現実以上の理想はなく、現実を楽しむのには支えが要るかも。
考えすぎかもしれませんが、厳しい規制は監視されている気がして意気消沈します。 |
ものづくりの現場において、消費者側が法律や認定と言った
規制・理想を大事にする文化がなぜか増えてきています。
これは現実的なものを作るうえではどうしても足かせとなります。
場合によってはものが出来なくなるかもしれません。
これはものづくりを目的としているメーカーにとっては問題です。
そこでここでは規制とは何か考え、
特にメーカーの場合において規制に支配されすぎないよう
現実的な視点に立って
新しいものを生み出すにはどうするかを考えたいと思います。
理想主義者が増えている?
国に資格の保障を求める国民、協会に認定を求める消費者、
皆さんどうも規制することに価値を置きすぎているような気がします。
規制とは理想です。
これが前提になることで新しいものは生み出せないと思います。
本来の規制という理想は下図のように現実の下にあるべきものです。
図1.現実(ものの生み出し)と理想(規制)の立ち位置 |
しかし規制があることに安心し慣れてくると、
民はだんだん規制を高く求めるようになってゆきます。
そして最終的には規制が現実以上になります。
すると「駄目」、「してはならない」と言ったことが前提に立って、
生む楽しさや、面白さと言ったものがなくなります。
これでは結果としていいものが生まれませんし、
何かに押さえつけられている気がします。
規制の例:携帯電話
例えば携帯電話本体が言えるでしょうか、
携帯電話は現在、
法律上は総務省のお墨付きがないと日本国内では使えません。
そしてそれを3つのキャリアが他社の参入を抑制しています。
(多くの機種を、3キャリアが、各メーカーに、製作依頼している)
すると競争がなくなります。
競争がなくなると、携帯電話の普及は期待できますが
各携帯電話メーカーは差別化をする必要が無くなり
各キャリアの個性や使う楽しみ、
作る楽しみはどんどん殺されてゆきます。
これに対し、海外機種は基本的に規制がありません。
日本仕様にはなっていないため手厚い保障はありませんが
個性が出ているものが多く、
「使う楽しみ」や「作る楽しみ」を目的に見た場合、
私は海外製品のほうが勝機はあると思います。
現実と理想の生き方の違い
こうした日本の携帯電話業界のように規制のなかで生きる分には、
何も考えずラクで安心なのだとは思います。
理想の中で生きたいと思っている頭がお花畑な人には最適なのでしょう。
しかしこれが進むと最終的には意気消沈してゆく気がします。
そして意気消沈な状態が続くと何も出来ない、
何もしたくないといった考え方や
そういった考えを持った人が増えていく気がします。
これはどうなのでしょう。
私は人として問題になるのではないかと思います。
現実を楽しむために、支える人の利用。
そこで、生み出すことに楽しみや
面白みを見出すことが必要だと思っています。
そのためには自分で考えるようになることは勿論大事なのですが
自分ひとりで考えることが難しいと考えられるのならば場合によっては
楽しみを伝える伝道師のような存在が必要になるのだと思います。
私がそうした伝道師の役を担うことが出来ればいいとは思っています。
勿論私でなくとも、そういった力のある人の
何らかの助力を利用してもらうのも手です。
吹奏楽で言うならば吹奏族のような
「吹く楽しみ」を全面的に押し出したり
ものづくりの研究者と一緒に話を通して
「開発する楽しみ」を出せればと考えているのです。
そして支えた人(被支援者)は
最終的には独り立ちすることが望ましいです。
支えるという言葉を見ると
ついつい援助的な押し付けという役割を想像しがちですが
あくまで本人の意思を尊重し
一緒に考えてゆける形が望ましいと考えています。
結論
現実と理想とを区別し
- 作る楽しみ、面白みを知る。
- もしくは支えを利用する。
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