捨て箇所を見誤ると組織は終わる。大学組織から。


 世の中スペシャリストからジェネラリストになる人は多いですがジェネエラリストがスペシャリストになる人は少ないです。これは捨てることから拾うことは簡単ですが拾うことから捨てることは難しいからだと思っています。こうした「捨てる」選択ができないのは、捨てる箇所と捨てない箇所をよくわかっていないからかもしれません。
 これは組織の中でもあります。一例としての大学がいえるでしょうか。大学は本来研究機関で、かつては少数のエリート養成機関でした。ですが最近ではその目的を廃して、大学側が、誰でも多くの学生を入れようと奔走しているケースを目にします。学部も目で見ればわかりやすいように徐々に細分化し、作られる一方でやめられることは少ないと思われます。目指すべきところはどこなのか、よくわかってない状態なところが多いです。これではいずれ高等教育機関、研究機関としての形がなくなり本来の役割は果たせません。これでは問題です。
 そこでここでは大学を例に取り、大学だけでなく一般的な組織という部分においてうまくいく組織運営をするにはどうするか、何を捨てるかを重要視することについて考え、書きました。


高等教育機関は中等教育期間とは違う


 最近、大学を中学や高校の延長線だと思っている教育関係者も少なからずいます。しかし中学や高校は中等教育機関で、大学や高専の高等教育機関とは異なります。
 私が学生の頃には多かったように思いますが、一部の先生と呼ばれる方には「教えさえすれば良いだろ」と言った考えを持たれている方が居ました。
 ですがこれでは研究を目的としてたりエリート養成を期待している学生さん(お客さん)にとっては目的が果たせず困ります。
 ですから研究を主軸として研究の技術をわかちあう役割として、先生方には尽力してほしい、と思います。


質と量とは違うことを知ってほしい


 そうした大学の組織の中で、組織維持する目的を持たれている方の中には「(収入を確保するために)とにかく客を集めればいいのだろ」そうすれば有名にもなるし、レベルも上がるだろうと思っている方がいます。しかしこれはまったくの誤解で、量と質とは本来相容れないものです。

 プライドを捨ててお客さんの量を増やせば、短期的な収入は増えますし、確かに統計的な数値はより正確に出せるのかもしれませんがそうしたからと言って必ずしもレベルアップを期待できません。し、長期的な収入を期待することは難しいと思います。ですから質を上げるには質を上げるための行動を移さねばならぬのです。

 例えば大学運営を今後も続けていこうと考えた場合少子化の煽りで18歳の学生が少なくなったことから「シニアに向けて開学しよう」などという行動をとっているような大学があります。こうした大学は人数を増やすためだけの安易な道に走って根本的な解決に至っていない、いずれ廃れる可能性がある、と思います。

 ですから大学でしたら研究としての質を高め、続けていく勇気を持つのと同時に失敗をし、繰り返しながら学んでいくと言った内容重視の考え方に変えていく必要があるように思います。


大学が専門学校化してる


 と言って内容を見なおそうと考えても組織の力は大きいですから簡単に変わる、変えることはできないと思います。すると学生にわかりやすい名前にするように学部や学科名を細分化し、就職実績を掲げ、自分の大学の良さがどれだけ素晴らしいかを言う場合もあります。

 ですが、これは大学の専門学校化とは言えないでしょうか。というかこうしたわかりやすさ重視の大学や就職実績を全面に押し出した大学は、専門学校とどこが違うのかがわかりません。収入をふんだくるために大学という傘を着て弱者をいたぶっているように思います。

 そういう意味ではいらない大学は早々に切りやめ、あるいは組織の中がそうして腐っているならば早々に見切りをつけ新しいマニアックで体系的・論理的学問分野に着手する。あるいは自分の専門分野と言える部分を押し出せる組織や個人で自立する。もしくは専門学校との明確な差別化を打ち出す。これが生き残る道なのではないかと考えています。


振り落とすこと深めること許すこと


 また教員や組織運営者として、育てる学生や従業員へは、専門的な分野で戦い、ついていけないものを振り落とす考えで鍛える。なぜそのような学部や組織に来たのかなど、内容を深める。ことも必要になるように思います。

 もちろん向き不向きの問題もありますから、すべてがすべてのひとに等しく適応するということはないと思いますが、間違いに気づいた場合に早々に進路を変更できるような、失敗を許すことができるよう、拾うことが大事だと思います。

 支えるものとして考えるならば支援を予備として持ったうえで一線で戦えるスペシャリスト的な人に育ってもらいまだ見ぬ無数のチャンスのある社会を期待して不安な中にある世界を生き抜いてほしい、と、そう思います。


それを以下を読んで考えました。
倉部史記 文学部がなくなる日 主婦の友社 2011.3です。


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