出来事を行動と感情とに分けませんか
私が先日両親の家に行った際、やたら必要としていない食べ物を与えられました。また両親と話をしている際、ある出来事を言うにしても、事実の発言なのか、あるいは何かしらの意図を隠している発言なのかで、混乱しました。なんでも不自由なくものを与えたい、あるいは子は親の様子を見て何も言わずとも読み取るべきだ、これは戦後の社会を生きた価値観で有効であったのかもしれませんが、今私が有する価値観とは大きな「違い」を感じます。
これは女の子と男の子の場合における表現の違いにもあらわれます。「寒い」という表現をする場合、男の子の場合の多くは事実として「寒い」と発言します。それに対し女の子の場合の多くは「寒い」という発言の中に「だからなんとかして」という意図を持っていることがあります。
こういった考え方の違いがわからないと、極端な考え方を有するようになり、感情の敏感さがなくなって、ものごとに感じなくなってゆきます。すると世の中の微妙な変化も捉えることは難しくなります。これでは問題です。ですから問題と発展する前に、自分の中で感情のわずかな変化を知ることは重要です。
そこでここでは出来事を事実(行動)と反応(感情)とに分ける方法を書きたいと思います。この分け方を知ることで男女関係だけでなく、親子関係、社会関係など、活かすことが出来ると考えています。
出来事を事実(行動)と反応(感情)とで分ける。
図1.多くの行動は事実(行動)と反応(感情)で成り立っている |
出来事には感情がつき物で、人間は行動しながら感情を有しています。それを日常生活の中で認識し、掘り下げられないのは残念です。掘り下げるには出来事を事実(行動)と反応(感情)とにわける必要があります。
分け方として具体的には①「It's何々」(事実の提示)②「I Think何々」(感情の提示)③「I want to 何々」(だからどうして欲しい、そして感情的にどうなるかの提示)④「Thank you」(聴いてくれてありがとうございます。という気持ちの提示)という「型」を用いると分け易いのかもしれません。ちなみに上記1~4は相手にものごとをお願いする場合にも使えます。
薄い人薄くない人
時折事実の確認をすっ飛ばしてポジティブシンキングだけしかない人が世の中には居ます。そのような方はたいてい考え方が極端で「薄」く、そして打たれ弱いです。なぜなら事実が見えず、自分の感情を物でごまかし、解決している部分があると思うからです。
例えば本来正解が出ないものでも、なぜか無理やり正解を出そうとする部分があります。自分の「生き方」を自分探しの「旅という形」に見出そうとしたり、です。
一方、事実と感情をわけられると、ものごとに二面性のあることがわかります。また心の中ではごちゃ混ぜな気持ちを言葉にすることで、一つ選択しています。それが主観となりまた客観となって「よく=(偏りない)」生きることができます。余裕を持ち合わせることから、社会や組織、個人の気持ちへの、微妙な矛盾へも気付くことが出来るかもしれません。
それを以下を読んで考えました。
母布岩奈々 感じない子どもこころを扱えない大人 集英社 2001.7です。
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