不誠実な人とは付き合う価値がない
世の中には非常に多くの「不誠実なことを良しとする」人が居ます。不誠実な人同士が騙しあって文句を言い合う分には心地が好い部分があるのかもしれません。しかし世の中には「誠実なことを良しとする」人も居て、そうした人にとっては不誠実なことを良しとする人は非常に厄介な存在です。なぜなら約束を平気で守られなかったり、それを破るにしても謝られることなく悲しい思いをするからです。これは私は問題だと思っています。そこでここでは「誠実であること」が良いことであることを述べるとともに、不誠実からどうして脱却するかということを書きたいと思います。不誠実な人は後々損をすることがあると思うので無自覚ならば気をつけたほうがいいかもしれません。
日本に限らないと思いますが、多くが騙しあって生きている人の多い社会です。そうした「人の信用が出来ない社会」であるとか、「約束を破っても構わない」などと思っている人、そもそも「言葉を丁寧に扱えなかったりする」人が多い現状が、こうした社会を形作る原因として私はあると考えています。
ちなみに私個人としては多くの方が「皆と同じならいい」や「赤信号みんなでわたれば怖くない」と考えられていることがあるのだと思います。そうした考え方があるのだとしたら、それはそれで構わないと思いますし、どうぞそうした不誠実な人同士で徒党を組んで騙しあって生きてくれれば良いと思います。その限られたコミュニティで負け犬の遠吠えよろしく「だましただまされただ」文句を言い続けるのは、そのコミュニティの質が落ちていく意味である意味滑稽ですし、それを批判するつもりはありません。
そうした「不誠実をよし」とする考え方はどこから来ているのでしょうか。小さいころからそういう教育がなされているからでしょうか。私は中学校や小学校だけでなく、もっと小さなころ、すなわち幼少期の「男らしさ」や「女らしさ」を「人間らしさ」の前に押し付けることが原因ではないかと考えています。「自分」が「自分」ではなく「第三者」であることを当然と思っている部分があるのではないかと考えます。これはいうなれば「自分が自分であること」を差し置いて、「借り物の自分」を持ってそれで良しとする、いささか不健康な考え方な気がしています。
不誠実であること自体は問題あるわけではなく、そうした人が居ること、そして非常に多くの方がそうした「不誠実な人である」ことを知ることは非常に興味深いことだと思っています(この間私が個人的に実験をしたところ不誠実な人は概ね95%くらいいました)。
そもそも誠実とはどういう意味でしょうか、私は「言葉を丁寧に扱うこと」「約束を守ること」「間違ったときに謝れること」だと思っています。ちなみに小学館の辞書に「誠実」とは
不誠実な人との付き合いは、不誠実な人同士では騙し騙され、約束も体裁のために平気で破り、破られても一切謝る事をしないどうしようもない人々だと思っています。しかしそうした人々と接していて「その場限り」の楽しい気持ちを持っているのだとしたら、それはそれでそれが良いと思っている人にとっては「良いこと」なのではないかと考えます。ですからそれを否定するつもりは毛頭ございません。
一方世の中に非常に少ないながらも「誠実を良し」とする人がいます(先の実験では5%いました)。そうした誠実な人にとっては不誠実な人の行動が非常に嫌になると思います。 もっとも、そうした不誠実な人とは接さないようにすることが出来れば一番良いのですが、先に示したととおり、殆どが不誠実な人なので、殆ど不誠実な人の中から誠実な人を探すことは難しいと思われます。
私個人的な考えからすると、不誠実な人との関わる価値は殆どありません。なぜなら約束は守られないし、さらに約束を破っても謝る事を一切しない、さらには本人は謝っているつもりでもおかしな解釈をしているため謝っていない、といったことがあるからです。そうした不誠実な人とは約束が出来ません。すなわち「信用がない」といったことにもなります。
稀に「不誠実を良しとする人」から「誠実を良しとする人」に変われる人も居ますが、そうした成長できる可能性のある人にはあらかじめ成長したときに接してもらえるような配慮を私はしています。そうした成長しうる方の場合は、自分が自分であることを認識する「挫折」を経験していたり、誠実な人からの働きかけや誠実な人との関わりによって考え方を修正していくことになると思います。そうした意味で現在ご自身が不誠実であるかもしれないと思われるのならば、多方面の価値観を仕入れる場面に顔を出されるか、あるいは誠実な人と接するためにお持ちの資産を全投入しても交流を持っておいて損はないと思います。
ちなみにお近くのお友達の中で一人でも誠実な人が居ればその人に頼むことによって誠実な人の知り合いを増やしていくことも作戦としてはあると思います。
なぜなら誠実な人は誠実な人同士で付き合っていくことが多いからです。そうした「誠実な人」を見つけた後にその誠実な人から紹介をしてもらうことによって更なる誠実な人との輪が広がっていくことが期待できます。
