good lifeを得る。
物事には理由があります。そして①過去から現在、未来へという流れをたどります。②事実と思いとがあります。これらをうまく使えないと、不幸になります。幸福に生きる場合それでは問題です。では、問題を解決するためにはどのような対処法や考え方があるのでしょうか。ここではそのひとつ、私の考え方を書きたいと思います。
接する対象
受験勉強のような、限られたときの合格といった小さな結果や考え方でなく、学問を究めるといった長期的な、終わりのない視点を持って臨んでもらいたいです。
また、思いにとらわれすぎてしまうと思い込みや過信となり結果的に修羅場や死などの「地獄」を見て学ばざるを得なくなると思います。
そこで会社でしたら新人さんをおもてなしの心で迎えたり年下の先輩でも認めたりすることが必要と思います。
そうするには相手と自分との距離があることを認識して、ある程度で線引きをする必要があります。親しいヒトとより深く接し、無理に誘ったり誘われない関係を作ることで関係維持を期待できるかもしれません。
ただその際信頼を得る場合には、あいまいさを排し誠実でないとなりません。そして何からでも学びを感じ取ることが大事だと思います。すると、反抗には理詰めであり、かつ単語だけで発さないようになります。
そしてクレームからの開発やフィードバックをする視点を持つことが出来ます。
接する感情と行動について
接する行動には感情がもとにあり、だめでもともとな気持ちを持つとで吹っ切ることができます。そして変わる意識をもつことで、組織を使って楽しく(≠楽に)生きられます。
日本人の多くはさも知っている:甘えの気持ちを相手に押し付けることがあります。すると責任を放棄し、うじうじ考えてしまうことがあります。そうしたとき、自分が失敗し迷惑を相手にかけた場合、謝りますが言葉として謝っていたとしても気持ちが謝っていないことがあります。
その原因は、①謝る気がない②知らないであると思います。②なら教えればよいです。①は実際地獄や不幸を味わってもらわざるを得ず、厄介です。
悪感情から発せられる悪口とおせっかい
得る感情は良感情と悪感情とがあります。これらを使う場合、味わうことはもちろん、言うことと言わないこととが良くも悪くも大きな影響を持っていると思っています。
また「目は口ほどに物をいう」という言葉があるように、言葉だけでなく知らず知らずのうちに態度で表現されてしまっている場合もあります。
特に悪感情から発せられる言葉には悪口があります。類は友を呼ぶ言葉があるように、悪口を言う人の周りには悪口を言う人が集まります。そのような場合、例えば悪口を言う集団に自分がいたとして、自分自身が悪口を言わないようになると、悪口を言う集団が自然と付き合わなくなります。何事も自分の行動を変容させることで周りに影響を及ぼすことができます。
悪感情への私なりの対処
相手が何度か同じ感情を持たれて話をしている場合、私は、一回目は聴き、二回目は一歩下がって聴きます。一歩下がるとは、「どのようなことからそう話すのか」を考えることです。すると同じ話を聴いていても違った視点を持つことが出来ます。
また悪口へはよい面を逆説的に考え、伝えるようにしています。悪口とよい面は表裏一体なので悪い面を知れることは良い面を知れることでも有ります。そして良感情になると自分や相手の関心を別のものに変えられます。
それを私はヒトに指導時する場合に使います。相手を直接見、接することでどうしたいのか、マシーンのような人間になるのか、マネジャーのような人間になるのかをお聴きします。そして「足るを知る」生活を望むよう強制しない範囲でアドバイスします。
そうしたなか過度の過信や執着心を抱いている人も居ます。そのような方は俺は凄いんだぞ、よく見られたいという気持ち、本当のかっこ悪い自分をさらけ出すことが出来ない怖い気持ち、がそれぞれおありなのでしょう。どこかきれいごとを並べ立てる「嘘の上塗り」をしている傾向にあり、むなしく感じます。
以下を読んで考えました
菊原智明 29歳でクビになる人、残る人 PHP研究所 2010.9です。
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