儒教・官僚的考えから生まれるふわふわな考え。
学校や大学の卒業も結果として与えているだけで、それ自体が目的ではない。 人間はどうしても楽に生きようとしてしまいます。結果として楽に生きることはかまわないと思いますが、楽になることを目的とすると、どこか地に足が付かず、ふわふわしてしまいます。 そのふわふわを望んでいるのならば良いのですが、望んでいない場合は問題です。特に日本という「国」やお客さんに喜んでもらうといった「会社組織」を考えた場合、ふわふわな状態では組織責任がどこにあるのかわからず困ってしまいます。そして責任が分からない状態が持続すると組織の目的も達成することができず最終的には組織を解散せざるを得なくります。 ですから組織を運営する方にとって、ふわふわしないように考えることは重要です。そのふわふわしない考え方とは、どのようなものなのでしょうか。ここではその考え方の一つを書きたいと思います。 突然訪れる組織の崩壊 組織を生き残るようにするには究極変わり続けなければなりません。いったん「ラク」を覚えてしまうと、ラクをしても回っているのだからいいじゃないか、わざわざ苦労をして変わる必要もない、と考えている方がおられるのが現状です。 そうした考え方が大多数を占めてくると変化を嫌い、何も生み出せなくなります。維持のためといった無駄で余計な経費がかかります。すると 生み出す(+)<経費(-) というパワーバランスになります。 経費増大がすぐに表面化することはありませんが、これまで生み出してきた貯蓄が経費で消費されるといといよいよ組織が崩壊します。 組織が崩壊した場合に「なぜなんだ」「どうしてなんだ」と言っても仕方がありません。そういった兆候があったのにもかかわらず放置していたこと。ラクを覚えた気の緩みが原因の一つであると思います。 儒教的考えと能力主義 この考えの原因は日本組織の場合、根底に「徳のない儒教の考え方」を持っていることがあります。秩序を重んじる官僚的機構で、維持を目的としているため冒険をしません。かくあるべしと言った理想を現実と誤解し、地位や権力、学歴といった過去の実績を基にしたものに群がります。 能力云々よりも お願いすることが大事、会議は内容よりも形だ。変わるよりも保身。などといったどうでもいいこを大事にする文化 です。 で