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2月, 2015の投稿を表示しています

自立するには

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 依存は確かにいい面も有していますが最終的に「生きること」を考えた場合、依存とは反対の自立的な考えも必要になります。日本は母性的な社会と言われていて、依存的な文化が背景にあります。すると周りの多くが依存的だと考えられますが果たしてそれに合わせて自分も依存的になってよいのでしょうか。「誰か」の指図に従って行動し、失敗したら指図した「誰か」を批判し満足するのでしょうか。それではあまりに生産的だとはいえません。そこでここでは生産的、自立的な生活をするにはどうするか。自立の方法を書いていきたいと思います。 見方を変える  日本では謙遜文化というものがありますが、これを卑屈と勘違いされる方がいます。しかしこれらは決して同じではありません。自立的な考え方を有していたとしても、自分の良いと思うことを相手にしてあげたいと思うことから謙遜的な行動を取ることがあります。そうした意味で見方を変えることは重要です。 世にはびこる人との接触  昨今では技術の発展によって効率的な生活ができつつありますが、一方ものづくりだけでなく 人間関係でも効率的な生活を目指し、人間関係の調整する労力を放棄しつつある ことがあります。  これが問題となって表面化していることもあるようです。例えば引きこもりの問題などが考えれるでしょうか。  普通、社会化の第一歩は家庭と言われていますが、近年はだんだん家庭も小さく、個室的になっています。最小単位、最低限で家庭が存在し、昔で言うところの 父親のような抑止力になるものがなくなってき ています。  そのため抑えを失った家庭は刺激をどんどん求める結果、例えば家庭の後の学校や会社において、どんなヒトでもいいから昼食を取る仲間がほしいなどといった事からランチメイト症候群になることもあるようです。  他人とご飯を食べることを第一に考える暇があるなら仕事や学業を専念しろ!と私は思います。 かつての日本と現在の日本  こうした文化が起こった歴史的な背景は古くは縄文時代から、自然を大事にし、どこかで自然には打ち勝てないことを知っていた、つまり自分ではどうしようもできないことのあることを知っていた、からそうなったのかもしれません。  国だけでなく庶民の文化でもこれが大く浸透していて、行き過ぎると、いずれは内容よりも箱があれば良

PSWとしてツールや手段として記録の意味

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 「帳票のために仕方なく記録せざるを得ない」「なぜ記録を取らねばならないの?」と言ったことを聴くことがあります。これは記録を「死んだ」記録としてしか使っていず、生かしきれていない意味で問題です。そこで記録をどう使うか、どう生かすか考えることで、先を見据えた記録のつける意味について考えて見ます。ここではそうしたことについて書いてみました。 記録や面接技術は道具  記録や面接技術はあくまでもツールです。そしてツールを使って作ったデータは私は主観全開で構わないと思っています。なぜなら多くの主観の集まったものが客観だと考えるためです。(そのためには主観のデータを複数用意する必要がある。)  特に記録は書き方によって、ゴミにも宝にもなるもので記録を上手くつけることによって、今後の問題対処へ利用することが出来ます。  例えば普段とめどない話しかしていなかったとしてもその言葉から相手は何が言いたいかを考えたり、あるいは言わんとしている根深い問題を類推したりすることで、近い計画や遠い計画を作るときに役立てられます。そのために査定や事前評価、アセスメントすることが必要となります。 記録を逆に利用する。成長することが出来る。  特にアセスメントをする場合、 実行(D)し、確認後(C)、改善(A)すると言った意味ではPDCAサイクルを意識的に回す ことが大事です(下図1)。  特に記録からつけ始めるとPDCAの確認(C)から始まることとなり後の対策(A)、計画(障害福祉計画など)(P)を立てられます。 このサイクルを記録を通して回すことにより自分そして相手の成長を期待 できます。 図1.PDCAサイクルの図  またで記録を通して できないことを受け入れるとともに相手の考える機会を奪わず、行動の再確認をする ことが大切でさらに 行動の再確認から見方のずれを利用して焦点を変えることも必要 になるでしょう。  それにはリフレーミングの技術も使われることがありますが、 濫りに技術を使うことをせず、理由や考え方を持ったうえで実行する ことが重要となるような気がします。

