自立するには
依存は確かにいい面も有していますが最終的に「生きること」を考えた場合、依存とは反対の自立的な考えも必要になります。日本は母性的な社会と言われていて、依存的な文化が背景にあります。すると周りの多くが依存的だと考えられますが果たしてそれに合わせて自分も依存的になってよいのでしょうか。「誰か」の指図に従って行動し、失敗したら指図した「誰か」を批判し満足するのでしょうか。それではあまりに生産的だとはいえません。そこでここでは生産的、自立的な生活をするにはどうするか。自立の方法を書いていきたいと思います。 見方を変える 日本では謙遜文化というものがありますが、これを卑屈と勘違いされる方がいます。しかしこれらは決して同じではありません。自立的な考え方を有していたとしても、自分の良いと思うことを相手にしてあげたいと思うことから謙遜的な行動を取ることがあります。そうした意味で見方を変えることは重要です。 世にはびこる人との接触 昨今では技術の発展によって効率的な生活ができつつありますが、一方ものづくりだけでなく 人間関係でも効率的な生活を目指し、人間関係の調整する労力を放棄しつつある ことがあります。 これが問題となって表面化していることもあるようです。例えば引きこもりの問題などが考えれるでしょうか。 普通、社会化の第一歩は家庭と言われていますが、近年はだんだん家庭も小さく、個室的になっています。最小単位、最低限で家庭が存在し、昔で言うところの 父親のような抑止力になるものがなくなってき ています。 そのため抑えを失った家庭は刺激をどんどん求める結果、例えば家庭の後の学校や会社において、どんなヒトでもいいから昼食を取る仲間がほしいなどといった事からランチメイト症候群になることもあるようです。 他人とご飯を食べることを第一に考える暇があるなら仕事や学業を専念しろ!と私は思います。 かつての日本と現在の日本 こうした文化が起こった歴史的な背景は古くは縄文時代から、自然を大事にし、どこかで自然には打ち勝てないことを知っていた、つまり自分ではどうしようもできないことのあることを知っていた、からそうなったのかもしれません。 国だけでなく庶民の文化でもこれが大く浸透していて、行き過ぎると、いずれは内容よりも箱があれば良