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2月, 2014の投稿を表示しています

人生などの勝負事に勝つ

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   結果もタイミングも不確定な世の中です。上がり続けることもありませんし、下がり続けることもありません。わけのわからない世の中で、強きは残り、弱きは負け、去ります。そういった弱肉強食を感じられる場には勝負の場(勉強、人生など)がありますが、そのような勝負の場に「勝ち」、生き抜くためにはどうすればよいのでしょうか。ここでは勝負における「勝つ」ためのポイントを書きたいと思います。 勝負は運も作用  勝負には運が関与します。それは 従属的かあるいは独立的かの確率 的な要素を含みます。ですからその要素を知ることが望まれます。ちなみに競馬は独立的確率です。  一方結果は結果です。「弘法にも筆の誤り」という言葉があるように、誰でも失敗はします。そういった 失敗をしてしまった場合にも、成長の一起点 と考えることは必要です。また失敗を恐れるのならば、「初心」を忘れず、リスクを意識する必要があります。「初心」とはまっさらな気持ち、即ち素直な気持ちと見方、および適度な緊張感です。  運と結果の間には勝負の意気込み・行動が存在します。 勝負時の意気込み  勝利を得るには 積極性を持つ ことが重要です。積極性を持つことで自分が楽しめ、条件付けされます。するとますます積極的になってゆくと思われます。また、勝負事には判断力、心理学が含まれます。ですからそれらの影響力を理解したうえで巧みに使い、物や人との駆け引きをします。 勝負に勝つ行動とは  ①つに身近なヒントに気付くことがあります。出るところは出、出ないところは出ないことを知ることが求められます。例えば勝利のときに吹く風向きがわかることなどです。  ②つにできるだけ早く、目立たないように仕掛けることがあります。目立ちすぎると大勢に使われることもあるので、誰しもが気付く前に動く必要があります。証券マンがいい例です。  ③つに住み分け、限定することがあります。なんでも階層があります。それを知り、状況によって選択します。賭け事をする場でもハイリスクな場所とローリスクな場所とがあります。  これらを通して一発屋として終わることなく行動をし続けられるものが勝者となる可能性が高いです。 勝ちの価値は  ただ勝者は立場によって変わります。システムに踊らされ

資格の先にあるものは何ぞや

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   最近では先行きが不安だからでしょうか、偏差値の高い高等教育機関や有名企業に「入学・入社すること」、難関資格の「取ること」を目的とし「安心」したい方がいます。そのような「組織に入ること」や「資格を取ること」を目的にされた場合、組織に入った後や資格の取得後には目的を失ってしまいます。安心も得られません。すると燃え尽き症候群になってしまう危険性があります。これでは問題です。そのため、問題に発展しないようにするためにはどのような考え方を持っていたらよいのでしょうか。ここでは考え方の一つを書きたいと思います。 混沌とした社会の生き方  人間は最初、そして最後は一人にならざるを得ません。しかし死ぬまでは年代にあわせて成長し、それぞれの過程に違った環境や働きかけを得る必要があります。  そのため生活の中で何かに執着することなく、割り切った上で無為な時間を使い、持続するかあるいは諦めるかの 判断を「自分で」する必要があります。  この判断を自分でする考えは、世の中が自分の勝手にならないことを認め、責任を持って 環境に自分を合わせ生きる 意味で重要です。 能力差と資格・生き方  自分勝手にならないことのひとつには能力差があります。  世には特に苦労せず何でも出来る器用貧乏な方がいます。このような方は他者から期待され続けている意味でつらいと思います。  一方、苦労を感じ努力でなしとげる方もいます。そのような方には、 生き方と資格との間に差のある考えの方 と 生き方と資格との間に差の無い考えの方 とがいると思います(下図)。  その「生き方と資格との間の差」は言葉や形であらわせられません。しかし無理やり言葉としてつけるのならば「付加価値」といえるでしょうか。 図1.生き方と資格には目に見えない差がある。これが続ける力になる。    資格と生き方との間に差のある考えをされている方は心の安定のあることが考えられ、「形の無いゴール」を目指します。目指せます。これが「実社会で生きる力」や、「続けられる力」だと思います。医者でしたら「人を治したいと思う」こと、弁護士でしたら「法制度の矛盾点を暴く」ことなどでしょうか。たいてい自分の過去の経験から「差」を生み出せます。  資

