投稿

1月, 2014の投稿を表示しています

良い循環に他は必須

イメージ
   難しい世の中で気持ちよく生きるには、他からの影響を受けながら、柔軟に、そして好ましい循環を持って生きることが大事です。そのことについて書きました。 世 の中への対処  世の中は時間とともに変化します。その変化する世の中で生きるにはどうしたらよいのでしょうか、成功の法則はあるのでしょうか。考えます。 必 要なのは柔軟性  先に結論を書きますと、何にもありません。ですから決まりや法則を持つことが間違いです。すると、時間の変化に合わせ柔軟に生きることが大事なことがわかります。また、好き嫌いを基本とし、個々人の感ずることが大事だと思われます。 良 くなる流れ  成功法則は無いものの、流れはPDCAのサイクルでよくなるようです。 図1.良くなる循環 他からの影響は必須です。 (P)プランとは、少し高めの目標設定をもち、緊張感を持ちます。 (D)ドゥーとは、素直に状況を感じます。五感を使い、多く接します。状況を認めます。いやらしいこび、へつらいはしません。人と人との関係では依存から関係を使います。悪しき状況には待つ姿勢を持ち、良い状況には前に出ます。 (C)(A)チェック・アクションとは目標の達成や不達成に関わらず反省をします。また揺れない心、平常心を保ちます。 他 からの影響  こういったPDCAの流れで世の中が動いているのを見ると(D)ドゥーの場面で他からの影響を受けてることがわかります。それを認識できると、他を大切にするきっかけになるかもしれません。 それを以下を読んで考えました。 桜井章一 負けない技術 講談社 2009.9です。

実用で使えるかもしれない10の数学

イメージ
本 当に数学は必要です。  「数学なんか使えねえ」「数学って意味不明で解らない」という言葉を小学校、中学校、高校、大学でお聴きします。お好きでない方も多くいらっしゃるでしょう。  多くの方が嫌う数学は避けたいもののようですが、実は社会で役立ちます。斎藤孝さんの「退屈論」でもおっしゃているように、単純な計算が出来ることで頭の体操になることは勿論ありますが、それだけでなく、話の論を読み解いたり、概念を理解したりするのに役立ちます。ですから知っておいて損は無いと思います。  そこで私はここで数学の有用性を書きます。これまで嫌いだった方も数学に興味持っていただければと思います。 教 育方法に問題があるのかも知れない。  まず、私は日本の教育方法が変だと考えています。なぜか、それは実社会との関連性を年齢が高くなるまで教わらないからです。今もそうなのかもしれません、少なくとも私の生徒時代はそうでした。  全ての教科が繋がることの知ったのは大学4回生で論文を作るときのことです。今考えますと教員さんは社会に出ていることもあまりないのでしょうし、自分の教えている教科がどのように役に立つのかまで教える時間が無かったのかもしれません。  しかし、実社会に出た私は今、役立つ教科が数学であることは容易にわかります。ですから、数学をあくまで「理解する」意味で、その実用的な部分を知ることは重要だと私は考えています。ここでは実際どのような場面で役に立つのか述べます。  ちなみに私は生徒時代数学よりも社会を勉強する意味がわかりませんでした。年号や世界を覚えたからといって何の役にも立たないだろうなと思ったからです。そら国の首相になったり、グローバルビジネスを大きく展開していくのならば大きく見る目は必要なのだとは思いますが、それにしても時間が少なすぎます。また、歴史の授業で年号を覚えることがありますが、それ以上に事件が起こったきっかけや人の気持ちを筋道立てて話してくれるほうが役に立つのだと思います。ただそのような広い目で論理立てて話す先生は日本には少ないのかもしれません、残念です。 実 社会における数学の必要な場面、重要な順  おかしな順番かもしれませんが、個人が利用できる部分と、管理者が利用できる部分とにわけ、それぞ

イライラ・ブスブス

イメージ
 イライラが世の中にたくさんある気がしています。これは時代の流れ、自然の摂理だといえばそれまでですが、どうせ生きるのであればこれを減らし、楽しく生きたいです。そこで今回は個人、集団で楽しく生きる方法を書きます。論は集団のキーパーソンを見つけ、「好き」を大切にすることです。 いらいら世の中  どことなくイライラしている人はいます。それは老化しているからかもしれません。老化し放っておくと、ますます老化します。またそのような方々は友を呼ぶように集まります。嫌な気持ちが増し、自分も相手もより嫌な気持ち・嫌な関係になります。  他人はともかく自分がいらいらしいてる場合自分の傾向を知ると、楽しく生きられます。また相手が自分を認め合え、お互いがお互いを褒めあえる社会ができます。  そこでここではそのようなよい社会を作るための方法を書きます。 イライラの中身  誰でも一瞬の妬みや嫉妬、すねは持っています。これは思い込みで、悪い感情をコントロールできていない状態です。身近な例では・外面のいい人が不機嫌をためて「なぜわからないの」と怒る。であったり・本当は好きなのに、嫌いといったりする。ことがあります。これらは前頭葉の機能が低下し、想像力を失っているため起こります。そこで非のあるときは非を認め、切り替えることで前頭葉を鍛えます。   集団での感情  我々の社会は多くの人たちが集まっています。そのグループの中心人物の態度や気持ちが感染しています。ですから中心人物の感情がうまく処理されることが重要です。 その中で中心人物が悪い考えになると  1.思い込みや誤った解釈をします。「やめとけ」「いまさら」といった気持ちから行動するのにも腰が重くなり褒められても素直に喜べません。成長にブレーキがかかります。  2.完全主義を持ち、こだわります。特に極端に白か黒かで考えることは柔軟性が無くなりいつでも基準が満点にあり常に赤点を取っている気持ちとなります。嫌な気持ちです。  これらが「成長したい気持ち」や「好き」を持つことでお互いがお互いの思いやりが育ち、良い考えになります。 一方中心人物が良い考えになると  1.状態を管理できます。話をして反応パターンを知り、お互いの心のゆがみが取れます。他人の

