育ての意気込み、渇望で育てる。

 


















 私は小さい頃テレビゲーム狂でした。いつもゲームをしていたかった思い出があります。親は我慢をすることを大切に思ったのか、少なくとも親の仕事に行っている間はゲーム機のアダプタを隠し、私にゲームをさせないようにしていました。それでもゲームをしたかった私は結局他の代用できるアダプターを探したりし幼稚ですが幼稚なりに知恵を働かせてゲームをしていた気がします。今考えるとこうした我慢する渇望が、「どうするか」を育てたような気がします。


見栄


 最近の親御さんは見栄があり、子どもが欲する前に何でも与えるそうです。他人が与えているからうちも、などと世間に、親だけでなく子どもも流されています。そして、結果を大事にしすぎ生き方に悪影響を及ぼします。

 これが進行すると欲やお金に簡単にだまされるような人間になってしまう恐れがあります。また子どもの甘やかしが連鎖し、親の欲で子どもを育ててしまいがちになります。するとニートの子や無気力な子が今後ますます増えてしまうと思うのです。
 これは国や親として、働き手がいなくなる恐れがあるので組織を運営する上で問題です。ですからそれを防ぐためにはどうすればよいか考える必要があります。その方法のひとつとして親心と他人心を考える必要があると思います。そこでこれらについて書き、人を育てる場合に重要なことを示します。


親心と他人心


 親心とは子どもの心との駆け引きです。甘えを甘やかしと区別します。場合によってはわざと子どもに劣悪品を持たせて反骨精神を養うのが子どもにとっていいのかもしれません。さらに将来の守る姿勢と、成長を待つ姿勢を大事にし、無理なら無理、ありならあり、と言った有限実効することも重要だと思います。
 他人心は誰でも負荷を抱えながら生きていることを経典や語り聞かせることで理解してもらいます。そして誰でも迷ってしまうこともあることを学ぶことが重要です。


重要な「してやれること」


 子ども(や若者)を育てるときには特に最初の取り組みが重要です。それぞれの子に素質の違いのあることを認め、基礎があっての応用であることを認識します。
 そして子どもの乗り越えられそうな障壁を低い順番に徐々に設定していくことに加えて乗り越えたときの気持ちを都度聴くことが重要なのだと思います。
 それにより、自分の気持ちを知ることだけでなく他人の気持ちにも知ることに目が行きます。


それを以下を読んで考えました
多湖輝 「ガマン」を教えれば「やる気」のある子に育つ 新講社 2009.6です。

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