中等教育から高等教育へのステップアップ

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 今私立学校が人気です。小学生のうち20%が私立や国立の中学を受験するそうです。これは私立学校が治安がいい、教育設備が整っているなどの理由で選ばれる方も多いのでしょう。一方、公立学校では、社会に出たあとに区別し、区別される世間を知る意味で大切です。  そして公立学校私立学校問わず多くの家庭が裕福で、当然のように私立の塾や高校や大学へ行くことが出来る現在、高等教育でも中等教育のように「教育して当然」といった考え方が親の間でもなされています。  しかし高等教育とは本来、「当然」といった義務はありません。違いを認め小集団で教育することを是とします。そして良くも悪くも試験結果一発で全てが評価が下される世界です。ですから全員に、平等に、などといった中等教育とは本質的に異なります。  こうした「当然」の中等教育から高等教育へはどうしても溝があります。ですが本来高等教育を行う場所に、中等教育ほどの能力のものが来てしまうのは問題です。ではその問題を解決しようと考えた場合どうしたらよいのでしょうか。つまりどのようにしたら中等教育と高等教育との溝を埋められるのでしょうか。ここではその方法を書きたいと思います。  なお、私がかつて通っていた高専は高等教育機関でした。ですから試験一発なところがありましたし、普通の高校とは違って単位が取れなければ即留年などということもあり、クラスの20%強は留年生でした。ヘタをすると即留年する恐れがあることを認識しえたことから、その分逆に気合を入れて学ぶことが出来、よかったと思います。 中等教育とは  中等教育が行過ぎると、亡き物を得ようとします。いくらか見えないものから洗脳されていて、考えが抜け出せないことがあります。ですから責任や決定を何者かに委ねる形で分断された起承転結型のものの考え方をします。これは何某かの国の官僚主義なやり方です。  官僚主義は小さい国、そして共産主義の社会の場合は問題ないのですが、国が大きく、民主主義前提の社会な現在の日本ですと誰か一人の価値観ですべてが決まってしまい、問題です。  かつての官僚主義の理想的な考え方のあらわれが、現在の中等教育なのだと私は考えています。 中等教育の行き着く先  この中等教育の考えが高等教育に及ぶと、レベルや質が下がるように思います。教育者の教える力も限

意味の無い世界を意味ある世界によみかえる

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   トゥルーマンショウという映画をご存知でしょうか。一人の「人の人生」が実は劇場で放送されていたとしたら。という仮定のお話の映画です。私はこれを最初見て凄く面白く感じました。そして我々の人生もこうした舞台の一つのコマなのかもしれないと思いました。また私は幼稚園から中学校卒業まで千葉は我孫子に住んでいたのですが、その中学校在学中、ある休日、父親に東京は秋葉原に連れて行ってもらいました。そのときに、僕の人生の知らないこういった場所が存在していたんだ。と、世界が自分中心ではなかったことを知りました。  これらの経験を通して、映画の例で言えば何らかの意図が人生には含まれていること、秋葉原探訪の経験を通して、自ら他の世界を知ることが可能なことを思いました。このように哲学することは実は人生に全く役に立たないかもしれませんが、素朴に感じた疑問に何らかの結論が出ると心が豊かになります。そこでここでは世にある「考えられること」と、その「見極め方」について書きます。 無意味な学問無意味な世の中から意味を見出す  世の学問は「学問を学ぶための」学問です。例えば科学は通常最初に宇宙の誕生と終わりを解明しようとします。しかしそれ自体が、終わりでありません。また宗教学も基本的には「宗教を学んで得られたものを学ぶ学問」です。哲学も多くは「哲学」学なのでしょう。歴史の多くは「歴史観」学です。  これら学問の背景には人間がひとつを見、表現しようとすると、現象として調べようとしている対象が広がり続けていることがわかります。この根源は、本当は第一者的に現物を見たいのに、表現することで第三者的になってしまうためです。ですから調べたところで、実質的に現実的には本当は意味が無いです。  しかし意味の無い中でも外面と内面とが時間の経過により変化していることがわかります。そして微分を使ってごく小さい時間変化に傾向を読み取ることで、予想することはできます。すると、人生の生き方にしても何らかの仮説を出すことが出来、その仮説を肯定したり否定したりして改善後、よくなることはできます。 意味のある社会の実現のためにすること  そう考えた場合、本当は何の根拠も無いのだけれど、何らかの意図を含み、誰かが役に立つ都合のいい制度、道徳が出来ます。道徳は制度なの