情報発信者・拡散者の責任

イメージ
 報道関係者や記者と聞いてどのような印象を持ちますか。私は以前新聞記者さんと話していて、ぐいぐい押し迫るような気、何か言わされる雰囲気を強く感じ、悪い意味で驚きました。また、彼らは当人の前では平気で笑顔を振りまきますが、うってかわって裏ではぼろくそに言ったり書いたりします。それを知ってからマスメディアの人は信用ならないなと思いました。仕事とはいえ、相手のことを考えられない、一貫性がないのは相手にとって失礼なことなのだろうなと思います。 メディアの存在  変な正義感や野次馬根性を持って取材する記者は居ます。その人たちは知らず知らずのうちに、もしくは知ってて意図的に犠牲者を生みます。ここでの犠牲とは何か、他人の築いた信用をメディアが崩すことです。  そのひとつとして、罪を被る場合警察は敵となることがあります。本来なら真実を言えば警察は守ってくれそうだと思いますが、摘発率向上、事件の迅速解決のためありもしない執拗な自白が迫られたりします。  たとえ無実であったとしても、容疑者として警察発表があることでそれをメディアがたきつけ、大々的に報道し(報道)被害の出ることがあります。  これが起こる背景にはメディアによる警察へのストーカー的な夜回り、密着も原因としてあるようです。執拗に警察の日常生活を追いかけ、情報を得ようとします。またそうすることで警察からの情報に依存し、警察に記事を「書かされる」こともあるようです。  今はわかりませんが以前の朝日新聞では良識を持っていた方もいて、疋田さんという方が、警察の情報を疑え、として記録していたそうです。  報道なんて自分のこととは全く関係ないわ、などと言っていられません。メディアによる報道被害はいつどんなときに身近なこととなるかわかりません。被害を防ぐために 弁護士さんがメディアと被害者間に入って仲裁や訴訟 を行えます。問題が起こったとき、起こる前にも手段を事前に確保することは重要です。  被害が起こると、真実の自分とメディアによって作られた自分との違いを周囲に弁明をする必要があったり、家族が被害に受けられた場合、ショックで言葉も出ない場合でもメディアにより執拗に感想を聞き出だされたりし徒労します。  メディアが競争を持つことは悪くはありませんが、やりすぎな

損を自らとることと希望を持たず諦めることは大事

イメージ
   「損は買ってでもせよ」先日私の祖父母宅に行ったときにも言われました。確かにその通りだと思います。ですが“嫌がおうにも”という点に限って言えば、私は疑問を呈します。なぜなら自分の人生を犠牲にするのではなく、あくまで自分は自分の人生他人は他人の人生と思っているところがあるからです。ですから自分の限界を知った上で自分の意思で損を得て、現実問題へ対処する方法もあると考えます。 他人と自分の価値  皆さんは常識を気にしますか、常識とは「見えない世間の良識」です。先日はセンター試験があり、平均点がどうだといわれています。しかしこうした平均点でなくとも、勝ち組・負け組と判断したり、恋の告白は男からするものだったり、常識は広く蔓延しています。これらは世間のものさしです。周りはそれを押し付けます。  それに対して、自分の気持ちはどうなのでしょうか、自由になることから自由であることを考え、束縛から解放を望んでいるのではないでしょうか。それについての方法ををここでは述べます。  世間一般としてお金持ちになったら自由になるものと考えられますが、実際お金持ちはなるとそれはそれで気持ちは縛られます。ですので極端に言うのならホームレスなどの方のほうが自由なのかもしれません。そのようなホームレスのような方の自由を持とうとした場合、出世というとらわれからの開放や、諦めを持つことが成功と考えられます。これは反省しても仕方が無く、一瞬を大事にすることで身に付きます。  具体的には1)良くしたいと思うことが良くしなければなないと思うことに勝り2)問題を放っておくことで見出すことが出来るのかもしれません。 行動指針として  安直に気持ちや結果を求めようとする方、もしくは理由が無ければ行動できないと考えている方が居ます。さらに自分だけを得を得ようとしている考えをもたれている方、加えて布施は恵むことだ!と勘違いしている方が居ます。  それは全て共通して寂しいことです。それに対し、自分として「損」の得ることは重要です。  1)損をすることに意味があり尊く、悪役をも好まれます。引きこもりでもそれでいいのです。安心がえられます。また得ないことも本当の布施です。  2)問題を放っておくことで、「考えること」を考えないことを学びます。

事実を見る アトピービジネスから

イメージ
 原因や方法がわからない場合、責任を取ってくれそうな人や組織を探し出し、それの指示やいっていることに従って判断や行動をします。過去のアトピー性皮膚炎への治療でもその傾向があり、メディアにのせられ科学的根拠の無い民間療法が隆盛しました。これはひとえに事実を見誤ったからだと思います。ご紹介する件から、真実を見る目の大切さがわかっていただけると幸いです。 わ からないことへの対処の実例  わからないことが多いです、わからないことが多すぎます。しかし、だからといってわからないことを自分で確かめもせず、素直に信じてしまうとどうなるのでしょうか。ここでは一時期大きな問題となった「アトピー性皮膚炎」への治療をとりあげ、どうなったのか、みようと思います。 研 究途上での医療の混乱  アトピー性皮膚炎とはアレルギーと似ていて、ただれやかさぶたを伴うものです。これが起こる原因は二つあります。1)遺伝要因と2)環境要因です。心の治療が不可欠になることもあり、長期間治療が必要な場合があります。  これは一般的にステロイドを用いることで克服可能です。ステロイドは50年以上の使用実績があり、症状をコントロールできます。全身投与のされてきたこともありますが、現在では局所投与のものも開発されています。  ステロイドでアトピーの悪化のすることは実際にも理論的にも無く、その部位によって強さを変え、症状がほとんど出ないでおさまるそうです。誤った方法を取らなければ副作用は起こりません。なお、誤って使用した場合には 血管が浮き出て赤ら顔になること。 とびひやにきび、たむしなどの感染症になりえます。 また小児では90パーセントが中学校程度で消失、即ち自然治癒もしえます。  なお、日本ではステロイドは薬局で買えます。ですが使用方法などを考えると皮膚科医の居るお医者さんで使用量、方法などを習ったほうが良いようです。欧米では医者の処方箋がないと買うことが出来ません。  以前は原因も対処もわからなかったことから、治療において混乱がありました。原因や対処がわからなかった意味では統合失調症と似た部分があると思います。なお、統合失調症をはじめとした原因がわからない精神疾患は対処法が確立されるまで国でさえも 私宅監置 をしていましたが・

