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11月, 2017の投稿を表示しています

接客業の明日はジリ貧だ

 多くの仕事の中で興味深い職業に接客業があります。これは営業などとは違ったお仕事です。そこでここでは接客業と営業とでどこがどのように違うかを示し、特に私が勤めていたビジネスホテルについて説明し接客業を続けていってジリ貧にならないためにどのような考えを持ったらよいかを書きます。 根本的な考え:パイの大きさ<パイの分配率  接客業の場合は多くのお客様に「来店していただくこと」が大事です。営業と違ってお客様に商品について「売り」をアピールしたりはしません。ですので接客業では営業と違って商品自体で断られることはありません。  接客業では来店していただくことを重要視していて再来率や満足度を重要視します。当然最大売り上げ額(パイ)は決まってきます。ですので営業と違って利益のパイを大きくよりもパイの利益割合を大きくすることに着目します。(業界にしても、ホテルの売り上げにしても) ホテルという接客業の価値  私が最近までいたのはビジネスホテルでした。仕事はそこでのフロントでしたが、これは典型的な接客業です。同業他社には他のビジネスホテルはもちろん帝国ホテルやシティホテルなどがあります。  それら帝国やシティなどのホテルはビジネスホテルに比べ高級なホテルですが、これらの宿泊施設の場合、場所代やアメニティグッズなどの他に一泊あたり大きな額が多く使われています。ですからそれに付随してお客様をもてなす心や、ホスピタリティとか言うのを前面に出して「満足させてもらえるホテル」を目指す必要もありだと思います。  しかしビジネスホテルはそれらのホテルと違います。値段の割りにすぐ泊まれるため確かに駅前にあったりすることはありますが、高級ホテルの接客方法とはまた求められているものも違う、と考えています。(少なくとも私は)高級路線に走ることはベターだとは思いません。  例えば都心でもお客さんの入りの少ない日でしたら一泊4000円代で泊れるところは十分あり、そうした安いホテルでは従業員の給料も大抵が少なくホスピタリティーを求めるほどのものではないと思うからです。あってもよいとは思いますが、なくてもいいと思います。  そもそもそうしたホテルのフロントの仕事内容も基本的には「お金を受け取って領収書とお釣りを返し、鍵を渡すだけ」ですから高い価値をもらえるだけの仕事をし

言い方は内容よりも重要なことがある

 凄く素晴らしいことを言っている人がおります。しかしどんなすばらしいことでも言い方ひとつで伝わったり伝わらなかったりもします。それでは意味がありません。それは問題です。そこでここでは言い方についてどのように考えたらよいかひとつの可能性を示します。 内容は良いが言い方のきつい人  人は自分がされてきたことをしてしまうといった再生産は良くなされます。(たとえば貧困の再生産)言い方についてもそれが言えることはあり、言っている内容がどんなに素晴らしくても、親やかつての上司がきつい言い方をしているとそれを知らず知らずの間に真似てしまいきつい言い方になってしまう場合があります。  そのようなきつい言い方をする方が組織にいる場合、下っ端の立ち居地でしたらまだ注意をすることで良くなる可能性はあります。しかし高い位置についていたりするとどうしても他人を寄せ付けない雰囲気や付き合うのは厳しいだろう気持ちを持たれてしまいます。  すると付き合いにくい人だとほかの人に誤解され、また本来入ってきたほうがいい情報も入ってこず、結局は損をしてしまいます。 そのままいくとどうなるか  そのような「人が離れていく状況」について本人が困っていないのであれば他人がどうこうできることはません。なぜなら他人は自分ではないからです。  しかしそのような「人を寄せ付けない」雰囲気や態度をとっている人は非常に残念というか、無念な気がしています。  えてしてそのような方がトラブルを抱えた場合、周りにいる方が解決するため対処をしますがたとえその一点での処理をしたとしても、それはあくまで対処療法的なものでしかありません。   その場の問題は解決したところで次にまた同じような問題の発生する ことがあります。  ですからきつい言い方をした方がきつい言い方ゆえに発生した問題の場合、その問題を対処すること以上に、言い方であるとか普段のあり方を考え、 習慣を変える必要のある 気がしています。 人の言葉と感情の推移  なお、言い方が適格だが厳しい言い方の人にもいいところはあって、 意味づけは非常に正確に働い ているところがあります。  ただし 感情がマイナスに働いて、行動をしないことを大事としている ため、 きつい言い方ややる気の出ない言い方になるのだと思います。