出来事を行動と感情とに分けませんか

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 私が先日両親の家に行った際、やたら必要としていない食べ物を与えられました。また両親と話をしている際、ある出来事を言うにしても、事実の発言なのか、あるいは何かしらの意図を隠している発言なのかで、混乱しました。なんでも不自由なくものを与えたい、あるいは子は親の様子を見て何も言わずとも読み取るべきだ、これは戦後の社会を生きた価値観で有効であったのかもしれませんが、今私が有する価値観とは大きな「違い」を感じます。  これは女の子と男の子の場合における表現の違いにもあらわれます。「寒い」という表現をする場合、男の子の場合の多くは事実として「寒い」と発言します。それに対し女の子の場合の多くは「寒い」という発言の中に「だからなんとかして」という意図を持っていることがあります。  こういった考え方の違いがわからないと、極端な考え方を有するようになり、感情の敏感さがなくなって、ものごとに感じなくなってゆきます。すると世の中の微妙な変化も捉えることは難しくなります。これでは問題です。ですから問題と発展する前に、自分の中で感情のわずかな変化を知ることは重要です。  そこでここでは出来事を事実(行動)と反応(感情)とに分ける方法を書きたいと思います。この分け方を知ることで男女関係だけでなく、親子関係、社会関係など、活かすことが出来ると考えています。 出来事を事実(行動)と反応(感情)とで分ける。 図1.多くの行動は事実(行動)と反応(感情)で成り立っている     出来事には感情がつき物で、人間は行動しながら感情を有しています。それを日常生活の中で認識し、掘り下げられないのは残念です。掘り下げるには出来事を事実(行動)と反応(感情)とにわける必要があります。  分け方として具体的には ①「It's何々」(事実の提示)②「I Think何々」(感情の提示)③「I want to 何々」(だからどうして欲しい、そして感情的にどうなるかの提示)④「Thank you」(聴いてくれてありがとうございます。という気持ちの提示)という「型」 を用いると分け易いのかもしれません。ちなみに上記1~4は相手にものごとをお願いする場合にも使えます。 薄い人薄くない人  時折事実の確認をすっ

育ての意気込み、渇望で育てる。

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   私は小さい頃テレビゲーム狂でした。いつもゲームをしていたかった思い出があります。親は我慢をすることを大切に思ったのか、少なくとも親の仕事に行っている間はゲーム機のアダプタを隠し、私にゲームをさせないようにしていました。それでもゲームをしたかった私は結局他の代用できるアダプターを探したりし幼稚ですが幼稚なりに知恵を働かせてゲームをしていた気がします。今考えるとこうした我慢する渇望が、「どうするか」を育てたような気がします。 見栄  最近の親御さんは見栄があり、子どもが欲する前に何でも与えるそうです。他人が与えているからうちも、などと世間に、親だけでなく子どもも流されています。そして、結果を大事にしすぎ生き方に悪影響を及ぼします。  これが進行すると欲やお金に簡単にだまされるような人間になってしまう恐れがあります。また子どもの甘やかしが連鎖し、親の欲で子どもを育ててしまいがちになります。するとニートの子や無気力な子が今後ますます増えてしまうと思うのです。  これは国や親として、働き手がいなくなる恐れがあるので組織を運営する上で問題です。ですからそれを防ぐためにはどうすればよいか考える必要があります。その方法のひとつとして親心と他人心を考える必要があると思います。そこでこれらについて書き、人を育てる場合に重要なことを示します。 親心と他人心  親心とは子どもの心との駆け引きです。 甘えを甘やかしと区別 します。場合によってはわざと子どもに 劣悪品を持たせて反骨精神を養う のが子どもにとっていいのかもしれません。さらに将来の 見 守る姿勢と、成長を待つ姿勢 を大事にし、無理なら無理、ありならあり、と言った 有限実効すること も重要だと思います。  他人心は 誰でも負荷を抱えながら生きている ことを経典や語り聞かせることで理解してもらいます。そして誰でも迷ってしまうこともあることを学ぶことが重要です。 重要な「してやれること」  子ども(や若者)を育てるときには特に最初の取り組みが重要です。それぞれの子に素質の違いのあることを認め、基礎があっての応用であることを認識します。  そして 子どもの乗り越えられそうな障壁を低い順番に徐々に設定 していくことに加えて乗り越えたときの 気持ちを都度聴