甘えとは何か。

イメージ
 多くの感情の元には「甘え」があり、それは日本独特な言葉です。これが 転じて「わび」「さび」「あわれみ」などを感じられます。これは母性的な感覚で、日本人の集団性を形作っているものであるとも考えられます。そうした甘えを知ることで、他人や自分の感情・気持ちや行動をわかるかもしれません。 甘 えという日本人独特なものがあります。  日本人の特有な感情として「甘え」があります。甘えは日本語独特なもので、依頼心の肯定的なものです。もてなしの気持ち、察する気持ちがこれに該当します。どこか被害者的意識があり、甘えと意識が密接な関係を持ちます。  それがこうじてかつて 全共闘(学生運動) が起こりました。本来加害者のはずの学生が、被害者的な意識を持っています。背後に甘えたくても甘えられない葛藤があるようです。  これに異なるものとしてアメリカを含む西洋の考え方があります。キリスト教では「神は自ら助けるものを助ける」とした考えがあるため「甘え」という言葉はありません。どんなに小さなことでも選択する必要があります。  普段「甘え」を意識することは無いと思いますが、精神医学を学ぶ上で人の感情はどういう状況からできたものなのかと考えることがあります。そのときに、「甘え」が大きく意味することがわかります。ここではその甘えは何かと述べ、甘えのできる原因のわかることで良い生き方をする、もしくは人生の再体験をする足がかりとなるかもしれません。 甘 えの形  甘えは親子の関係で見られるものです。これが欠損すると、ひがみ、気兼ね、わだかまり、照れなど非常に多くの問題を表出することが知られています。  甘えの肯定として人情があり、その関係を維持する目的で義理があります。親子関係の間では基本的に人情を返したりはしません。他人行儀と映るからです。  一方他人には甘えを意識することなく、無視できるなら無視します。ただし無視できない場合は無理やり同一化しようとします。同一化しようとした例として明治政府は海外の技術を短期間で取り入れてきました。また2次世界大戦後でも、欧米に追いつく目的でそれまで東京帝国大学では技術的な授業は英語でしていたのにもかかわらず、わずか10年で日本語に読み替えし、日本語の授業としたという、逸話があります。  これは海外のキリスト教のような

ざっくり診てもらいたい!心療内科の存在

イメージ
  お医者さんは患者さんの苦しみ・原因を調べ、除去します。 各臓器に分かれて科があり、診察しますが、身体疾患の場合 時に原因が「臓器」ではなく「心」の場合があります。 そのような場合、身体も心も含め総合的に病を判断する 「心療内科」の先生が活躍します。 心療内科の先生は薬剤投与や精神療法も含め、対処します。 場合によっては精神科への紹介もされるようです。 ですからジェネラリストなスペシャリストと考えられます。 解 らないことを解る。 世の中はっきりわからないことが多いです。 社会生活を始め、自分でさえわかないことはあります。 わからない部分を調べようとした場合、ざっくりをざっくりなままでは どうしようもないことから、ざっくりから細かいところへ分化し調べます。 これが科学の世界で考えていることです。 一方細かいことばかり考えていては木を見て森を見ずではないですが 細かく見すぎることで本質的な問題に目を向けられないことがあります。 そうしたばあい、細かいことをまとめ、関連付けます。 ここではそうした完全に分化されない医療で 特に目に見えない心の分野について述べます。 気負いすることなく相談できたり、助けてもらったりといった “いざ!”というときのお助けスポットは、 元気なうちに見つけておきたいものです。 お 医者さんの役目を知る。 科学の中で特に医療の分野があります。 医療分野で結構誤解されているのは 「病気は医者が治してくれる」というものです。 医者はあくまで病巣を見つけて除去をしますが、 本質的に治すのは自分です。 最近では分野が細かくなっていることで 病巣も見つけやすいのですが 一方全体の部分を見誤ってしまうこともあります。 治療区分は大きく外科と内科に分かれます。 その内科の中でも多くの科に分かれます。 ひとつとして神経内科、心療内科、神経科、精神科があります。 同じような名前が並びますが後半3つは心をみる科です。 ちなみに神経内科は特に臓器の異常を発みるもの、 心療内科は身体症状を伴う軽度の精神疾患、 神経科と精神科は同じ心の病を扱うものです。 心療内科の医師は、 精神科へ紹介の役目も担うプライマリードクターです。 心身症を

