言葉と行動に責任を持つ方策

 自分の言葉を責任を持つことは重要です。さもないと所属組織をつぶしてしまうだけでなく、場合によっては相手を混乱させてしまいます。これは問題です。そこでここでは言葉の責任を持つ重要性とそれを得るための方策を示したいと思います。


言行不一致の現状


 高度経済成長期のようにすべてが成長路線ならば、自分や相手がどうであっても結局はうまく行くようにできました。例え言葉に責任を持たなくても、言行不一致であっても、なんと無しに良くなっていくことはわかりました。それならば結果オーライで良かったのかもしれません。

 しかし現状の日本では成長期から停滞期にあります。国も経済も生ものといわれています。一般的な生物の成長には成長期、停滞期、死滅期というのがあり、何からしらの抜本的改革がない限りは最終的には死ぬ運命にあります。
 例えば現状日本ではもう幾年も前から少子高齢化が問題だといわれ続けています。しかしこれといって何の対策もせずに少子高齢化の歯止めが利かない状態です。一方他国ではそれなりに成果をおさめる方策をとって人口減少率のストップがなされてきたりしています。他国と日本では環境が違うといわれればそれまでだと思いますが、確実によくなると言うエビデンスが得られないため失敗を恐れているのかわかりませんが、いまだ抜本的な改革はとられていません。そうした状況ではいずれ日本という国がなくなる危険性もあります。

 また言葉に責任を持たないことや言行不一致な行動をとることで相手が何を意図しているのか理解することが出来なくなってしまいます。これは相手を苦しめる意味で問題だと思っています。
 そのような人は他人と心の暖かい交流が出来ません。私の親族の一部にもそのような心の冷たい人はいて、特に物品授受の際、心はなく物をやたら与えて、与えた後でその反応に対して不満を爆発させる方々がいます。
 そのような方々は相手を思いやって物を分けるというよりは「ものをあげている私」しか見えていません。すると変に相手の気持ちを自分勝手に読み、自分の気持ちを押し付けてしまいます。
 例えば私が気持ちの上でも言葉の上でも「要らない」といった場合、相手にとってはそれは「本当は欲しいけどいらないといっているんだ」などといらぬ誤解してしまい、ものを不必要に勝手に与えます。そして与えたものを受け取らなかった場合「人様の(勝手な)気持ちを受け取らないとは何事だ!」と怒ります。こっちとしては最初に「いらない」と言っているのにそれを理解されていない意味で残念です。


そもそもなぜ言行不一致


 この言葉に責任を持たないこと、言行不一致なことは相手の行動を試している部分があるのかもしれないと考えます。もしくは間接的に「解れよ」と期待することで虐待というか加害者的な意識を相手に植え付ける目的があるのだと思います。これを考えると先の記事に示した察する文化がなされていることとも関連があると思います。
  また子供のころ自分の気持ちが表明できていない場合であったり、意思の伝達が困難な場合はその人の気持ちを理解して先導して動くことはあってもよいのかもしれません。しかしいつまで経っても押し付けがましい行動を起こすこと、変わることを認識していないことは幼いと言わざるを得ません。

 言葉の責任を持たなかったり言行不一致をすることで相手が自分の気持ちに寄り添ってくれない場合、相手は自分の希望通りに動いてくれず、恨みがましく思い、相手を責めます。

 えてしてそうしたときに文句を言う場合には「一般的には違うんじゃないか」、であるとか「常識的に考えろ」などというわけのわからない空気から醸成される常識基準が適用されます。
 この見えない常識基準も閉鎖された空間で互いに互いを言葉に責任を持たない人、言行不一致な人と認識するならば、お互いにどう行動すればよいかといったことがわかる部分があるのだと思います。

 昔はそれでも良く、あえて変わる必要がなかったという意味では「甘え」が存在していたのだと思います。しかし現状そのような「甘え」が許されるような社会ではないと考えています。だとするならば問題です。そこで考える必要があります。考えた結果「甘え」にかかる「相手の期待」を「捨てる」必要があるのかもしれません。


言行一致するためには目的を持つ


 そのためには自分と相手との関係の中で、自分と相手とが違う人間であることを認識すること、すなわち割り切ることは母子分離を考える意味では重要です。
 そして自分はもちろんですが、他の人も時間が経つにつれて変わることを認識する必要があります。そうしたお互いに変化する可能性のあることを認識することが大事です。

 割り切ることや変化することを認識できると、相手に必要以上に期待しないことができます。あるいは相手の無茶な希望を自分に取り入れないことができます。
 この「期待しない」ということは、存在する期待を「捨てる」ということです。この「捨てる」ということは「目的」を持って目的外のものを選択しないということでもあります。

 その意味でははじめに「目的」を明確にする必要があります。そしてその目的と合致しているものとしていないものとを選択もしくは捨てることが重要です。具体的に言うなら「その行動は何のためにしているか」をあらかじめ用意しておくことに他なりません。

 例えば会社であれば仕事をすることが目的です。交渉であれば相手と課題の達成をすることが目的となります。こうしたそれぞれの場面においてこの目的は何かを認識することで、目的外のもの(過度な期待)を選択しないようにすることが出来ます。


目的をえるためには


 こうした目的を持つには普段から何が目的かを考えることが大切です。普段自分がどれだけ満足して生きているかを認識すると、それを応用展開させることで何事にも目的を認識できるかも知れません。

 もしくは普段の満足した生活をしていないとするならば、逆に多くの視点を持つこと、多くの考え方が社会にはあることを知ることも大切です。
 一人で考えて思いつめてしまうとリスクばかりを考えてしまうため八方ふさがりになってしまいます。
 そのため第三者的な立場の方と接することや主張の集大成である本を読んで考えを取り入れることが大事だと思われます。第三者的な立場の方と接するためには普段の生活からお互いに課題を達成するお友達を作ること、私の勉強会のようなものに参加してお互いに考える人を見つけることをしても良いのだと思います。


まとめと期待できること


 どのような目的で行動をしているか認識し、それによって空気や常識といった考え方から必要以上の期待や思い込みの部分を捨てる、退けることによって、言葉の責任を持つことが出来たり、あるいは言行一致した行動をとることが出来ると考えています。
 すると相手にとっても自分の気持ちや状況を説明することが容易になり、わかってくれるはずだ、理解してくれるはずであるなどといった過度の期待を持たず、相手とのコミュニケーションの齟齬は少なくなってくるのではないかと考えます。

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