PSWとして役割と自身の問題

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 PSWにとって、 PSWとしての役割と自分自身としての問題を分けて考えることは重要 です。これが出来ないと自分だけでなくお客さんも最良の生活を考えることは難しくなります。  ですからここではPSWとして活動していくにあたり考えたほうがいいであろうそれぞれについて書きました。 PSW仕事上の役割  現状、多くの福祉が医療の中に存在するわけですがその中で倫理綱領や法律上の決まりがあります。それらを時折振り返り、実際の問題へ対処することが重要です。定期的にそのような学ぶ時間をとってもいいのかもしれません。  そのうえでPSWとして問題へは実際に取り組んでわからないことへの対策を考える必要があると思います。考えられる問題として 生活全般なことと 働くことと があるでしょうか。  生活全般問題への対処としては 居場所づくり があります。病気前提で考えることなく、 存在するだけでもいいと認める のです。経済的に自立していたとしても人は話したりしたいものです。ですので居場所を作り、存在するだけでいいよ、ということでさらに成長することが可能だと考えています。  次は働くことです。 日本人の国民性なのか何なのか、「働かざるもの食うべからず」「仕事は忍耐」「ガマンして何ぼ」といった風習のようなものがあります。 勿論それはそれでいい面はあるのですが、仕事は生活の全部では有りません。あくまで生活の一部です。ですから自分を苦しめてまでするのはあまり望ましいことではないです。  さらになんでも完璧に出来る人などというものは決していないので 出来ることと出来ないことを学び、それを知った上で、好きなことを伸ばす ことが必要になる気がします。(注)必ずしも出来ることを伸ばすのではない。  仕事についてさらに細かく、作業所や福祉工場においては福祉だけでなく実際の仕事をすることもあります。 ボランティア レストラン 手芸 などなど。。。  一般企業において判断に迷った時にもいえますが、問題が発生した場合には一度組織の理念に立ち返ることも必要になると思います。なお、理念に立ち返っても問題を対処することが出来ない場合、状況によっては企業や大学へ働きかけて「新たなサービス」や「新たな道」を創りだすことも必要とな

PSWとして必要な力を養うには

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 医療関係、地域関係いずれもPSWのあり方として「調整力」と「問題解決力」が肝になることもあります。それには無知の知を知り、他人に動いてもらうこと、行動と気持ちとをわけて、時にスーパービジョンで問題を明確化する必要があります。  また現場に飛び込み解決の場数を踏むこと、機会を平等とし成長することが必要です。  即ち自分を認めることが重要となり、自分、相手、組織とを全て認めることで何が自分が出来るかを考えるきっかけとなる可能性が有ります。 PSWとしてのあり方 医療と地方と  PSWはやはりどうして、なぜか医療系メイン で考えられていて 多くが何か決められたものに従う 事を大事としているようです。これは疑問です。どこか 特例からの一般化のし間違いや 原因と結果のつながりが逆 をしているような気がしています。  一方、 本来のPSWのの役割としては、利用者の益と成るようなときに決められた枠から飛び出る営業をする ことが重要だと私は考えています。ですので役割によって態度を変え、 自分を分析してどう支援するか あるいは見守るか を考える必要があるように思います。 PSWとして力を発揮するには  前者の「決められたものに従う」考えにおいてPSWの専門性は他職種と比較すると明確化でき難いですが後者の「営業的な」考えを基に専門性は何かと考えますと 他の人に動いてもらう力、調整力も立派な専門性 だと私は考えています。また 専門用語を一般用語に置き換えるいった説明力 も一つの専門性になると考えられます。  そういった意味ではカウンセリングの技術など小手先の勉強をしても意味があるかというと疑問です。それよりは 自らの無力さをある意味理解し(無知の知) 地域にいて難しいことを説明する縁の下の力を持ち 時には他の人たちに動いてもらう、   要約すると 調整し、解決する力が大事 となります。 そうした調整力、解決力とはどうしたら養えるかを以下に示します。 調整力を養うには  そうした調整する力を養う際、自分の見方を客観的に見るため 同職種の支援として振り返り・スーパービジョンが必要です。(異職種はコンサルテーションというらしい のですが、これを区別することに疑問があります。相