教育者に求められる資質とは

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   江戸時代では今よりも他人との関係性や協調性は強固で、また低年齢な子が、大人として認識されていました。それに対し、近年では「個」が大事にされるのに加え、一人前と認識できる年齢が徐々に遅くなってきているといわれています。  ですから年々、子供が大人になるには家庭や学校などによる、成長寄与の時間や質の割合が長く、大きくなっています。こうした成長寄与の時間や質が変化する場合、教育者や教師はどのような資質が求められるのでしょうか。ここではその求められる資質や教育に当たっての重要なことを書きたいと思います。  なお、先に結論を書きますと、 「広い視点」 を持つことと成長を 「待てる姿勢」 が大事だと思っています。 広い視点を持つこととは  はじめに広い視野を持つことについて書きます。何にでも言えますが、専門的に学んでいくとついつい視野が狭くなります。すると「正しい」とか「正しくないこと」、善悪に注視しがちです。しかしこれは時に間違いです。なぜなら見方が変わることで「正しさ」や善悪は変わるからです。  例えば銀行強盗が起こった場合には、店側としては自分たちや世間は善で犯人が悪と認識しますが、犯人側からすれば、自分たちが善で、店や社会、世間が悪だと認識します。ですから、善や悪などということを極端に考えるのはナンセンスです。  これを例に教師や教育者ならば、ひとつの事例に対し、二通りの考えを述べる必要があると思います。例えば、いじめに関していうと、私は加害者には、将来同じようなことをされても知らんぞ、といい、被害者には、逃げるか戦え、さもなければ死ぬぞ、といいます。  そうして考えることの出来た二面性は①使う側と②使われる側とで処理のされ方が分かれます。  使う側の立場の場合、得られた二面性の情報を取捨選択していきます。昔は古典がいい例です。今はメディアのニュースなどがあります。時代を問わずいつでも人間の得られる情報は限られていますから多々ある情報の中で自分の感じたことを中心にどう活かすかを考えます。正解はないです。  一方使われる側の立場の場合、二面性を「使う側の取捨選択した基準」によって守ります。ですから制度の規制意識や被害者意識を常に持っています。制度は制度として認識し、それに対して制度を破る方法もあ

基礎と応用を用いた「教育と育て方」

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   なんでも基礎があり、その上に応用があってこそ大事です。そして全ての反応には幅があり、その軸を変えれば見方も変わります。最近では数字を追うことが優先されますが、それだけが重要なのではありません。即ちバランスがあり、究極は上流から下流へとなんでも変化してゆくことの知ることは大事です。  この変化の流れにおける幅は原則(上位2):(日和見6):(下位2)の割合で分けられます。そして変わることを怠ると容易に下位2割になってしまいます。これでは問題です。  そこで、この問題を防ぐためには積極的に変わり続けることと、「かえるの子はかえる」のように定期的に回帰することが重要だと思います。  応用例として勉強の仕方と、子どもの育て方があります。  ここではそれらの場合においてどう対処したらよいか、具体的方法を述べたいと思います。 勉強の仕方  はじめに勉強についてです。言語を認識する幼少期に聖書や論語などの本を読み聞かせながら倫理を刷り込みます。それに基礎的な学問、即ち、歴史を多方面から見るため資料を偏り無く取り寄せ、知ること、小説や新書などの感受性を把握すること、数学を理解すること、これらを学び受験勉強といった短絡的なことではなく、論理的に考える姿勢を持ちます。  そして次にそれを応用しメディアからの嘘の見分け方を学び、概要本(本のまとめ)や概要論文(論文のまとめ)を世の中からどう選ぶか考えます。すると文学も大人になったら楽しめます。 育て方  次に子育てについてです。子どもを見ない親御さんが最近は多いですが、親御さん自身が無理なら投げ出し、またはご自分のありようを認識することが重要です。そして現状を認識し、限界を知ること、乗り越えられる壁を準備すること、高年者の教えを請うこと、これらを家族の関係から学びます。そして学校で他者との関係に応用し協調性を学びます。協調性とは基本的に「自分のして欲しくないことを他人にするな」ということです。  これが学校を出ると、社会や国に考え方を広げることができます。強制的に行動をさせるか、その場合責任が誰がもつのかであったり生物的男女平等ではなく、社会上の男女平等を考えたりします、できます。 それを以下を読んで考えました。 長山靖生 不勉強が身にしみる 