完璧性と不安性からなる症候群

イメージ
  家族関係が壊れたことにより発せられる 完璧性の執着や不安の増大があります。 これらが症候群、ひいてはコミュニケーション不全を生みます。 その対処には事実を知り、 リフレーミング(考え方の転換)をして自ら発することで克服出来ます。 症 候群を克服してよいコミュニケーションを得る。 以前の記事の通り、人が成長する上で親、父親の役割が重要です。 その関係が悪化すると、 コミュニケーションの症状として出ることがあります。 その症状の総称のうちのひとつは症候群です。 症候群とは厳密な定義が無く、それゆえいろいろなものがあります。 症候群の対処には 以前紹介させていただいた森田療法も勿論ありますが それも含め、具体的にどのようによくなるのでしょうか ここではその症候群の原因と対処の過程を述べ、学びます。 症 候群にはどのような要素からなっているのか 多くの症候群の根底にはいくつかの共通点があります。 完璧性と、不安性です。 勿論完璧性を持った上に不安性があるという場合もあります。 そこで以下にこれらに分類された症候群を示しました。 完璧性が根底にあるもの・・・ うつのある場合に見られることがあります。 他者との比較から奥さんが夫に完璧性を求め文句を言い、 夫が家庭恐怖症候群になります。 健康をチェックする際に 自分の体が完璧であることを確かめる健康チェック症候群があります。 休日に何か予定を入れないと困る休日症候群があります。 会社内での部下と上司の立場で,あるいは、会社と家庭とで サンドイッチな感覚を味わうサンドイッチ症候群があります。 自分が何とかしなければならないと思うことから燃え尽き症候群があります。 不安が根底にあるもの・・・ 健康状態が悪くないかと不安になる健康チェック症候群があります。 休日は何も埋まっていないと不安になる休日症候群があります。 最初のイメージが崩れるのを恐れ、 表面的な付き合う見捨てられ症候群があります。 道を途中下車し、本当はすばらしいものを手に入れられるのでは? といった青い鳥症候群があります。 自分が動かなくても良いという自己無責任と大人の勝手なレール作りから 無気力になります。 いずれも目指す

看る者・看護師さん

イメージ
病気を治療するのは医師です。一方医師を支える看護師が居ます。 病気には大小さまざまありますが、時に「死」に直面する場合もあります。 そのような死に直面する場合、 医師を含め看護師さんも本人やご家族へ慎重に対応します。 どう対応したらよいか悩み、加えて万年人数不足・交代勤務であることから 非常にストレスのたまりやすい仕事です。 一方、近年では看護する方の環境をよりよくしようと言った組織側の動きや 新たな問題の発生箇所として社会もあり、 私のようなPSWが協力することもあります。 い ざ!というときに揺れる看護の対応 人の死はまわりによくも(病気)悪くも(自殺)影響を与えます。 死に対し、苦しくても治療するほうが良いのか、 あるいは気持ちよく死せるほうが良いのか いくら法律上生命を守る義務があっても、 看護する者は考える機会はあるでしょう。 そのような時に限界まで突き進むか、 あるいは諦めるか、選択を迫られます。 すると治療の妥当性を取るのか、患者の意思を取るのか、に対し どこまで説明するかも考えることがあります。 例えば全身麻酔をした手術後、副次的に現れる幻覚は 手術という本筋に関係が無いため伝えなくて良いのか、 ということであるとか 誰かの主観で作られた記録を見ることで患者さんを見なくてよいのか、 であるとか 患者が経管栄養で不安だといっても「万全です」説明すること、 であるとか ・・・数えだせばきりがありません。 つまり、看護は 患者さんの肉体と精神面の苦痛を和らげる必要があるのかもしれません。 そのため技術習得は当然必要なのですが、それ以上に毎日にゆとりと、 感受性を得ること、学びを広く知ることも重要なのだと思います。 また、症状の改善を緩和を求められる一方、 諦めることも時に必要だと思います。 普段は健康診断や病気のときくらいしか接する機会が無いかもしれない 看護の方ですが、彼らはどんな人なのでしょうか。ここで書こうと思います。 看 護する人 介護を含め看護も同様に、 どうも日本は女性の仕事を軽く見る傾向があります。 また本来専門職なのですが技術料も発生しません。残念です。 看護をする場には看護師、准看護師、看護助

子育ての声、育成の声

イメージ
優しい言葉、少し高い音域の言葉を話すことで、子どもの成長を期待できます。 言葉と態度を通して子どもは成長しますが、れわれ大人の関係でも同様です。 大きすぎないこ声と、適度に高い声、テンポで親しさを演出、認められます。 霊 長類の使う言葉、社会言葉と行動 新しい子どもが出来、または預かったりして子を見守ることはあります。 その子どもはどのような成長をされるのでしょうか。 私たちの生活に生かすことの出来ることはあるのでしょうか。述べてみます。 人間だけでなく、霊長類も方言は存在します。サルを例に見てみましょう。 言葉を話す生物としてチンパンジーがいます。 新生児と同じような喉の構造をしていて、食べながら空気が吸えます。 日本人として身近な生物としてニホンザルがいます。 種別により発言形式が変わるようです。 受精後190日前後で母語を認識します。 人間と近い方言を用いるベルベットモンキーが居ます。 個々の表現から情報公開、伝達をしています。 人間に返って、母と子の言葉のやり取りを見ると、 子が母の、あるいは母が子の真似事をして 話すメロディータイプからニュアンスを把握できるようになります。 例えば凄く大きい音を発されると危険性を感じるようですが、 母は子どもと接する場合、高音になることがあります。 声はメロディーで文脈の結びつきます。受け取り方は人はまちまちです。 メロディによって哺乳瓶の吸い付きで 休んでだりといった行動が変わります。 新 生児の特徴 言葉を認識する新生児にはかわいらしさと気持ちが備わってます。 かわいらしさにはフジ三太郎をはじめとした特徴があります。 カナダや中国でも普遍的に変わらないものがあるようで、 その口調もフランスでは抑揚が高くなります。 生後外界の複雑な交渉をすることはもともと遺伝子に組み込まれています。 お母さんの声が聞こえ、揺さぶるとお乳を吸う頻度が変わります。 お母さんが適度に揺さぶる、合図を送り続けると子どもを刺激しますが 逆に揺さぶりを無くすると、子どもはいらいら、もぞもぞします。 また揺れたら喜ぶといった子育ての潜在的可能性を持ち、 母親はその特性を活用します。 (ただし揺らしすぎると子どもの脳に悪影響

