選択や行動する人に失敗は無い

 選択をする人しない人、行動する人しない人が居ます。幸せになるには選択をすることや行動をすることが不可欠ですが、選択や行動する人にとって失敗することはあるのでしょうか。私は無いのではないかと考えます。そこでここでは選択や行動を起こせないのはどこから来ていて、また失敗がどういう気持ちからきているのか、最終的には選択したり行動をするにはどうしたらよいかを書きます。


行動をしない人は何を恐れている?


 何事も生きているうちは選択をしながら生きています。もちろん「選択をしない」といったものもありますが、それも「選択をしない」という選択を取っていることと同じです。
 そうした「選択をしない」という選択を積極的にする人にとっては、どこかに「失敗をしたくない」考えであったり、あるいはそうなることを想定し失敗を極度に恐れていることがあるかもしれません。
 しかしそれが決して悪いといっているわけではありません。ただよりよく生きるためには選択や行動を起こしたほうが良いかもしれませんね、という提案をここではしています。


未来はわからない 


 そうした選択や行動を起こせない考え方のもともとはひょっとすると学校教育における授業によって培われた可能性があります。 学校教育では通常失敗は無く、さも「未来がわかっている」、あるいは「未来が決まっている」ことを生徒さんや学生さんに教えたりすることがあります。
 しかし現実的な問題として、現在と過去以外は誰にもわかりません。ですから学校教育や偉い先生が言う「未来予想図」は、あくまで「未来予想図」なだけで、いうなれば「絵に描いた餅」です。確かに確率的には「そうなる」可能性が高いかもしれませんが、確率が高いだけで「そうならない」ことも十分ありえます。こんな確率論を考えていること自体が無駄だと思います。
 つまり今は今だけなのです。将来に同じようなことが毎日が起こるとも限りません。確かに「同じような毎日」は起きていることがあるかもしれませんが、厳密には「まったく同じ毎日」は起きていません。何故なら自分以外の人や環境には同じように影響を及ぼすことは出来ないからです。自分の認知しうる限界というものが誰しもあります(これを一般的に宗教では「神」といいます)。


行動する場合にリスクが伴う


 未来がわからないような状況即ち学校でない状況において生きるためには失敗を想定して選択し続けなければならないです。選択していくこと、そして行動をすることには通常失敗をするリスクを伴います。
 例えば好きな子に告白をする場合や会社の立ち上げをする場合など、行動を起こすには「振られるかもしれない」「一文無しになる可能性もある」危険が常に付きまとっています。そしてそう(悪く)なる確立はきわめて高いです。何故なら自分が行動で変えられることはごくごくわずかだからです。
 しかし行動をしないとその先の未来もどうなるかはわかりません。先の例で言うなら告白をしたから付き合えるようになったり、あるいは起業したからある程度の資産を蓄えることが出来たりします。即ち宝くじを買わない人が宝くじで当たらないのと同じように、何かの変化を期待するならばどこかで自分が行動する必要のある気がしています。
 特に現状に不満があるのなら失敗をするリスクをもってでも行動する必要があります。失敗が怖い人は行動しなくてもいいと思います。しかし行動を起こさないことによって不満は時間経過に伴って変わらないかあるいは大きくなってゆく可能性は十分ありえます。ですから現状に対する不満(動かない)と未来に対する不安(動く)とで天秤にかけて選択する必要があるかもしれません。


失敗はチャンス


 そもそも失敗とは何なのでしょうか。三省堂国語辞典七では
やりかたがまずくて、思ったとおりにならないこと。しくじること。
とあります。あくまで(自分の)思ったとおりにならないことを一般的には言うようです。即ち自分の考え方でどうとでも変えられるものと考えられます。

 もちろん行動を起こして失敗することしくじることもあるとは思います。しかし逆に言うとそうした失敗したことによって得られるチャンスがめぐって来る、即ち自分で考えるチャンスが得られるとも考えられます。
 先の告白の例の話ならば振られたとして、その経験から「次回は告白前に振られないよう気持ちをこちらに惹き付けようとする」とか、起業の例であれば「次回はあらかじめ小さな事業からはじめて本当にお客さんが必要としているのか考える」だとか。
 通常行動をしないと行動した結果は得られないですから、行動して失敗したとしても次回に繋がる新たな発見がなされる可能性は十分ありえます。

 また失敗したことだけに注目するとそれで気持ちが落ち込んだりするかも知れませんが、他にも行動をすることで変化のあったことがあるかもしれません。それを注意深く観察し、いいところを伸ばせる可能性があります。
 通常ソーシャルワークの現場ではリフレーミングと言って一つの結果から通常とはまったく別の見方を見出す方法があります。ですのでそれを使うことによって新たな活路が見出せることがあります。
 先の告白の例で言うならば「相手に自分の気持ちを伝えることが出来た」と考えることが出来たり、 起業の例で言うならば「誰よりも早くお客さんの立場に立ってサービスを提供しようとした」などと考えることが可能です。

 つまり失敗した場合でも見方を変えていけば何かしら得られるものはあるものだ、と私は思います。自分が投じたリスク(行動)に応じた何かしらの特典が、です。そうした見方を自分ひとりで変えるのが難しいならば多くの視点を持てるための材料として書物や人があります。
 そうした本や人を「役に立てる」ためには、一つの事実を多くの視点で見るために「本」を読んだり、あるいは自分の考えや行動を聞いて新たな視点をくれるような「他人」=(知り合いや友達など)とかかわりを持って話をしたりすることが大切な気がします。


さらに…どうせ何もしないと変わらないと考える


 さらにどうせ「何も行動しなければ悪い結果は変わらないのだ」と考えることが行動を起こすためには重要になるかもしれません。哲学者の中島義道さんは小さいころから「どうせ死んでしまうんだから」と考えておられることがあるようです。
 私はその考えからもう一歩進めて「どうせ死んでしまうのだから、結果はどうあろうと気にせず、好きな行動をすれば良いじゃない。他人の被る迷惑なんてまったく考えなくても良い」と思っています。そのような考えを持つと、ある程度大胆な行動でもリスクとして取ることが可能と思われます。

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