好きなことや興味のあることだけしてもいい



 昔から苦労してこそ労働といわれています。そうした努力論・精神論も結構だとは思います。それで本当の力が付けばよいと思うからです。
 しかし必ずしもそうなるとは言えません。だとすると嫌いなことを一生懸命努力をして普通になろうとするより、場合によっては好きなことをより伸ばし続けると強くなる部分もあるのではないかと考えます。
 そうした好きや興味深いことについて、ここではそれを続ける大切さを書きます。


世に多い努力論


 高度経済成長期などのかつては、努力や精神論で上司や経営者についていけば安定したお金や地位を獲得することができました。たとえば車、持ち家、高級時計など、目に見えるわかりやすいものを得られ、未来も想像しやすく安心できた部分もあったと思います。

 受験勉強についてもそうです。日本では大学に入ることが難しいです。その状況下で、難易度が日本一の東京大学に入るため苦手科目をなくせ、努力をしろ、などということがあると思います。


恐怖や恐れから来るしたくない行動の末路


 それでも結果が出ればよいのだと思います。しかしそのようなことは特に最近、あまりないのではないでしょうか。

 前者の例で言うなら突然大会社が平気であっさり倒産したりしますし、後者で言うならせっかく東京大学に入っても自殺されてしまう方もいたりすると思うからです。(後者のそれは無理な努力をしたからそうなった、などとといった関係はつかめませんが。)

 加えてそうした恐怖や恐れ、不満から学ぶ努力や勉強は本能的にしたくないことをしているであるとか、やらされてる感を感じてしまうのではないでしょうか。
 すると一時的には能力を高めることはできたとしても期間が長引くにつれ、体力を消耗してしまいます。場合によっては反抗的になって能力が落ちます。親に怒られ続けた子供が親を無視するように、です。すると指導するほうも指導されるほうも、ともにしんどくなってしまいます。

 またこの恐怖や恐れで動かすシステムをし続けると、効果のないと思われることにはリソースを割かないといった非常に効率化を重視しすぎる無味乾燥した社会になりかねません。そうした社会でも機械だけで動いている場面やAIだけで動いている場面ならばそれでもいいかもしれません。
 しかし現在の社会は人間が動いて作っています。人間は機械に比べて非効率の塊です。そしてその非効率なことは決して悪いことでもないと私は思っています。


逆に徹底的に興味のあることをしているか


 具体的にはどこがそうかというと、新しい考えを生み出せるところが、ということです。

 敢えて非効率持つことで自転車の遊びのような余裕を持てます。その余裕が他との関連性を持ち寄り新たな発想が持ちえます。

 また逆説的に効率化を重視したことで名をはせた人は少ないように思います。

 ですから新たな発想を持つことと、有名にもなれることを考えるのなら、恐怖や恐れ、不満などといった無理なことにいつまでも時間を割くのではなく、もっと有効に時間を使ってはどうかと考えます。

 それには自分ブランドを確立・維持するため読書や体験によって自分が興味のある分野に詳しくなること、それを発信する機会を持つようにすることが大切と思います。



自分の好きを貫く功績


 皆がひとつの力を伸ばし専門家になることで、お互いの知をシェアしあうことができます。自分の不得意分野を他の人がカバーし、自分の得意分野を他人の不得意分野にカバーできます。そうした助け合いの形があると、社会や組織の多くの課題は現在より、より多く達成することができるのではないでしょうか。


自分の好きを貫く弊害


 ただし多くの場合好きなことだけにこだわってしまうと特に常識やマナーに従わない場合において、周りと軋轢の生じることは心得なくてはなりません。ですので好きや興味を貫くことを考える場合には他を跳ね除けるだけの覚悟を持って欲しいと私は思います。

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