子育てに必要なこと

イメージ
  不安を抱えがちな子育てですが 自分の子を認め、完璧を目指さない柔軟性が大事です。 子 育てへの不安 子育て情報が氾濫することで、子育ての難しさが伝わり、不安です。 不安は「より完璧に教育せねばならない」、 「私の子どもこそは勝ち組に」、といった 競争原理が根底にあり、子育てにも紛れ込んでいるのかもしれません。 また自身の親子関係が良くない場合、子どもに悪い影響 すなわち負の連鎖が起こることがあるようです。 ですからそうした負の連鎖を断ち切ることを含めて どうしたら子育てに不安なく取り組められるのでしょうか、以下考えます。 保育者は人生に関心を見る目線が大切であることが考えられ、 子とともに育っていく実感を持つことが大切です。 保育園ではそれを見越して意図的系統的な計画を立てて子育てをします。 良い子育てをするにはたくさんの知識と想像とが必要です。 子育てでは、母親と父親の役割はひときわ大きいものです。 基本的に子は母親に近くいることで愛着・情緒が育まれますが 欧米の研究によると 母親でなくとも愛着が出来ることがあるといわれています。 また父親は子育てに多く関与することで 母親の制約感が減りよい子育てが期待できます。 保育者の今後の課題は子どもを育てる実感をいかにもつか、です。 また子育てと仕事の両立、 待機児童ゼロを目指す、 地域で子育て情報の共有 保育サービスの拡充、 といった児童対策をすることも大事です。 保 育者としての懸念 一般的な教育知識を知ると ついつい「今月中までに話せられるようにしたい」だとか 「このような能力を育てたい」と考え、 親の都合で子育てをしてしまいがちです。 ですが、子どもは子ども、ひとりひとり違うので、 子どもに合った対応したいです。 子に合った対応の中で最近注目されているものに コミュニケーション能力があります。 つい「この子コミュニケーション能力が無いのじゃないかしら」 などと考えがちですが 子のコミュニケーション能力は皆生まれた当初から備わっています。 生まれてすぐから無意識のうちに 母親の乳房を吸ったり休んだりして親の態度を伺います。 年齢が進むにつれ態度だけでなく、 言葉を発し、概

結婚な幸せ、幸せな結婚

イメージ
  結婚の幸せとは何なのでしょう。  歴史を見ると、時代によって変わっています。 今でこそ、 結婚の目的は 共通の趣味や自己発達、子育てであったりしますが 過去には、明治初期からつい少し前まで 優秀な子を作るためであったり それ以前は家を存続させるため、 と言った“誰かに操作された目的”がありました。 過去に時代によって結婚の目的が変わったことを考えると、 今後も変わることが考えられます。 ただ、いずれにしても本人および支える人ともに 柔軟に考え行動することが必要だと思います。 意 外と多い恋愛結婚 恋愛による結婚をした方は 8割を超えている といいます。 そのきっかけは同じ学校、同じ職場やネット、などさまざまです。 出会いはお見合いでも、結婚は恋愛となったと言い張る方も居ます。 この結婚の目的は、 収入の安定、精神あるいは趣味の共有、子育てなのだと思います。 いずれにしても結婚を幸せと結びつける動きはあります。 結婚、これは国が個人の結びつきを認める制度で変わりません。 一方、幸せは時代によって変わります。 では、過去に幸せはどのようにかわったのでしょうか。 これまでの結婚の歴史を調べることにより過去と同じ、 つまり“間違った”と思われる考えと 行動を引き継がないためにはどうするか、 考えてゆくことが出来ると思います。 そこでここでは過去の結婚のあり方を見ました。 心 に潜む追いつけ追い越せ 現在はあまり意識されることは無いのかもしれませんが、 数十年前から大政奉還までは 白人、西欧人に追いつけ追い越せの精神で 美を身につけ強くなろうとしていました。 勿論今もそのように考え、行動している方もいます。 ではどうすれば追い越すことが出来るのか、 結婚を生殖として考えた場合の生物学として見る場合と、 結婚を人とのつながりとして考えた場合の  社会学として見る場合とがあります。 生物学 結婚を生物学とし、 生殖をコントロールして強い人間を作ろうとしていました。 今のように遺伝子技術が発達する前から優生学という学問を用いて、です。 昭和、大正期には朝日新聞が優生学を積極的に取り上げ、 国もそれを後押ししました。 大正時代には優

男女の差は、事実と感情の差

イメージ
  男性は事実を、女性は感情を記憶しやすいです。 男性は過去の出来事から詳細を分析し、 因果関係を見出すことに長けています。 一方女性は過去の出来事から、感情を想起し総合的に判断をしています。 それぞれのいいところを適切な場面に合わせて使うことが重要です。 感情表現や感じることが苦手な男性でも、感情を感じ、うまく表現すれば 女性と仲良く接していけるのかもしれません。 逆もしかりです。 男女 の違いはあります。 写真を見て、事実を思い出すでしょうか、感情を思い出すでしょうか あるいはあなたが採用の面接官の場合、何時間もかけて見定めるでしょうか それともあっさり数分で決めてしまうでしょうか。 これらは細部にこだわる男性と全体を見渡す女性とでの 脳の違いによる考え方の違いです。 男女間には性器もそうですが非常に暗くて深い溝があり 例外はあるにせよ基本的に違います。 違いが分からないと、思いもかけないところで衝突します。 「そんなところでつまづいてたの?」「分かってるものだと思ってた」など 相手が知っていて・思っていて当然だと思っていたことが 実は分かっていなかった、なんてことも珍しくありません。 そこでここではこうした男女間での考え方の違いを知りどう生かすか、 人と人との関係を生きる中で良い人生を送る手段を考えます。 男 の人の考え方 私を含め男の人は単純です、 社会で認められていたいであるとか、信用を持っていたいと思います。 信用を得るためには事実に関して 正確に記憶することが必要だと考えています。 ですから9割を事実で話し、結論をすばやく出して終わりにします。 一方感情はあやふやで乏しく、その表現や記憶も得意ではありません。 だから愛されているかを考えることが少ないため 恋人や妻に浮気をされても気付かないことがあります。 例えば振られた場合でも振られた感情よりも過去の事実を思い出します。 女 の人の考え方 女の人は複雑だといわれています。 幸せは日々の積み重ねであると考え、 幸せを願い、不幸を悲しむことを考えています。 楽しく生きるために有利で、 かわいらしさから不安を抱かないように対処しています。 子どもを愛し育てるのもある

