官僚=公務員の役割と存在


 自己紹介をするときに自分の所属を事細かに言う人が居ます。これは自分の所属している組織の責任を自分の責任と過信し、見栄があるのだと思います。見栄は力を出す意味である程度あるのはいいと思います。しかしありすぎると問題です。そのような見栄のありすぎる方は、優秀な方に多いです。その優秀な方の一つとして国を作っている官僚がいます。その「国の公務員=官僚」についてどのような役割と存在なのか、ここでは批判的な書き方をしたいと思います。


質問発表会という議論場への疑問


 官僚の方々には見栄がありますから、非常に優秀です。何事もどこか上手くやろうという気があります。ですから本来議論をする国会の場で、質問を事前に根回しします。はたから見てるとこれは議論でなく、質問発表会です。会議は全員一致が前提だといわれていますが、これもおかしな話です。まるで共産主義国のようなことが民主主義のトップ、国の機関で行われています。


最高のマシーン、官僚


 彼ら官僚を公務員として考えた場合①無駄なき完璧性②最高のマシーンとなることからスピード重視です。しかしスピードを重視してどうするかは考えているのでしょうか。どうするか考えずに速さが最高のマシーンになっても、制度の中にいるだけでそれを打ち破るような新しいものは生み出せないのかもしれません。すると、世に多くいる民間人や世間との価値観とはずれてくる可能性があるのでは、と私は思います。

 ですからそうした極端なスピード主義を行き過ぎさせないために、見栄をなくすことは難しいにしても、減らす方法を持つことが大事です。そのための対策として①人情を持ち、敬意を持つこと②愚痴も聞き、素性を知ること③無駄なことが実は無駄ではないことも知ることがあると思います。

 ちなみに私は公務員は向かないと考えています。なぜなら効率よく動く意味を考えてしまうからです。


最高の公務員はなぜ勉強をする


 官僚は法案作りのため毎日勉強しなければならないと考えています。基本的には本からフォトリーディングを用いて手早く理解することもあるそうです。

 方法としてフォトリーディングがあるそうですが、私はフォトリーディングで本や文章の内容を理解できるのか疑問です。誤訳することもありそうでしす、そもそも考えることには向かないような気がします。ですからフォトリーディングをするよりは、文や内容をあるがままに読み込むのが良いのではないかと思います。

 そしてそもそも勉強自体が必要なのか疑問に考えています。詳しい人に責任と権限を投げてしまえばよくないか?と思っているからです。専門家を打ち負かすほどの知識をいくら有していたとしてもそれはどこか専門家を専門家として軽視している部分があるようにも感じます。



それを以下を読んで考えました。
久保田崇 官僚に学ぶ仕事術 毎日コミュニケーションズ 2011.5

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