新宿 精神保健福祉士豊島による話し方講座を開催します。

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   うまくしゃべれていないな。どうしたらいい感じに話せるのだろう...などなど、話し方に疑問や不安を抱えていませんか?そのような悩みは本講座を受けることをきっかけに見直すことができるかもしれません。  本講座はこれまで研究開発者や精神保健福祉士として活動してきた私、豊島が、問題発見力とSSTの技術とを用いて話し方に関して課題と解決策をともに考える「勉強会」です。  今回の講座・勉強会に参加されることでお互いに最良の話し方生き方を考えましょう。  なお、今回の具体的な 講座内容は1自己紹介、2自分の過去と他人の過去、3それらを知ってどう生かすか。 です。主に 初対面の方とどう接するか ということを重点において話します。    今回は会場が小さく最大12名しか入れません。ですのでご参加の際には、事前に メール か ツイッターのDM、FBのDM をいただけると幸いです。 講座名:【東京新宿】自分も相手も満足する「初対面」の話し方講座 時:2017年12月24日(日)10:00-12:00 場所:東京都新宿区新宿3丁目ルノアールビッグスビル店 1号室 必要物資: およその参加費2000円(590円の飲み物代込) 筆記用具(ペンとノート)  です、よろしくお願いいたします。

好きなことや興味のあることだけしてもいい

 昔から苦労してこそ労働といわれています。そうした努力論・精神論も結構だとは思います。それで本当の力が付けばよいと思うからです。  しかし必ずしもそうなるとは言えません。だとすると嫌いなことを一生懸命努力をして普通になろうとするより、場合によっては好きなことをより伸ばし続けると強くなる部分もあるのではないかと考えます。  そうした好きや興味深いことについて、ここではそれを続ける大切さを書きます。 世に多い努力論  高度経済成長期などのかつては、努力や精神論で上司や経営者についていけば安定したお金や地位を獲得することができました。たとえば車、持ち家、高級時計など、目に見えるわかりやすいものを得られ、未来も想像しやすく安心できた部分もあったと思います。  受験勉強についてもそうです。日本では大学に入ることが難しいです。その状況下で、難易度が日本一の東京大学に入るため苦手科目をなくせ、努力をしろ、などということがあると思います。 恐怖や恐れから来るしたくない行動の末路  それでも結果が出ればよいのだと思います。しかしそのようなことは特に最近、あまりないのではないでしょうか。  前者の例で言うなら突然大会社が平気であっさり倒産したりしますし、後者で言うならせっかく東京大学に入っても自殺されてしまう方もいたりすると思うからです。(後者のそれは無理な努力をしたからそうなった、などとといった関係はつかめませんが。)  加えてそうした恐怖や恐れ、不満から学ぶ努力や勉強は本能的にしたくないことをしているであるとか、やらされてる感を感じてしまうのではないでしょうか。  すると一時的には能力を高めることはできたとしても期間が長引くにつれ、体力を消耗してしまいます。場合によっては反抗的になって能力が落ちます。親に怒られ続けた子供が親を無視するように、です。すると指導するほうも指導されるほうも、ともにしんどくなってしまいます。  またこの恐怖や恐れで動かすシステムをし続けると、効果のないと思われることにはリソースを割かないといった非常に効率化を重視しすぎる無味乾燥した社会になりかねません。そうした社会でも機械だけで動いている場面やAIだけで動いている場面ならばそれでもいいかもしれません。  しかし現在の社会は人間が動いて作っています。人