そして誠実な人同士でコミュニティが作れれば素晴らしい環境になるのかもしれないなと考えています。
なぜ不誠実を良しとする人が居るのか
日本に限らないと思いますが、多くが騙しあって生きている人の多い社会です。そうした「人の信用が出来ない社会」であるとか、「約束を破っても構わない」などと思っている人、そもそも「言葉を丁寧に扱えなかったりする」人が多い現状が、こうした社会を形作る原因として私はあると考えています。
ちなみに私個人としては多くの方が「皆と同じならいい」や「赤信号みんなでわたれば怖くない」と考えられていることがあるのだと思います。そうした考え方があるのだとしたら、それはそれで構わないと思いますし、どうぞそうした不誠実な人同士で徒党を組んで騙しあって生きてくれれば良いと思います。その限られたコミュニティで負け犬の遠吠えよろしく「だましただまされただ」文句を言い続けるのは、そのコミュニティの質が落ちていく意味である意味滑稽ですし、それを批判するつもりはありません。
そうした「不誠実をよし」とする考え方はどこから来ているのでしょうか。小さいころからそういう教育がなされているからでしょうか。私は中学校や小学校だけでなく、もっと小さなころ、すなわち幼少期の「男らしさ」や「女らしさ」を「人間らしさ」の前に押し付けることが原因ではないかと考えています。「自分」が「自分」ではなく「第三者」であることを当然と思っている部分があるのではないかと考えます。これはいうなれば「自分が自分であること」を差し置いて、「借り物の自分」を持ってそれで良しとする、いささか不健康な考え方な気がしています。
誠実な人とは誠実とは
不誠実であること自体は問題あるわけではなく、そうした人が居ること、そして非常に多くの方がそうした「不誠実な人である」ことを知ることは非常に興味深いことだと思っています(この間私が個人的に実験をしたところ不誠実な人は概ね95%くらいいました)。
そもそも誠実とはどういう意味でしょうか、私は「言葉を丁寧に扱うこと」「約束を守ること」「間違ったときに謝れること」だと思っています。ちなみに小学館の辞書に「誠実」とは
まごころのあるようす。まじめ。と書かれていて、さらにこの文中の「まごころ」とは
相手を思う、いつわりのないほんとうの気持ちとあります。概ね同じ意味なのではないかと思います。
不誠実な人との付き合いは、不誠実な人同士では騙し騙され、約束も体裁のために平気で破り、破られても一切謝る事をしないどうしようもない人々だと思っています。しかしそうした人々と接していて「その場限り」の楽しい気持ちを持っているのだとしたら、それはそれでそれが良いと思っている人にとっては「良いこと」なのではないかと考えます。ですからそれを否定するつもりは毛頭ございません。
稀な「誠実な人」は見つかりにくい
一方世の中に非常に少ないながらも「誠実を良し」とする人がいます(先の実験では5%いました)。そうした誠実な人にとっては不誠実な人の行動が非常に嫌になると思います。 もっとも、そうした不誠実な人とは接さないようにすることが出来れば一番良いのですが、先に示したととおり、殆どが不誠実な人なので、殆ど不誠実な人の中から誠実な人を探すことは難しいと思われます。
私個人的な考えからすると、不誠実な人との関わる価値は殆どありません。なぜなら約束は守られないし、さらに約束を破っても謝る事を一切しない、さらには本人は謝っているつもりでもおかしな解釈をしているため謝っていない、といったことがあるからです。そうした不誠実な人とは約束が出来ません。すなわち「信用がない」といったことにもなります。
稀に「不誠実を良しとする人」から「誠実を良しとする人」に変われる人も居ますが、そうした成長できる可能性のある人にはあらかじめ成長したときに接してもらえるような配慮を私はしています。そうした成長しうる方の場合は、自分が自分であることを認識する「挫折」を経験していたり、誠実な人からの働きかけや誠実な人との関わりによって考え方を修正していくことになると思います。そうした意味で現在ご自身が不誠実であるかもしれないと思われるのならば、多方面の価値観を仕入れる場面に顔を出されるか、あるいは誠実な人と接するためにお持ちの資産を全投入しても交流を持っておいて損はないと思います。
ちなみにお近くのお友達の中で一人でも誠実な人が居ればその人に頼むことによって誠実な人の知り合いを増やしていくことも作戦としてはあると思います。
なぜなら誠実な人は誠実な人同士で付き合っていくことが多いからです。そうした「誠実な人」を見つけた後にその誠実な人から紹介をしてもらうことによって更なる誠実な人との輪が広がっていくことが期待できます。
そして誠実な人同士でコミュニティが作れれば素晴らしい環境になるのかもしれないなと考えています。
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