心理テストという檻で人は見られない

イメージ
  自分と他人は違います。ですから他人が知りたいです。 その背景には「相手に良い印象を持ってもらいたい」と思う部分があると思います。 他人を評価する基準や、自分が良い印象を持ってもらおうとする基準は、 自分が時が経つにつれ変わるように、性別・文化・時代などで容易に変わります。 ですから今のひとを知るには直接ぶつかることがもっとも望ましいと思います。 人 をわかるために 「相手のことが知りたい」こう思うのは付き合い始めの男女だけではありません。 人間は他の人間と違う生き物であるため、知りたい欲求があるのは当然です。 時に何らかの「見立て、予想」を立て、どような人なのかなと推測しています。 私のようなソーシャルワーカーだけでなく医者や学校の先生でもあると思います。 見立ての指標は多く持つことが多面的に人間ををとらえる意味で望ましいです。 なぜなら人間は多面的な特徴、いろいろな面があるからです。 そこでここでは人の分類方法を記し、人をわかるにはどうしたらよいか またそのわかりたい気持ちの背景にある 「良い印象を与えるにはどすうるか」を考えます。 人 の認識とはなんぞ ひとつの事象でもひとにより受け取り方はさまざまです。 自分でも気分や時間経過によって見方や受け取り方は変わります。 さらに他人への評価となったらお互い変わっていくためさらに複雑となるでしょう。 関係性がよい人の評価には自分もよい評価を下しますが、 逆に関係の悪い人ならば評価が厳しい目になるかもしれません。 このようにわれわれはしらずしらずのうちに 情報の重み付け、クローズアップをしているのです。 そのようなクローズアップ理論を一言で言うのは難しいと思います。 しかしあくまで一つの基準で烙印を押すのは簡単で便利です。 たとえば人相学のような特有な顔を調べる学問があります。 これは人の特徴的をまとめているだけで、完全ではありません。 逆は成り立たないことも多いです。 (例えば罪人は悪人顔とした場合、悪人顔が罪人とは限らないということ) 人を調べる基準として学問的に心理学を学ばれる場合、 心理テストを行うことがあります。心理テストは 妥当性と信頼性を持ったYes/Noや選択をする質問紙法 歪曲は

不安なことへのありかた・森田療法

イメージ
「不安で行動できない」「人前にでるとあがってしまう」 などなど、誰しもこのような気持ちになることはあります。 ですがこれが日常生活に支障が出るほどひどくなると病気です。 その対処法で代表的なものに森田療法があります。 時に欲求不満な状態で不安や葛藤を持ったまま、あるがままに行動します。 自己治癒力を信じ、目的を見定めて前向きに歩むことを期待する方法です。 東 西で分かれる精神療法 「病は気から」という言葉があるように、考え方が変化すると 元気になったり、もしくは病気になったりすることがあります。 その中には「あれこれをしなくてはならない」といった 強迫的に物事にとらわれたり、「できるだろうか」と、 不安が先立ち行動を制御してしまう「神経症」があります。 これは考え方の歪みなため機械で異常個所は発見できません。 微小な気持ちでしたら無視してもかまわないかもしれませんが たとえば外出の予定があるのに ガスの元栓がしまっているか心配で一日中チェックしているなど 日常生活に支障きたすならば、対処が求められます。 そこでその対処には精神療法が用いられます。 精神療法には西欧式と東洋式とがあります。 西欧式には一般的に精神分析といわれ、 自然から自分を対峙し文字通り分析します。 必要なものは治す者と治される者との「治療同盟」であり、 先の神経症ではそれを「欲求不満」ととらえ、 全ての原因を「性」と考えます。 一方東洋式は森田療法があります。 これは自然の恩恵を「あるがまま」とします。 必要なものは「日常での実践」で、 神経症は「関係の不適応」が原因とし、 さらに関係の不適応とは「ストレスと事象」だとしています。 そこでここでは一般の方でももちうる気持ちから 神経症の対処方法と原因を述べ、 日常生活にどう生かすことができるかを考えます。 森 田療法の具体的行動 森田療法は 日常の外界と遮断し、1週間寝る日を迎えます 欲求不満を残したままで軽い作業を1週間以上します。 日常行動をします。 本来人間の生きる力、自己治癒力を大切にしています。 軽い作業をこなすことで生きる力をたくわえます。 一方日記をつけて今どう考えているかを知り、 と

受け入れられないことへの対応

イメージ
  一人ではどうしようもない、他人に理解されにくい問題はあります。 それを解決するため声を上げる必要のあるときもあります。 声をあげるときには、  「現実」を見据え、「目的」を持ちながら「適度に」主張します。 受 け入れられない問題をどう対処するのでしょう。 セカイに差別はあります。差別を受ける人たちは手を取り合って生きています。 差別、とりわけ障害の人口比率において日本は5%で程度だといわれます。 20%のアメリカ、33%のスウェーデンと比べるとすくなく、障害の認定が厳しいようです。 障害でなくとも雇用でも男女による優劣があります。 女性は「家事手伝い」という伝家の宝刀を用いることで 数年無職の期間があっても雇用されたりすることがあるようです。 これらの優劣差、バリアに気が付くことが主張する場合は大事(区別とは別)です。 実際どうにもならない問題というのが発生した場合どうしたらよいのでしょうか。 そこでここでは障害の中で性同一障害を挙げ、どうするのかを考えます。 ちなみにこれは同性愛と違い、自分の性が受け入れられない障害です。 広 く社会全体で見る 広く見ると家庭、医療、社会の影響があります。 家庭において受け入れてもらえる家族や働きかけてくれるボランティアが必要で 受け入れられることで自分らしさを出すこと、自分が自分で動くことが望まれます。 医療も日進月歩で進化しています。現在考えられる性同一障害へは 1)精神療法2)ホルモン療法3)手術と言った治療が行われますが 障害の程度によってどこまでの手段をとるかは人によるようです。 手術には絶対は無く、リスクも大きいことは知る必要があります。 社会では行政への働きかけが必要となります。 書類は性別をまるで囲めばそれで終わりとなりますが、 それでも公的書類を出せなかったり、 戸籍が「家族の価値」として認識されていて改定は出来ません。 ですから生き方を変える意味では政治的に働きかける場合があります。 個 人で見る 本人、個人として見ると広く見た場合とは状況が異なります。 根底には自由進歩の雰囲気が必要です。 自身の性や身体を受け入れられない場合、 違和感を感じることを誰にも話せず、