科学教より己教

   学生時代に卒研発表の発表会で「あんたの言ってることは宗教か?(自分のしたいようにデータを扱うのか、ということ)」を言われたことがあります。  そのときは何が問題なのだろう、なぜそのような言われ方をしたのだろう、などとただただ怒られたことに凹んでいました。  しかし数年後社会人で仕事をするにつれ、言われている本当の意味やデータを良くも悪くも見つめるその大切さがわかりました。  そしてさらに数年後、改めてよく考えると、データを取っている以上その時点で何らかの意図は働いていると考えました。  すると、データを集計していながらも、実は自分の思い通りのデータしか集計していない=データに踊らされているのではないか、と考えました。データを見ている以上は真実ではないですし意図されたデータを見て真実だと思っていても、それは真実の究明にはならないと考えました。  そのような経緯からここでは科学を科学教としデータで都合の良い解釈をしていることが多いこと、それを認識し、打ち消す方法を書いてみました。 科学とは  科学は自然界にあった状況を再現し、仮設を立て再検証するものです。 広辞苑(新村出編 岩波書店 2008第6版)には 観察や実験など経験的手法によって実証された法則的・体系的知識 と書いてあります。 一般に定義として使われる法則を公理といいます。それから導き出せるものを定理といいいます。  公理は正しいらしい、といえますが真実であるとは限りません。それを証明するには反証実験を行います。しかしそれには多大な労力と時間がかかります。ですのでいちいちそんなことはしてられません。通常公理は正しい、として扱います。  データと論文における関係性もそうです。通常人がデータを編集すると何らかの意図や思惑が介在します。それをもって論文の作成に当たります。しかしこのデータの取り方も場合によっては何らかの意図が存在する可能性がある、と思われるのです。  たとえば菌数を数えるにしても特徴的な目に見える大きさのものを選択的に数えていることがあります。実際にすべての菌の数は数えていません。というかそもそも数えられません。  つまりわからないことを何らかの基準を持ってわからないなりに解明しようとすることが「科学」というものなのかもしれません。とすると科学は宗

ブラック企業を渡る場合の考え方

 労働条件の悪い職場組織をブラック企業と呼びます。多くの新卒の方は多くの中小企業がブラック企業ではないかと怪しまれ、それらの企業を入らないようにしようと大企業に受かろうと考えます。  しかしいくら大企業といえど新卒枠は限定的です。ですので多くが落ちて中小企業に行くことになります。また大企業であってもブラック企業であることはあります。  すると働き出してから、やりたくない、こんなはずではなかったなどと言います。場合によっては「この会社はブラックだ」などといって辞めてしまいます。  私はこれは場合によってはもったいない意味で問題だと考えます。  ではそうしたブラック企業を渡り歩くにはどのような考えを持ったらよいのでしょうか。ここではそのようなことを書きたいと思います。 ブラック企業という言葉はだいぶ浸透している。  ブラック企業という言葉は このサイト を見ると2013年に今野晴貴さんが著作で使われたことで広まり、流行語にも選ばれた言葉のようです。もともとは ネットスラング発祥 であった気がします。  最近、私が京都にいてるときにも、町中でいたるところに貼られている共産党さんのポスターの中で「ブラック企業を許すな」というものをよく見ました。そういう意味では、一般市民の間にもこの言葉はだいぶ広がっていると思われます。  このような言葉は昔から使われていてたとえば私が小中学生の頃には「3K」とか「5K」とか言われていました。(汚い、臭い、給料が低いの頭文字をとって3Kとか)簡単に言ってしまえば悪い労働条件の場所です。 そもそもブラック企業って悪いことなの?  これらの会社はメディアや口コミなどでも悪いことばかり伝えられますが、場合によっては反面教師的な部分で役立たせられることがあります。  たとえばこういう悪い環境に敢えて行って偉くなったら自分のやりたいようにやれる、と思われることがあるからです。最初に言っておきますが私には無理です。  ですのでブラック企業にい続けて変えられるかもしれない、変えてみせる、という目的意識がある方がいるのならば、その方にとってブラック企業はスリリングな鍛錬の場となります。  またそうした企業でたとえ幹部にならずとも、数ヶ月や何年でも続く人がいたら忍耐力がある意味で私はすごいと思っています。そ