PSWとして福祉士の働きかける場所を知る

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 前回 実習について書かせていただきましたが実習もさることながら、実は精神保健福祉士というものはなにかといったことを、実習をする際には考える必要があります。そうした場合精神保健福祉士のあり方や考え方を明確にしていくことは、精神保健福祉士として活動していくにあたり重要です。そこで、ここでは4回にわたって精神保健福祉士そのものや、あり方、実際の対処方法について書きたいと思います。  タグにて「精神保健福祉士というもの」をクリックしていただければ今回記した関連記事が見られます。 PSW・精神保健福祉士(法)の資格の問題点  精神保健福祉法というものは国が作りました。最近では精神科の医療費の増大するのを防ぐためその法律のもと、医療費負担を国から地方へと変えてきているようです。  こうした法律も省庁間で連絡が取れていればよいのですがなかなか厚生労働省と法務省とで法律上の解釈の違いがありそれが実際問題への対処として懸念材料とされています。(精神保健福祉法と医療監護法との違い)  こうしたの法律はいずれも誰かからか、例えば東大医学部のお偉い先生などの考え方に従い、それを誰しもが後追いすることで、どうしても考えたくない傾向に陥ることがあります。それは各省庁の間だけで無く我々市民の中にもだんだんと浸透しています。これが進んでいくと誰も連携を取ることができなくなり言った言わない、誰が責任を取る、取らないといったことからすっちゃかめっちゃかになり問題となります。 PSWの問題  精神保健福祉士法の中にあるPSWもそうです。この資格は法律上、少なからず裁量権はあるものの、本来相手の人生を負う責任をも有する事があるはずなのですがそういったことについては書かれていず、また放棄しがちです。  また一般的な話にはなるのですが倫理や法律で相手の権利を守りましょうと言ったことも明文化しないと守られないようです。これでは困ります。 PSWの役割  ところでPSWの役割としては妥協から望むものを手に入れる部分もあり、自分のしたいことができる“可能性がある”という意味で 発想力だけでなく 実践から有りようを検証する力 が必要 となります。 そこで問題を対処するPSWのできること  ですからPSW

資格と能力、それに伴う就職は無関係

就職前線と資格   10月11月あるいは年始、さらには4月から就職を目的とした大学生が、リクルートスーツを着て企業説明会に出かけるケースをよく目にします。  その中で、資格の重要性が認識される場合があります。しかし、どうも 資格とりさえすればその能力を有している、といった認識をしている企業や人が多すぎる 気がします。これは少し変ですし、認識を見誤ると問題になると思います。 資格は何のために取るか  資格の種類は国家資格、民間資格など多くが有ります。お墨付き具合がそれぞれ異なっていて、国際資格や国家資格が誰からも認知される資格だと思われています。  なお国家資格取得の場合、試験は一年に一回行われ、ペーパー試験でふるいわけを、面接や実技などで見極める場合が多いです。精神保健福祉士は面接はありませんが、これも年一回の試験です。  こうした資格は、私はあくまで一つの指標でしかない、と思っています。勿論、ある程度の能力の担保する「目安」にはなるでしょうがそれでもあくまで 過去の一時点においてその道の詳しい人が作ったであろう問題や考え方に近いしい答えや考えを有してい“た”だけ です。ですから各種の資格を持っていたとしてもそれを有しているがゆえに今、確実な差別化が図れるということは無いと考えています。  逆に資格を持っていない人のほうが、常に規制されるかもしれないという緊張感を持って作業に当たるケースがあるため、そうした場合は世の中や状態の変化の流れには素早い対処ができる可能性が有ります。  ですから、例えば私の持っている精神保健福祉士でも「この資格さえ取れれば」「資格のために。。。」等といって資格を取ろうとする人が少なからずいますが、そのような人にとってみれば、精神保健の資格を持ち、ハクがつけられれれば良く、能力がどんなに低くても大丈夫だ。と思っていることがあります。 しかしながら本来資格とはそういうものではなく、あくまで“最低限の能力があるかどうかを見極めるためのもの” です。 これには業務独占、名称独占などの資格の種類は問いません。 安請け合いの銭失い、多資格は低収入では?  それでも幸か不幸か、非常に多くの資格を持っている方が居ます。経営者の懇談会でも時々そのような方をお見かけします。そのような方は「俺はこん