家庭・父親の役割

イメージ
多くの社会問題は、複雑に絡み合っていますが、 他を認めることと自分を認めることとで問題のいくつかは解決できます。 自然と接し、家庭とりわけ父親の役割を取り戻すことで 自らを認める気持ちや社会問題に耐える力を育みます。 最 近の社会問題と本目的 毎日のようにマスコミが社会問題を報道しています。 今後も現在と同じように社会問題が発生する場合 いつ自分に問題が降りかかってくるか解りません。 身に降りかかる問題を防ぐため事前に準備することは大事です。 そこで多くの社会問題に接し納得するために原因を知り、 対策を立てるための仮説を立てる;環境を修正します。 この環境修正の基礎には家庭があり、それを再生する必要があります。 そこでここでは社会問題の一例とその対策を述べます。 社 会問題 と家庭問題 社会問題が起き易い家庭は、 「いいあんばい」で役割構成されていないことがあります。 特に父親の役割が薄れ、その役割を諦めることがあるようです。 GTOの教頭のような。 男が得意と思われる分析で家庭問題を発見し、 改善する力が失われています。 家庭の役割が果たせずずたずたになると、秩序が崩れます。 するとたとえば子どもを優先しすぎることで、性格が歪んだり 育てる環境が歪んだりし、子が精神疾患となる場合もあります。 家 庭問題が表出化したことによる社会問題の一例 とりわけ幼少期の家庭機能不全が突き進むと、 次のような精神疾患が生じます。 アルコール中毒な両親の場合におきやすいようですが アルコール中毒でなくとも、 暴力的な父とそれに耐える母という構造ができると 子はACとして育つようです。 また、母から子が分離していないと子の性格に影響を及ぼします。 例えば母が子を構いすぎることで境界性人格障害になったり、 寂しさを求めるためのストーカーになったりします。 逆に過度に離れすぎていると虐待となります。 子を虐待により認めないことをはじめ、 大人の真似をして子どもも他人をいじめ いじめを受けた子はトラウマとなったり 最終的に多重人格になることがあります。 また家庭で我慢を覚えることが無いと、どんどん刺激を求めます。 UFOや心霊、最終的には自己

生かされたものの役割、出来ること。

イメージ
  死した体験を身近で感じるからそこ、生かされている者が 「気持ち表出」の大切さ、「感情を置く時間」の大切さを認識します。 また新たな死を生み出さないためにも 他人のわずかな変化を見逃さない「感性」を磨きたいです。 自 死者の事例を今生きる人に生かす。 自殺者数が多いです。 ここ数年は年間3万人を越えています。 この原因は、健康、経済、仲間、など などさまざまで複雑だといわれています。 しかし本当の原因は死した個々人によって違い、 また本人にしか解りません。そしてすでに本人は居ません。 自殺の起こった後はどうしようもないですが、遺された人へのケアとして、 遺された人同士が 気持ちを吐露しあうセルフヘルプグループ があります。 同じ経験をした人たちが集まり 解決は出来ないが共に感じ、安心の出来る自由参加の場 内在した気悲しみや苦しみを表出させる癒しの場 歳月経過に伴い、気持ちが整理される場 として機能しています。 一方、この「死」の問題はカウンセリングでも重要です。 一般的に「死」の手前を体験することで初めて「生」を味わえるからです。 これらセルフヘルプグループ、およびカウンセリングを通して、 生きるわれわがどう生かせるか、考えます。 ですからここでは自死した子を持つ親の気持ちや傾向を経時で見ます。 気 持ちや状況の変遷 自死前 自死前は凄く極端にお子さんに期待するか、もしくは期待しません。 私は何か親御さんがお子さんの気持ちを見えていない気がします。 自死直後 実にショックです。 理由や動機を含め、解らないことが多いため 混乱と悲しみは底知れません。 世間から家族に責める言葉が突きささります。 以後書いたり話したりして感情を出すことが望まれます。 手っ取り早く悲しみを転嫁するため宗教にすがる人が居ます。 +数年 しばらくは「事件直前にああしていれば」と思うようです。 自分の子の死を認めたくないことから、 周りとのかかわりを持ちたくないこともあります。 子のことをいつも思い、寂しさが伴います。 +数年+数年 心中は悲しいながらも空虚感が出来ます。 いずれ立ち上がらなくては、と思うこともあるようです。 +数年+数年