交渉術を使った採用獲得法

青年が注目する問題の中には就学、就職、結婚があります。その中で特に就職はお金を得る意味で重要です。この就職は交渉術を使うと得られるものが多いです。場合によっては有利な条件で契約することができます。逆に交渉術を使わないと無意味に不採用になるばかりか、たとえ採用されてもしても相手側に有利な契約をさせられてしまいます。これは時々問題です。そこで自分が有利に進めるような交渉術で採用を勝ち取る方法を書きます。 これまでの私  私が学生のころ、新卒の方は卒業前年の11月12月から採用活動をはじめていました。私はすでに新卒ではないのでいつでも求職活動をしているのですが、これまで私は会社の採用を受ける場合には相手にに合わせいつもへらへらしていました。  会社は人を人としてしかみていないのだからあくまで関係性を良くすることを目的に、お互いに言うことを言わずに、ただただ従うことで採用されたいと思ったのです。  しかしそれだと、面接時に件面まで詰められません。また採用されることばかりに必死になり得られるものがありませんでした。  そしてむやみやたらに自分をアピールした挙句、いつの間にか不採用通知が来ていることもありました。  これではこれから入社後仕事をし続けることを考える場合、はまずいのかもしれません。  なぜなら運要素で採用を判断していますし仕事をしはじめてからこれじゃない感を持っていたことがあるからです。  そこでここではそうした問題に対して交渉術を使った具体的な採用突破方法を書きます。私同様に困っている方がおられるかもしれないと考えここに文章を書きました。 準備という名の仮説設定  仕事は準備8割といわれています。これは採用活動についても同じです。事前準備は特に重要です。  準備が十分にされているかなされてないかで得られる報酬(内定取った取れないの話ではなく採用を受けるに当たっての学べる点)も大きく異なります。 そのため、準備としてすることは具体的に、以下の二点が必要になります。  1)自分のでアピールできる点を探します。そのため日々 何が自分の売りのポイントか相手にないものは何か確認 する必要があります。(それは私と接したり自己分析したりしてください。)  2)次に相手が何を求めているか知る必要があります。いまどきホー

依存しっぱなしの人生でよいか

 人は成長するにつれて自分から他人、家族から社会へと活躍の場を広げてゆきます。そうした場合に、自分で物事を決めず、誰かに決められたまま生活をする場合があります。もちろんそれでもよいこともあります。しかし場合によってはそれだと精神疾患になります。そうなると私は問題だと思っています。そこで精神疾患にならないようにするためには何をし、どう学んでいけばよいのでしょうか。ここでは自分で生きることの大切さを書きました。 結局はいつも一人で、自分は大切。  人は生まれてくる時、多くは一人です。成長するにつれて家族と接し、学校では友達と接し会社では損得勘定のある他人とかかわりますが、死んでいくときには生まれたとき同様、一人になります。  一人から拡大する「はじめての人間関係」として家族があります。特に家族との関係では、自分が仕事などをして食べていけるようになるまで多くは親の保護の下、衣食住を依存します。  昨今は景気が良い影響もありいつまでも親のすねをかじる方々が増えています。俗に言う「 ニート 」という方がそれで本来は仕事も就学もしていない若者をさす言葉でしたが、日本でニートという言葉を使う場合、それだけなく「親に依存した、働く意欲のない」という意味もあるようです。  一般的に人間の成長過程では反抗期があり、親と自分との区別化がなされていくわけですが、そういった方は反抗期のあることが少なく近では それがないため幼稚化 しているといわれています。私も20代中番まで反抗期はありませんでした。(経済的に自立はしても精神的に自立していない) 自分を大切にしないと精神疾患になることあり。  成長しないまま依存したまま死ねればそれに越したことはないですが、すると常に不満を持って生活することにもなりかねません。それでは自分自身として非常に生き難い世界と考えます。  また、特に親との関係でうまくいかないとなるとそれが不満やストレスを持ち続けることもあり、すると若い方でも状況によっては精神疾患になります。  日本において一年間で罹患率の高い精神疾患 として「うつ病」や「統合失調症」「神経症」・・・があります。これらの精神疾患になる理由はもちろん生まれ持ってきた遺伝子的な資質もありますが、 それだけでなく、環境による影響もある と考えられていま

