言い方は内容よりも重要なことがある

 凄く素晴らしいことを言っている人がおります。しかしどんなすばらしいことでも言い方ひとつで伝わったり伝わらなかったりもします。それでは意味がありません。それは問題です。そこでここでは言い方についてどのように考えたらよいかひとつの可能性を示します。



内容は良いが言い方のきつい人


 人は自分がされてきたことをしてしまうといった再生産は良くなされます。(たとえば貧困の再生産)言い方についてもそれが言えることはあり、言っている内容がどんなに素晴らしくても、親やかつての上司がきつい言い方をしているとそれを知らず知らずの間に真似てしまいきつい言い方になってしまう場合があります。

 そのようなきつい言い方をする方が組織にいる場合、下っ端の立ち居地でしたらまだ注意をすることで良くなる可能性はあります。しかし高い位置についていたりするとどうしても他人を寄せ付けない雰囲気や付き合うのは厳しいだろう気持ちを持たれてしまいます。

 すると付き合いにくい人だとほかの人に誤解され、また本来入ってきたほうがいい情報も入ってこず、結局は損をしてしまいます。


そのままいくとどうなるか


 そのような「人が離れていく状況」について本人が困っていないのであれば他人がどうこうできることはません。なぜなら他人は自分ではないからです。

 しかしそのような「人を寄せ付けない」雰囲気や態度をとっている人は非常に残念というか、無念な気がしています。

 えてしてそのような方がトラブルを抱えた場合、周りにいる方が解決するため対処をしますがたとえその一点での処理をしたとしても、それはあくまで対処療法的なものでしかありません。
 その場の問題は解決したところで次にまた同じような問題の発生することがあります。

 ですからきつい言い方をした方がきつい言い方ゆえに発生した問題の場合、その問題を対処すること以上に、言い方であるとか普段のあり方を考え、習慣を変える必要のある気がしています。


人の言葉と感情の推移


 なお、言い方が適格だが厳しい言い方の人にもいいところはあって、意味づけは非常に正確に働いているところがあります。
 ただし感情がマイナスに働いて、行動をしないことを大事としているため、 きつい言い方ややる気の出ない言い方になるのだと思います。

 通常、人の考え方は意味づけ+感情+行動をしますがそのうちの感情と行動との選択が間違っているかもしれないのです。
 本来人間の発する言葉には感情が乗っていますがそれを認識し切れていない、もしくは間違って認識している可能性もあります。

 特に感情については、自分の感情を素直に表現することが苦手な方がいます。私の身近な方でもおりますが、時折感情をすっ飛ばして相手に行動を促したりします。すると相手の感情や状況を無視して自分勝手な都合で物事を話してしまったりします。場合によっては相手に感情を伝えることができずにわけもわからない人と誤解されてしまうのです。

 また、そもそも意味づけが十分なされていない可能性もあります。関西の人らはどちらかというと会話の節々に面白くさせようであろうとか、それもネタだといえる言葉を発する部分はありますが、特に関東の方だとそれがなかなかない感じがします。
 明確に意味づけされていないから言葉を言葉として真剣に捕らえられずに相手に物事が伝わらないことがあり、もしくは伝わっても誤解されて伝わってしまう、ということがあるかもしれないと思うのです。

 ですので意味づけをきちんとて感情を素直に表現することが大切かもしれません。いうなればこれは自分と相手を見極めるということです。


そういった状況を受けての宣伝


 そもそも言い方についてどれだけ真剣に考えているのか考えていないとしたらそれはそれで問題がある気がします。そうした言い方に何も気をつけない人に自分の考えるきっかけを持ってもらいたい、そう感じて欲しく、私は勉強会を開催する予定です。一人でも多く、広く情報を普及することができたらと考えます。

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