複数の原因を複数で支える―社会的引きこもりから―

イメージ
  複数の原因で起こる社会的引きこもりへは、できるだけ早く、 個人や家族、社会、による複数の関係を合わせ、対処します。 またこの対応方法は、 複数の原因で起こる先行きの見えない経営に応用できます。 引 きこもりとなってしまった方がいます。 日本は 一億総中流階級 と呼ばれています。 自己責任、個人が大事にされている中で、 家庭では思春期に起こる問題のひとつに「社会的引きこもり」があります。 引きこもってしまった彼らには、自己責任といって放置してよいのでしょうか。 私は対処をする必要があると思います。 この社会的引きこもりは本人だけでなく、本人を取り巻く家族や、 家族の属する社会との「関わり方、関係性」が複合的に関係しています。 さらに、一般に社会的引きこもりは精神疾患ですが、 はっきりとした原因が解りません。 認知症のような脳に外傷(外因性)はなく、 またうつ病のように薬で回復はしません。 そこで精神療法といった「投薬でない治療」がおこなれます。 相手のあるがままを受け入れる来談者中心療法や、 家族の関係力を利用した家族療法がそれです。これらを利用します。 この社会的引きこもりへの対処方法を学ぶことで、 ご家族が社会的引きこもりとなってしまっても早急に対応が可能です。 また、いまの社会問題や経営へもこの対応方法が応用できると思います。 まぜならいまの社会は原因がわからない (社会的引きこもりの場合は病気)のに加えて、 対応が遅れれば遅れるほど悪化するという共通点があるからです。 ですからここでは社会的引きこもりの状況とその対応方法について述べます。 早 めの治療が必要です。 96%の医者は、社会的引きこもりにはなんらかの対応が必要としています。 必要としたもののうち、86%の医者は精神療法が有効と考えているようです。 また出来るだけ早めに治療することが望まれます。 なぜなら治療には6ヶ月から数年単位と長期戦を強いるからです。 そして放置すればするほど加速度的にレベルは悪くなります(下図)。 さらに引きこもり期間が長引くと就職などの社会的ルートが閉ざされてしまいます。 よっておよそ30歳までには精神科医に診てもらうか、 ある

理系と文系とにおける論文作成方法の違い

イメージ
 説明文はある程度の型が決まっています。その型がわからずに説明文や論文を書いた場合、相手に自分の書いた文の内容を理解してもらえません。こうした理解してもらえないことは相手に自分の主張を伝えようとしている場合には問題です。改善する必要があります。そこでここでは説明文や論文の要素や形を確認し、理系と文系とにおける、論文の書き方の違いを示し、どうしたら良い文が書けるかを考えます。 世には説明文がたくさんある。  世には他人の作った文がたくさんあります。書物や新聞、論文といったものがそうです。これらは物によって書かれている内容はまちまちですが、説明文や論文に限った場合は、書き方にある共通点があります。  理系と文系とでは一見文章の作り方も違いそうですが、結果的に出来る文は同じです。そこでここでは文の基本的な形を示しながら、理系と文系とで文の作り方の違いをまとめどうしたら良い文が読めるか、書けるか記します。 人には理解しやすい文がある。  人の理解の仕方にはパターンがあります。それをいい形で刺激することで気持ちの良い理解をしてもらうことができます。  その気持ちの良い理解をしてもらうための文章例がエッセイや論文です。エッセイや論文には相手に理解してもらいたい主張があります。  ですから相手に自分の主張が理解されやすい文、相手の主張を理解に適した文こそ、説明文では良文といえると思います。それには理系や文系の違いはありません。 理解しやすい文を読むには作るには。  そうした理解に適した文と接するためには、既存の良文を読む必要があります。    既存の文が良文か否かを見極めるためには、とにかく文を多く読んで、それぞれの文の良さを見比べる必要があります。  多くの文を読み、それを見比べることによって「良さ」がわかり、その上で良い説明文を多く読むことによって、自分でもそれを真似して良い文を作ることができるようになるのだと思います。 説明文の意味  なお、 良い 説明文の多くは他人の解釈を批判的に継承 しています。    つまりかつて利用されてきた ①今まである理論(背景)を下敷きに、②これまでの仮定を批判(目的)して、③独自の考えを生み出す(方法と結果・結論) ということです。  そうした基本を持った上で

表現方法や問題解決に生かせられる方法

イメージ
  理解は、状況から複雑化を経て、あらかじめグループ化された 構成(演繹法か、帰納法か)に従い、疑問、事実、考えを並べます。 また逆の流れに従うことで疑問や問題からの解決ができます。 必 要なのはイメージ 発明をはじめ、文章を生み出すためには 方法を知ること以上にイメージ化が必須です。 イメージ化すると記憶が容易になるのは勿論、 新しい発想が出来上がることが多いといわれています。 イメージ化が出来ないと、 自分が理解できないだけでなく、相手への説明が出来ません。 ですからイメージ化できるようになり、それがどう関係するのか 知ることは重要です。ここでは、 イメージ化を使った理解の仕方を書きます。 一般的に理解は状況からの複雑化、疑問の受け答えからできます。 科学実験ではあいまいなことを目に見える形で表現します。 仮説を立て、YesとNoの二択であらわすことが可能な 実験の繰り返しをします。説明をする場合は逆をたどります。 実験結果や仮説から実験の要約を抽出しまとめ、 まとめと関係のある背景を考え発表、論文とします。 理 解の構造-イメージの使用 - 通常理解とは頭から順に、トップダウンで行われます。 状況を知り、その状況から考えられる複雑化の問題(目的) さらに疑問の答えをリストアップして目標を設定します。 目標は理由、因果、分解、分類から形作られます。 状況とは「読み聞かせる相手や 文章を読んでもらう方の一般的な状況」です。 情報を抜き出し過去の因果関係を含めて、思い出します。 物語といった疑似餌でこれから説明したいことを導入します。 相手が知らない情報を入れないように注意します。 複雑化の問題とはその「状況と表裏にあるもの」です。 何がどうなっているかと言った複雑化を経て、 どうなってほしいかと言った目的を設定します。 答えとは「なぜ知るか」ということです。ここから目標を作ります。 「なぜ?」「どのように?」からグループの論理的並び替え、 実際の行動、プロセスからの結論を用いて漏れなく無駄なく、表現します。 論理的並び替えは演繹、帰納を使い、ツリー型にしてイメージします。 演繹:3段論法で1)状況を説明2)関連を述べる3)」意味を