あなたの組織の採用は人を見ているか

 組織は存在していく上で新陳代謝をしています。その大切な養分として人があり、人を得るためには定期的、あるいは不定期に「採用」をしています。最近ではよく「人柄採用」を要としている組織もありますが、しかしその多くは、名目上は「人柄採用」というものの実際に人を見て採用はしていないように感じます。なぜなら、どんな人が良いか基準がしっかりしていませんし何が正解かもわからないことが多いからです。それでは何をどうしてよいかわからない意味で問題です。そこでここでは採用について何をどう見たらよいかどうしたらよいのかということを採用側として考えます。 最近の大企業の就職と就職制度  かつての大企業では集団就職、新卒一括採用をしていました。学校を出たての若者をいっせいに就職させ会社の中で競争させて、育てていく気概がありました。正直誰でも良く、強いて新人に求めるとするならば「思い通りに動いてくれること」ではなかったかと思います。  その相手の思い通りに動く、という意味では低学歴の方よりも高学歴の方のほうがより会社には重宝がられたのだと思います。この考え方はバブルのころまで続きました。  しかしバブル崩壊が起こる中で多くの企業の景気が悪くなり、採用する人の数が減りました。絶対的に採る人が減ったというのもあるのですが。そのおかげでバブル崩壊前後の時期では、あまりに多くの学生が少ない採用枠を狙って戦い始めました。  そのような社会の中で当時学生に一番人気のあったソニーの採用方法が注目されました。ソニーは昔から革新的なものを作っていたこともありそれ相応の異端者を見つけたい思惑もあったことから「自分のできること」や「何ができるか」を全面的に聞くようになったといわれています。  日本の多くの会社はその例をみて、背景や文化を無視してでも真似するようになります。そのため現在でもその名残を受け、「なぜ当社を」、だとか「どう生かすか」などといった質問を採用面接時に投げかけるようになっています。  このように背景や文化を無視して単純な横展開する例は現在でもあり、例として「目標管理制度」や「成果主義の導入」などがあります。これらは何でもかんでもよくなるわけではないものの、会社組織という特性上一度作るとなかなか辞められない特徴があります。そういう意味では会社も国や官僚の制度と一緒

博打人生から学べること

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すべての計画が悪いわけではないですが  どんなに綿密に練られた計画でも多くの場合、実行すると計画とは異なる結果が出る。事業計画もそうで、どんなに素晴らしい計画でも一部の方が成功する中で多くの方が失敗し、そして死ぬ。それが知られているから多くは失敗を恐れて行動をしない。しかしそれは何もできなくなる意味で問題だ。ではそうした問題に対してどのように考え、どのように行動したら良いのかここでは記したい。 博打を生業とする人は多い  「アカギ」という漫画をご存知だろうか。「近代麻雀」で連載されている漫画だが、その中で主人公のアカギは常に巨額の資金や命を懸け博打をしこれといった場面でいつも百発百中で当てる。  多くの人はアカギの強さを目の当たりにして「つえー」「ああなりてー」などといった神にすがる気持ちがあるのだと思う。  しかしこうした博打をする例は誰でも持っている。特に創業経営者だったら多くの場合、自分の全財産をかけて、あるいは命を懸けてでも事業をする。博打を生業としているといっていいのかもしれない。しかしそうした生業としていたとしてもアカギのように百発百中では当たらない。また当たる保証も、確立もわからない。  なお、パチンコや競馬などギャンブルをしている人は業務で博打をしているだけで、生業としてはしていない。 博打成功者は勝者で博打失敗者は敗者?  創業者のように一世一代の賭けをし、当たったものは成功者と呼ばれる。そうした成功者の書物が世には多くあり、時に参考になることもあるが、書物はあくまでそうした博打をして「たまたま」当たった人の記録なだけである。当たった原因を事細かに書いてる本もあるが、どうしても最終的には「運」の要素がある。  一方成功者と同じようなことをしていても「たまたま」当たらなかった人も多くいて、それは失敗者と呼ばれる。書物なんか出せる状況にない。失敗者はたまたま「運」がなかっただけなのだがなぜか多くの挑戦もしていない高みの見物をした「外野」が失敗者の失敗した「結果」だけを見て、その者を排除し、けむたがり、そしてののしる。  しかしこうした多くの人に煙たがられる「失敗者の素質」は実は誰しも持っている。また今成功していたとしても、生きていくうちに失敗者に転落していくこともあ