なります。海外では日本とは違い、恥を他人への非難とします。

 さて、日本は知らず知らずのうちそれぞれの内面的に罪の自覚があります。これを皆で共有する意味で集団や他者にも求めるため甘えによる人間関係ができます。先の全共闘が例として挙げられ、外発的動機付けにより集団の中の価値観を大事にしました。逆に集団の世界を失うと、自己喪失から精神疾患になります。この考えを昇華させるといわゆる「おおやけ」となります。申し訳なさを持ち、「はみご」を恐れ、問題の発生した場合、職を辞すことで体裁を保ちます。
 具体的には「天皇制」があるのでしょうか。かつての日本における天皇は本来依存しているのですが最高権威を持つ、と言った皇室を唯一絶対の「おおやけ」とし、甘えで支配してきました。また先祖を崇拝する文化も天皇制に近く、人は死して神となることから子どもや老人を気のみ気のままが赦されたりします。子どもや老人には敬語、使いますよね。


えはなぜ出来るのか。

 先に述べた知らず知らずのうちの罪とは何なのでしょうか、それはまさしく「甘え」です。甘えは母性的なものです。母親と分離出来ていないことが考えられます。すると、母親と自分を同一化させ、時に同性愛になることもあります。
 ですから江戸時代に将軍が若い男を側近に置いたこともあったでしょうし、夏目漱石の「こころ」では、主人公が先生に恋し、先生がKに恋しという同性愛があったとします。結局同性愛は裏切られるのですけどね。

 よって甘えは母親から非分離で、同時に「分離不安」があり、非理論的、無差別的です。「わびさび」「いき」「あわれみ」もこの感情の中に含まれ、主客未分の体験をします。甘えそのものは生まれてからごく初期に母親との関係から出てきて言語で抽出することで、効果を出せます。これは欧米にもある所属欲求と同じです。

 日本人は成長すると母との甘えの違いを認識する「人見知り」をし、好意的にとらえられます。しかしそれもあり過ぎると恨みや悔しさが存在し問題です。その問題の典型として神経症があり、これはそれまで社会において母性的な環境で生きてきたのに対し、周りが父性的な環境であることからずれが生じ、強迫的な考えから「しなければならない」を感じます。ですから休んでも遊べません。そして甘えたいが甘えられないといった窮屈感をも味わいます。

 日本とは逆に海外は母性よりも父性を大事にし、問題があってもThank youで終わります。なぜならこれまで海外では奴隷や政治における開放、つながりの開放から自由を獲得し、信仰に置き換えてきたからです。根本的に考え方が異なります。

 なお、日本語の独特な甘えの表現に「気」というものがあります。中国語の「気」とは異なり、同じ気をお互いに認識し、それを快楽原則で求めます。


えの原因

 全ての甘えは精神分析的に考えるとエディプスコンプレックスにより前世代への葛藤、即ち父親の殺害や否定が起ころうとすることがあります。一方父親不在であることから皆が攻撃的となっているのかもしれません。また文明の加速度的な発展に伴って、自己絶望のある可能性があります。

 たとえとしてかつて2次世界大戦において、それまであった父親としての道徳観が打撃を受け、1父親が組織として防衛していることで、父親としての弱さが露呈し、家庭に持ち込まれることで子供の登校拒否や学校恐怖症になっている。2新聞記事などで社会全体を甘えさせ社会全体を否定さえしますが、先に手は打ちません。
 また加害者がいつのまにか被害者とも同一化している社会があると考えられ場合によっては連帯感が知らず知らずのうちに選ばされている可能性があります。

 これらが高じて、社会全体として皆子どもっぽくなったと考えられます。


甘えの原理をこの文献を元にまとめました。
土居健一郎 甘えの構造 弘文堂出版 1971.2です。



















 恐らく当時の「甘え」という言葉は、現在の共依存に近いと思います。今から40年ほど前に出版されていますが、当時から父親不在の影響や大人の子ども化が言われていたことを考えると、この考え方は結構根深く、父性的な考え方を取り入れるにもかなりの努力がいるな、と思いました。

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