依存しっぱなしの人生でよいか



 人は成長するにつれて自分から他人、家族から社会へと活躍の場を広げてゆきます。そうした場合に、自分で物事を決めず、誰かに決められたまま生活をする場合があります。もちろんそれでもよいこともあります。しかし場合によってはそれだと精神疾患になります。そうなると私は問題だと思っています。そこで精神疾患にならないようにするためには何をし、どう学んでいけばよいのでしょうか。ここでは自分で生きることの大切さを書きました。



結局はいつも一人で、自分は大切。


 人は生まれてくる時、多くは一人です。成長するにつれて家族と接し、学校では友達と接し会社では損得勘定のある他人とかかわりますが、死んでいくときには生まれたとき同様、一人になります。

 一人から拡大する「はじめての人間関係」として家族があります。特に家族との関係では、自分が仕事などをして食べていけるようになるまで多くは親の保護の下、衣食住を依存します。
 昨今は景気が良い影響もありいつまでも親のすねをかじる方々が増えています。俗に言う「ニート」という方がそれで本来は仕事も就学もしていない若者をさす言葉でしたが、日本でニートという言葉を使う場合、それだけなく「親に依存した、働く意欲のない」という意味もあるようです。

 一般的に人間の成長過程では反抗期があり、親と自分との区別化がなされていくわけですが、そういった方は反抗期のあることが少なく近ではそれがないため幼稚化しているといわれています。私も20代中番まで反抗期はありませんでした。(経済的に自立はしても精神的に自立していない)




自分を大切にしないと精神疾患になることあり。


 成長しないまま依存したまま死ねればそれに越したことはないですが、すると常に不満を持って生活することにもなりかねません。それでは自分自身として非常に生き難い世界と考えます。

 また、特に親との関係でうまくいかないとなるとそれが不満やストレスを持ち続けることもあり、すると若い方でも状況によっては精神疾患になります。

 日本において一年間で罹患率の高い精神疾患として「うつ病」や「統合失調症」「神経症」・・・があります。これらの精神疾患になる理由はもちろん生まれ持ってきた遺伝子的な資質もありますが、それだけでなく、環境による影響もあると考えられています。その原因としてストレスが考えられています。


精神疾患を防ぐためには、人に依存せず自分で決める


 そうした精神疾患になるストレスフルな状況になることを考える場合、周りのせいだと言って外的に原因を持ってもよいですが、それはもちろんのこと、それだけでなく自分の中に原因を持って対処していく姿勢もあるとよいです。

 なぜなら特に精神疾患の場合、書物によっては原因は「人間の関係性による」と書かれていることがあり、となれば周りの影響はもちろんのこと、自分自身のあり方を変えれば周りに対する影響も変わることが考えられ、結果的によくなる可能性もあるからです。

 そうした原因を自分の中に作って対処していくことを考えた場合、周りに言われてばかりではなく、自分で考え、自分で行動をすることが大切だと思うのです。


自己決定のために責任を持ち死ぬ覚悟で選択をする。


 自分で考え、選択し、行動をするには①選択したもの以外のものを捨て②選択に対して死ぬ覚悟を持つ必要があります。

 多く高校までの中等教育、言えば日本の教育現場ではどうしても一人の講師が約40人の生徒に教え生徒は講師や教師に依存しををとりこぼすことなく「真似る」といった方式がとられています。
 そうした生徒にとって受身の教育や選択を捨てない教育では確かにある程度の学習効果は期待できますが細かいところまでは対処し切れません。また選択し責任を持つ行動をとれません。
 こうしたことは一般的に書店に並べられているいわゆる自分探しの本などもそうで、多くはそうした本の内容を実行しさえすればさも幸せになれるかのように書かれていますが、必ずしもそうなるとはいえません。
 なぜなら、自分の心や考え方は自分でしか責任を取れず、わからないからです。
 
 だとするなら本当に自分探しをするのであれば巷の本屋で売られているような考え方や性格などの本をみて鵜呑みにするのではなく、本や人の意見は参考にしさえすれど最終的には自分で自分を考える必要がある気がします。

 もちろんその過程で失敗することもあるでしょう。しかしだからといってそれであきらめることなく自分の強きところや弱きところを観察し、一生付き合っていく必要があるのではないかと考えます。なぜなら自分は自分だからです。

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