気持ちが「砂上の楼閣」な世代。
地に足が着かず文句ばかり言う世代の方がいます。現実を見ず、どこか「から元気」なところがあります。彼らはどこかで自己実現への飢餓や心の不満足感を持っています。そうした彼らの気持ちのありようはどうしたら満たされるのでしょうか。自ら戒め、地に足をつけるにはどのようにしたら良いのでしょうか。その方法について書きたいと思います。なお、結論は「諦めること」です。
世代の役割
40代は精神科医のユング曰く「人生の正午」なんだそうです。これから能力が下り坂に向かってゆくのを認識する重要な時期です。そうした40代の彼らは若かりし頃、男女雇用機会均等法が制定され、男女平等をもとに、雑誌、新聞、テレビドラマなどがもてはやしました。時代の先端を行くことから今でも多くのメディアで記事にされています。
彼らの世代の方はエネルギッシュです。親世代がバブル世代の方や少し上の世代の方であることもあり「甘やかされた」というか、「与えられた」世代の方です。ですから何も考えない/考えたくない世代の方なのだろうと思います。
よって無駄に自分探しをしたり、楽(ラク)さを生きる基準とします。そして、根拠の無い自信を持ち、自意識過剰な部分があります。他人と比較を繰り返し、他人の幸せを妬み、野心よりも卑しさが目立ちます。ある意味純粋無垢ともいえますが、子供っぽいともいえます。
結婚と就職での選択の見誤り
そんな彼らはこれまでメディアに踊らされてきた部分があります。その例の二つに仕事の側面と結婚の側面とがあります。
仕事の側面では、男女雇用機会均等法ができたことから、常に平等を先行く世代です。仕事への刺激を求め、得続けないと不満です。社会への貢献よりも自分が「金」、「仕事」、「生活」、すべて得たいと思っています。しかし野心はありません。また転職も平気でします。
結婚の側面では、結婚すればどこかラクができると思っている部分があります。まだ結婚はしなくてもいい、いつでも子供は産める、と思っています。一方主婦の方たちは子供をモノとしてみている部分を有していて、子を育てることより自分が働きたい部分が強いです。また既婚者との恋愛も平気でします。
今後の形
彼らは今後どうなるのでしょうか。私は彼らが更年期障害と向き合い、生きていくには身体だけでなく心のチェックをすることや、性的な役割としては終わりとし、人間としてどう生きるかを考えることが重要になると考えています。そして今後どのような記事をメディアが書くのかにも高い関心があります。
そうなってしまった現況と対策
この原因は生まれたときから何不自由なく、そして挫折も知らずに育ったことが関係あるのだと私は思います。ですから、「何でも得よう」という気があり、簡単な「楽(ラク)」を求めます。そのため簡単に手に入る情報、メディアを取り入れ、騙されます。社会実験的に「人間は何でも与え続けたらどうなるか」をみているようです。
親や、恋人、伴侶、そして子供もどこか「モノ」として扱っている印象があります。社会通念も強くないため、自分の利するためなら平気で不倫をしたり、親や子でさえも「いらない」といって殺そうとしたりします。
恐らく心のどこかで無能感を自分で持たれていますが、それを無意識のうちに「拒否」しているのだと思っています。ですから根拠なき万能感を有し、「常に与えてもらおう」と思っているのでしょう。与えてもらうことが前提なため基本的に行動の責任はとりません。
「あすなろ白書(作:柴門ふみ)」という漫画に出てくる星華のような印象を受けました。本来はどうしようもないはずの自分の”生物としての生き方”さえもコントロールしようとしている印象が私にはあります。
このような方々はいつになったら生物としての限界や諦めを感じるのでしょう。諦めを持つことは一生ないのでしょうか。いえ、生物である以上それはないと思います。早かれ遅かれ、死を感じるときには生物としての限界を感じるものなだと思います。ただ、明確な時期はわからないだけで。
それをこの本を読んで考えました。
田中亜紀子 満足できない女たち PHP研究所 2008.12です。
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