職人の生き方

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 第二次世界大戦では、日本(国)はなんとしても勝ちた勝ったようです。ですから国民を殺してでも戦ったりしていました。一方、敗戦後は工業での発展を目指すため、国民を地域に住まわせることを是とし、国は町工場の発展を後押ししました。  東大阪や大田区では一時期に比べて町工場の数は減ったものの、現在でも多く存在します。また町工場は時代の変化に伴い、作るものの種類も戦後に多く作られた軍需製品から 現在は少量多品種の製品や、最先端の技術を使った航空部品などと変わってきています。  ここではそうした変化のある町工場で働く職人さんがどのような方なのか述べ、変化の激しい世の中でわれわれが良く生きるにあたり、どう活かせられるかを述べます。 町工場の人は専門家  町工場の職人は現物を作るため道具を使います。道具使いの専門家・プロです。そういった専門家さん、私の身近な分野の方ならコンサルタントやカウンセリングをする方、経営者や研究開発者等はやはりその「使う」部分に長けています。  そして多くの知識を組み合わせて自分なりの道具を持ち合わせていることが多いです。  例えばカウンセリングでしたら折衷派の方が精神分析療法と来談者中心療法を組み合わせて相手にあった対応をしている場合もあります。(折衷派そのものは決まった形がないため、の二つで成り立っているわけではないですが。)  最近では満たされつつある世の中なので世間の技術力の向上もあり、職人さんに渇望感がなくなりつつあります。すると道具を作ってまで作業する職人さんが少なくなってしまうようです。 分けられる仕事  職人さんの立場は大別して発明者と作業者的に分けられるようです。どちらも一長一短で、またどちらがいい/悪いは人によって異なります。  発明者は作業の間に仲間との切磋琢磨をします。そのとき重要となるのが「遊び」です。「遊び」は極めればきりが無く、仕事を面白くすることの大切さでもあります。褒めて、もしくは褒められて、時には叱られることで技術を磨けます。  合格点はあくまで通過点として、作業に注意力を増させることで異物の発見も可能です。昔の町工場は余裕があり、技術習得も容易でした。イメージを用い、行き詰まった場合にも逆を考え真を導いています  作業者

現実と理想との間にある遊びの必要性

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勘違いしている  理想と現実は同じ、と思われてる方が多い世の中です。 実は理想は現実と異なります。 その理想と現実との間に挟まれて困っている方が居ます。そのようなことで困っている方に私は考え方の「遊び」を持ってはいかがか、と思っています。理想と現実との間、それが「遊び」です。 学校教育 教育理想と現場  私は学校教育でも一般的ではない国立の高専に通っていました。そこでは 基本的に「ばれなきゃOK」 といった「遊び心」のある感覚で行動していました。そしてその感覚は私だけではなく学校全体がお互いに有し、黙認していたように思います。  ところで先日高専の先生とお話をする機会を持ったのですが、最近ではどうやら高専にも「遊び」とは「逆」の「理想」や「完璧性」が求めてられてきているようです。  学校側も訴訟沙汰を恐れて「遊び」を持った行動ができず、変なところに神経を尖らせていて、堅苦しくなったと思います。  そうした遊びのない社会は、今後伸び成長してゆけません。だとしたら問題です。ですから問題を起こさないように、伸び成長してゆくための「遊び」は、どのように持ったらよいのでしょうか。ここではその一例としてサイエンス、ものづくりの現場について述べ、どうするかを考えます。 サイエンスでの例  これを読まれている方の中でも私と同じように化学を学ばれていた方学ばれている方がいらっしゃると思います。その学ばれている化学の中で、気体の状態を物理計算することがあります。これは通常、理想気体と実在気体とで分けて考えます。  一般的には理想気体が計算しやすく、きれいな式であらわせられるのですが、それを実在の気体で当てはめた場合、計算式は成り立ちません。ですからそうした場合は現実に即した方程式なり定数なりを作ります。それ(例えばビリアル方程式)が「遊び」になります。 ものづくりの現場での例  ものづくりの現場では、より良い製品をひとつでも多く作りたいと思っています。しかし何かしらの違いや欠陥のある人間がもを作っている以上 「必ず」 一定の不良率がでます。これは防ぎようがありません。  その不良率の出来る可能性を配慮し、あらかじめ「遊び」を持たせ、対策を打つなり予算を組むのが管理者としては大事です。

