発想法も守破離から
茶道や武道、芸術の世界では「守破離」といった方法を用いて先輩や先生の技術が伝承されます。これは発想する場合でも応用することが出来ます。具体的には情報を取り入れ、洗練することです。こうした行動で発想することが出来ますが、そのなかでもここでは発想の必要な理由と、発想をするための方法を記しました。
これから考えられる未来
江戸時代における日本の文化は保守的であり、自分の将来がわかりやすい、想像しやすい社会でした。そうした時代に比べ、明治期には外国文化が流入し、保守的な文化だけでは立ち行かなくなってしまいました。加えて1970年代からは高度経済成長がなされることで、ひとつの事柄でも複数の選択肢を持つことが考えられました。その結果現在では将来の想像することが容易ではない、すなわちわけのわからない状況になっています。
そうした将来が想像できにくい、わけのわからない状況であると、むしろそうだからこそ新たな発想が望まれ、出来るのだと思います。しかし逆にそうした発想を持つことに執着し過ぎてしまうと、新たな発想は育まれない危険性も考えられます。
そうした意味で発想は非常に「やわ」なものであり、また目に見えないものであことるから証明しにくいです。そしてそれは医学や工学、理学など必要とされる場面も多くなっているような気がします。
一方で近年の機械化技術の発展から目に見えないものも、どんどん見える化わかりやすい化する社会になりつつあります。今後ももっとわかりやすく、そして見えやすい社会になる可能性はありますが、ともすると人間らしさが失われる危険性を含むと私は危惧しています。
発想法を見出す方法
こうしたことを考えた上で人間性をなくすことなく新たな発想が求められています。その発想を作る方法は以下の二段階で考えられると思います。
①つに取り入れることです。先入観や固定概念をなくし、情報を受け入れるようにしたり、あるいはものごとを逆の視点から受け止めることでさらには物事の「なぜ」を受け止めると考えを深めることがでます。
例えばこれまで定説とされてきた理論でも、本当にすべての場面でその理論が当てはまるのか、あるいはそうした理論の出来た背景はどのようなものなのか、といったことを考えることで、既にある理論を否定的な見方から自分なりのものの見方を持つことが可能です。
②つにそぎ落とすことです。情報を捨てる、あるいは部分的に集中したり、共通点を用いて組み立て直したりします。
一般的な発想をする場合にはKJ法やブレインストーミングなどの方法が用いられますがこれも人によって合う合わないがあり、発想の方法にもおそらく万全なものではないのだと思われます。
①②がなされることで発想は生み出せることから、発想法は武道で言うところの「守破離」と似たものがあるのではないかと考えています。
それを以下を読んで考えました。
結果が出る発想法 逢沢明著 PHP研究所 2008.1です。
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