限られた状況をどう生き生かすか
日本という国に生まれてきたり、毎日雨風をしのげることが当然、みなと同じような服を切れるのが当たり前...と思っていたりする。自分で仕事が選べたりすると思うこともある。確かにそのように考えることは、自分に自信を持つ意味で重要なのかもしれない。しかし、どんなに自分が努力しても対処しきれない、「天命に任せる」といったことはある。ここではそうした思うがままにならないことがあることを知り、どう生かすかを記したい。
昔は限られた状況があり平等ではなかった。
現在でもインドのカースト制度がある。日本もかつては身分が四民で分かれていた。その制度の間は破られるものではなく、意識せずともそこには境界線があった。
日本で平等が言われたのは明治以降である。戦後になってから資本主義国家になってしたいことができ、稼ぎたい人が稼げるが、そのように自由を選択できた期間は日本の歴史から見ると非常に短いものである。
限られた状況は良い生き方をするには必要。
明治以前や強制させられていた場所や時代では、境界線のあることである意味幸せではあったと思う。動物でも制限があらかじめあることで、甘えや幸せを感じることがあるのだと思う。
上記のようにたとえば犬の世界も限られた制約があるからこそ、十分にその力が発揮できる。
確かに一挙手一投足に限られる状況、限られすぎる状況というのも嫌なものではある。しかしかといって限られた状況がないと甘えられない意味で成長できない、良い生き方はできない部分があると思う。
現在は制られた状況が少ない。
一方現在の日本はそうした制限がない状況になりつつあるように思う。戦中や戦後のころに比べ、日本は豊かになっていて、多くの人が平均になっている。一億総中流階級といわれたこともあった。
総中流になるということ、豊かになることとは、技術が発達して不便な状況や制限のある自然を人間の生き易いように改造しつつあるということである。そうしたことが起こるにつれて、生き方とか仕事とか、なんでも自分の思い通りになる、努力でなんでもなりうる、と思ってしまうのではあるまいか。
例えば子供を作るにしても、技術発達のおかげで自然にできなかったら人工授精をする。障害児が生まれそうなら堕胎をする。延命治療を本人の意思ではなく家族の意思を尊重することで、他人が人の生死まで間単に変えられるようになってきている。
限られた状況を生かすには。
しかし必ずしも自分の思い通りになることはない。子供だって昔ほど多くはないにせよ出産の途中で死んでしまうこともあるし、精神疾患も突然自分がかかることだってある。そうした自分の状況を適切に把握するということは大事だ。
また壁というものを待っているだけではなく自ら作り、それを乗り越えるためできる限りのことをすることも大事だと思う。
いずれにせよ壁のあることから自分の状況を知る、「足るを知る」ということが大事だ。そしてそのためには自分のできることはするが、全力を尽くして後は天命を待つということも必要だと思っている。またそれによりそこから何を学ぶか、学んでどう生かすか、といったことが重要なのだと思う。
時にそうした自分の小ささを知ることを通して、ほかの人たちと協力する大切さを知ることも重要だ。なぜなら自分では壁だと思っていた大きなことも、他人にとってはたいしたことが無い小さな山だと思っていることもあるからだ。そうだとしたら協力することで課題の達成をすることができる。
自分ひとりの力としてはたいしたこと無いが、他人との力を合わせることでより大きな、より多くの種類の課題を達成することができる可能性がある。それを示したい。
一般的に運を天命に任せるためにしていること。
自分で状況を知るということは簡単なようでいて実はなかなか難しい。だからこそ多くの方がわが運命を存在があるかどうかわからない場合に「神様」にお願いし、または一部の経営者で言われているように「占い」に身を預ける人もいるのだと思う。日本の国もかつては卑弥呼のような祈祷師に組織の運命を預けていたことがあったくらいだ。
何の根拠を持って神様や占いのことを信じているのか、そもそも存在しているかどうかさえわからないそれらのものについて信じていること自体が馬鹿らしいといえば馬鹿らしいことだと思う方もいる。
しかし自分の限界を知って後は任せるという意味ではそれもありなのかもしれない。見えないものに責任を任せることで自分がのびのび生きることができるのであれば、方法としてはありなのかなとも思える。
ただその自分の限界外のものについてあまりに多くのものをまかせきってしまうとなると、それこそ勝つことだけを夢見て賭け続け負け続けるギャンブラーと同じではないか。
だとするとそうした神様や占いなどといった見えないものを主体にしてすがり続けることを考えるよりは、自分の限界を知りそれ以外の部分があることは認識して、自分の限界を伸ばすことで知りえない部分を知れるようにする、という考えは必要だとは思う。
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