不誠実は不幸の一歩
いいことばかり言って何もしない人、言っていることとしていることとに矛盾のある人、そのような自分や他人の心に素直に向き合えない「不誠実」な人は世の中たくさんいます。そのような人はそのような人で自分が満足なら問題ない部分はあるでしょうし、ほうっておいてくれと思われる言われるならばあえて無理してこちらの考えになってくれと思っていることはありません。しかしその不誠実さを持っていると、口先だけでしかいいことを言わないでいると、言っている人の信用がなくなりますし、言ってることもむちゃくちゃで、周りも嫌な気持ちになります。これは誰一人として幸せではありません。不幸です。ですからその不幸な状況になることを防ぐために考え方を変えられればな、そうすればもっと楽しい人生を歩めるな、と考えています。そこでここでは幸せになるためにどのような考えを持ったらよいか、その一歩として誠実になる必要性と方法とを書きます。
不誠実な人はどんな人
大企業など自分の所属している組織の経歴だけを自分の生きているよりどころにしている方や、経歴だけでなれた大学教授の方など、堅い組織の中で中核を担う人物になって何十年も「虎の威を借る狐」状態のまま過ごしている方がいます。
そうした方はどこか不誠実な面を全面的にアピールしたりします。確かに「共通の敵を作ると団結しやすい」ということから、そうした面では人当たりはいいし、いい人そうに見える意味で、ひょっとするとその陽気さに騙されて周りに人が集まってくることはあるでしょう。
しかしそうした不誠実な人はあるのは雰囲気だけで、しゃべっている言葉や認識している言葉の中に何の本心もありません。言ってることも無責任でそもそも責任の負える話しもすることが出来ません。当然無責任なので自分の発言を適当に捉えることがあり、また記憶力もなく話の論理性がありません。そうした人は不誠実な人だと考えています。
確かに別に不誠実であっても本人がそれで満足してるならば問題はないと思われます。しかし、そうした不誠実な人は不誠実な人自身の気分が悪いような気がしていて、社会への信用もなくなるでしょう。そして最終的にそうした不誠実な人の周りで振り回される人は最も迷惑がかかり不幸になります。
そうした不誠実な人は先日実験(n=1)をしたところ20人の組織の中に18人くらい、すなわち90%くらい居ました。そうした不誠実な人との付き合いを避けて誠実な人たちだけで関係を作ることが今後自分が気分よくすごすためにも、 社会を良くするためにも必要であると僕は思います。
そのためには不誠実な人を見極め、積極的に離れる必要があるかもしれません。
不誠実な人と世の論理性
不誠実な人との会話の中に出現するのが謎の論理性です。「そんな話はともかく」や「それはそうと…」などと、人が話をしていてもすぐに人の話をさえぎって自分の話や自分に話題を向けさせようとします。そして無意味な話をします。
そもそも結構世の中は理屈どおりに出来ています。突然話題が変わることなんてないのです。上記のような「そんな話はともかく」とか「それはそうと」などという言葉を発すること自体何かしらの理由が存在します。そうした論理性が世の中にはあります。
すなわち自分が思ったとおりのことの起こることがままあるということです。通常なら「人生は運だから結果が悪くても仕方ないかなあ」などと思うし言うこと聴くことはあると思うのですが、基本的に運だけで人生のよしあしは決定していません。
確かに宝くじなど他人が確率を操作する前提の舞台なら「偶然当たる」、「偶然外れる」こともあると思います。しかし少なくとも自分の気持ちに起因することは操作できます。そうした操作できる「可能性」があるのにわざわざ捨てることは私はもったいないです。
なお、自分の気持ちに起因していることでさえも「操作できない」と思われているならば、それは「操作できない」と「思い込んでいるだけ」です。
不誠実な人が不幸になるわけ
先にも示しましたが世の中は結構論理的に出来ています。ですからそれにそむいて「当てよう」などと思うとそれに取り付かれて不幸になります。
そうした本来の流れをぶった切る方向にある意味で、不誠実な人は損をする傾向にあります。例えば不誠実の最たるものとして人を騙すことで資産を奪う「詐欺」があります。詐欺を働いて人を騙し続けることで死ぬまではある程度の資産を持てるかもしれません。
しかしそうした不誠実な人はいくら人から奪ったある程度の資産があったとしても、死んだ際だけでなく生きているときでさえも、その不誠実な人の周りには理解してくれる人はいません。身近な肉親や自分の子供であってもです。ひょっとして詐欺仲間としての親近性は感じるかもしれませんが、どちらにせよ「騙し」「騙され」が主にあって、その中に暖かい関係性はありません。
つまり不誠実な人は資産ばかりあっても人から信用されることはないのです。もう一度別の書き方で書きますと、不誠実な人の心の奥底は誰にも理解されないのです。ですから不誠実に生きていては他人だけでなく自分も、いや少なくとも誰かしら不幸になると考えられます。ですが自ら不幸になることを望む人には幸福になれるであろう助言はあっても意味がないでしょう。そのような不誠実を良しとする「人でなし」とは例え血がつながっていても縁は切ったほうがいいです。
不誠実を打開する一歩
不誠実な状況を打開するにはどうするか、例えば自分が今不誠実であろうことがわかっているのならば、一つに自分が不誠実であったことを認めることが大事なのではないでしょうか。
そのためには自分の行動をしたわずかな感情についての自省をしてみることをおすすめします。
自分が思ったことを素直に観察し、また表現してみるのです。自分の感情を素直に見つめなおし、またそれを素直に発することで、相手への誠意は伝わる、と思われます。
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