相手に合わせる重要性

の願いと小遣い稼ぎと

親は子供がよい生活ができることを願っています。
そのため子どもを少しでも高い偏差値な学校や大学へ入れようと
塾へ、予備校へ、通わせることがあります。
そうした親の考えを見越して市内にも多くの塾や予備校が多いです。

多くの塾や予備校がある中で、私は一時期、塾講師をしようと考えていました。
数学と化学がそこそこできましたし、本業ではないにしても
多少の小遣い稼ぎにはなると考えたからです。

これまで塾講師の経験がなく、教員志望でもない私は
他の人の授業を見学させてもらう機会を持たせていただきました。
そしてその人の授業をみて「なるほどな」と思ったことがありました。
人(子)を見て発言することの重要性です。
そうしたことをここでは書いていこうと思います。


業の内容は・・・普通

授業はテキストを使っていて、それから問題を作り、解説するものでした。
とりあえずの基準はあるものの、生徒のテストのできる質はまちまちで
すると教師は子供らの前では最大公約数的な発言をせざるを得なくなります。

しかし最大公約数的な発言をしたとしても、集団の中は理解力の差がありますから、
優秀な子は「そんなんとっくにしっとるわ!ボケ!」と思っている態度に出ていますし、
逆に残念な子は「なにいっとんかさっぱりわからん」といった態度が見て取れました。

その様子を見ていて、
「教員は体裁をつくろうのに精一杯で、生徒なんかみていないんだ」
と、引いて見てしまいました。そうした役割なのかわかりませんが
授業も終わったら即解散していますし、発言に対するフォローもありません。
その授業をみていて寂しさ、変さを感じました。

こうした心の交流が亡くなり続けると、もしかすると
子供が荒れ狂い、それを抑えようとする大人画で気軽のではないでしょうか。

そうならないためにも私が授業するならば
もう少し一人一人にあった発言をしたいと思いました。
教室が広く一人でみる生徒さんが少なければどんな楽か。












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