皆したい仕事をしたら良いかも
嫌な仕事を丸抱えして苦しんでいる方が居る一方、楽しい仕事しかせずにそれなりに楽しく生きている人も居ます。そうした前者のような人が後者のような人に変わるには何をどうしたらよいのでしょうか、ここでは仕事の仕方についてどうすれば嫌な仕事をせずにすむかといった小手先の方法を書きたいと思います。しかし結局は自分の心持次第な部分もありますから、小手先の方法だけでなく自分自身の心に問い直す必要があるような気がします。 「仕事は完結させる」幻想? 仕事を丸抱えで苦しんでしまう人の中にはどこか「仕事を完成させなければならない」といった執着があるのかもしれません。もしくは「相手をがっかりさせてはならない」といった思い込みも影響しているのかもしれないと考えます。 確かに与えられた仕事はする以上完成するのが望ましいです。ですが得意でなく低いクオリティで仕事をこなしたとしても相手はあまり嬉しくないです。そして完成させてしまった場合には次回以降同じ仕事が来る可能性があります。嫌な仕事が何回も舞い込む場合、確かに慣れ的な部分である程度は最初よりは仕事が早くクオリティが高くなる可能性はありますが、あまり楽しいとはいえないでしょうし、そもそもそれを好きでしている人に対しては着眼点も異なり全く適わないことが考えられます。 というよりそもそも「嫌な仕事なら完成させる必要も無い」のかもしれないです。与えてくれた人も結果として仕事が完成できなかったりクオリティが低いようならば以後その仕事を積極的に与えてこなくなることも考えられます。その場合、何もせずに拒否するだけなら「してから言え」という話になりますが、実際にやれるだけはやったけれどもこの程度しか出来なかったということならば他人はどうしようもない部分があるのではないかと考えます。 一方興味深い=好きを追求する利点 好きな仕事あるいは興味深い仕事をしていたらその周辺の部分についても知りたくなると思うのは自然ですし、仕事自体の専門性的な部分も繰り返すことで目が肥えだんだんと深く大きなものになっていく気がします。 選択を迫られた場面では嫌だと思っていたり拒否されたりして遠ざかっていたとしても、後々自分の専門性が磨かれることとなってだんだんと広く目が見えるようになるにつれ、好きだったり興味深かったりなることは考えられます。