変化を生きるために必要なのは学校よりも会社かも。
人間は一筋縄では上手くいきません。イノベーションをもって変わり続けることが望まれます。そのため、意外性を常に持つことは重要です。意外性とはリスクとも、エラーとも、想像性、遊びとも言われます。これがあって能力と給料のような現実と理想の差があらわれるのです。その差を埋めるための機関として学校という組織があります。しかし学校は現実とは分けられ、現実とは離れます。そこで現実を教えるという場面に立ったときには「会社の教育」が今後より大きな影響を持つと思います。そこでここでは企業と学校との教育方法の違いについて記します。
現実との差を埋める場所
理想と現実との差を埋めるためには効果の測定しやすい即興性の場、アドリブの場が必要です。教え教えられるといった、エンカウンターから本気で付き合える人材育成をします。この人材育成は見えるものではありません。それゆえ今後の技術革新で目に見える形に出来るかもしれません。
この差は企業と学校との間にもあります。私は現実世界を生きるためには企業の教育が重要だと思います。しかし一方で学校の教育が良いと考えられる人も居るのでしょう、それぞれの違いを以下に記します。
企業と学校の違い
企業は知恵が大事にされ、現実に即した開いた社会です。資本主義社会では必要です。社会貢献がいわゆる利益となっています。職種や業務内容によって重なり合いがあります。
学校は知識が大事にされ、現実とは乖離した閉じた社会です。資本主義では必要ではないかもしれません。官僚主義で、権威が至高です。学問間ではつながりがなく、項目ごとに分断されています。
これらが乖離すると問題が起こる
この差が機能不全を起こしたものとして近年のちょっとした問題があります。たとえばグローバル社会で、日本の常識を世界に適応しようとすること。出過ぎることを悪いと思い、気持ちでも何でもさらけ出さないこと。事実に基づかない経験や人を信用しすぎ、考えないこと。がそうです。
現実な社会との歪みをとるためには現実に即した形の対処、すなわち会社における教育を今後はもっと重要視する必要がある、私はそう思っています。ただ、細かい対処の話は各企業で異なると思います。
それを以下を読んで考えました。
酒井穣 「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト 光文社 2010.1です。
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