働いてから立ち止まりのすゝめ



他人に釣られて歩き続ける必要ありますか?私はないと思います。



















 誰しも一度は立ち止まって人生や働き方を考える必要があるのかもしれません。前回私は27歳位の時に立ち止まりました。立ち止まるということはその道での行き詰まり、といえるのかもしれませんが、立ち止まることでこれからの、真の生き方を考えることができるのかもしれません。かつて私がメーカーの会社員で働いていた時に、研究開発部の部長であった常務が「行き詰まったら逆が真だ」と言われていました。その時はそういう考え方もあるのかと、ふんふんと聞いていましたが、これはものづくりだけでなく、人生でもありえることなのかもしれません。そうした働く場合の立ち止まり、考え方について書きました。


お金に関する勘違い


 学校を出て仕事をしだすと、お金を得ることがあります。基本的には仕事をしたり働くとお金を得られます。これはごくごく当たり前のことなのですが、この順序が逆転してしまう勘違いが世間ではよくなされています。つまり、「お金を稼ぐため」に働くという考え方です。
 そうした考えに対して私は非常に虚しいと思っています。なぜなら例えばお金の得ることを目的とした場合1)その手段として犯罪に手を染めることもありえますし2)例えば偶然に大きなお金が入った場合にはそれで働くことが終わってしまうと思うからです。

1)は得てして犯罪をせずに時間をかけて地道にお金を貯めるよりも犯罪をしたほうが、短時間で手っ取り早く、且つたくさん得られます。
2)はそもそもお金を得るため仕事をしたり仕事、働く意味があるのか疑問を感じます。旧くから仕事は遊びだ、ということが言われていてホモ・ルーデンスでも書かれていますが、働かないことは遊びをしないことでもあり生きる楽しみも感じられないのではないかと思います。


生きているのに死んでいる働き方


 さらに他人の価値(お金)に踊らされて働くことは他人の顔色を伺いながら仕事、生活をするという意味で、自分の仕事をする意味や働く意味、ひいては生きる意味を見いだせないように感じます。

人間は私を含め堕落的な生き物で、現在の状況よりはよっぽどの抵抗がないとラクな状態に安住しようとします。

動くより動かないように、考えるよりも考えないようにです。

 確かにラクをすることや、易きに流されることも時には有効で、それはそれでいい部分はあるのかもしれませんが、だとすると自分が自分である必要がありません。それは生きていていても死んでいるような状態なのだと思います。


自省して自分の虫を聞き入れてみる


 ですから、他人の価値(お金)の中ではなく、自分の中で自分の価値とは何なのか、自省をする意味で立ち止まって考える、すなわち、一度休んで真剣に人生を考えるのもありなのだと思います。

 確かにこれまで一流大学や一流企業にいて、順風満帆な人生を歩んでこられた方にとってレールを外れることや他人の意にそぐわないことをするのは苦痛です。しかし、世の中なんでも自分の思い通りになることなどないのです。完璧な人などいないのです。

 それを認識した上で、もし自分の生き方や考え方に疑問を持ったり何とかしたいと思われるならば、自分の感情や直感に素直になることを大事にして、仕事の中で他人にありそうな虫の知らせを探ろうとするだけでなく自分の中にある虫の知らせを聞き分けることも長い社会人人生を有意義に過ごす意味では大事なのだと思います。

 いくら失敗してもそれから立ち上がればいいのではないか。その意気込みが大事だ、と、私はそう思います。

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