現場の空気を感じ、活かすことが必要になってきています。

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   日本は戦後アメリカに「追いつけ追い越せ」で頑張ってきました。今でも追いついたとはいえませんが、気が付くとアジア各国に追いこされそうになっている立場です。  そうした時代背景において、今後モデルを作ることが出来難い状況です。この状況が続くと成長し続けられない可能性があり、問題です。ではモデルが出来難い状況にはどう対処したらよいのでしょうか。そのひとつとして原点回帰、即ち現場に立ち返ってみることが重要だと思います。そこでここではどう現場に立ち返り、どう対処するかについて書きます。 現場で汗を流さない人が増えている  評論家の方が増えてます。見るだけで汗を流さない人、私もそうかもしれませんが、一歩下がって研究し、役にも立たない研究報告を出すエコノミストが居ます。彼らは現場の人たちを混乱させたり、意味不明な結論を出す意味で問題です。  そこで評論家として現場を外から見るだけでなく、実際に現場へ入り内から現場の空気を知ることで現実的なプランや現場に即した結論が立てられるのだと思います。  例えば私も生産技術の仕事をしているとき、1年半現場で働いていました。その体験があったからこそ、後に現場に受け入れられる形で策を打ち出せたりより現場に即した問題点が発見できたのだと思います。ですから今でも私は現場を知ることは重要だと考えています。それを活かして今の仕事でも直接伺うようにしています。 現場で知るとは  現場で知ることは、見ることとは違った気持ちよさやリアリティが味わえます。それには郷に入ったら郷に従えと言った意気込みや目的、何とかしたろうと思うこと、体験しようといった勇気が必要です。  すると渇望がやる気を育て、生きた知識を身につけさせてくれます。生きた知識を身につけるにはその分耐え抜く「心」が必要ですがその耐え抜く心は渇望には到底及びません。  逆に耐え抜く心で否応なしに行動している場合には、本当の渇望を得ていないのでしょう。 現場に入る、入っていくには  現場を知り行動するためには、はじめに状況を読むことが大事です。自分の弱いところを認識し、他と自分の弱いところを補い合うことが大事だと思います。  実際に行動する際は現場にはタブーもあるため、それを配慮する思いやりを持つことも大

成長し続けるにはどうする。

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 われわれは生物である以上、常に変わる必要があります。それを忠実に行う職業として会社役員があります。彼らの考えを知ることでわれわれはどう行動し、またどうかわることができるのでしょうか。ここではその考えを述べます。 バランスを発見している  人の死や挫折、即ち限界を経験すると、ある循環が見えてきます。老人が若者へ技術を伝承をする形であったり理論が日常で活かすことができ、また日常から教わる理論があったりします。  そうした循環を感じることで、一つの出来事でも成功や失敗、アナログとデジタル、感性と専門性などの二面性、バランスが見えます。  それを社会で活かそうとしている職業に会社役員があります。 行動する  社長はそのバランスを維持する形で①目的を明確に持ち、自信と余裕を持ちながら②タイミングを見てすばやく決断します。 これらについてどのようなことか書きます。 1目的を持つとは  もやもやしている気持ちを話をして整理、もしくは解消し、リスクを承知、万全を期した状態を準備します。それが目的であり理念です。会社は組織である以上目的は大変重要で、それがあってはじめて動きます。 例えば京都の一企業、ロームの目的は われわれは、つねに品質を第一とする。いかなる困難があろうとも、良い商品を国の内外へ永続かつ大量に供給し、文化の進歩向上に貢献することを目的とする。 また京都の一企業、島津製作所の社是は 「人と地球の健康」への願いを実現する。  と設定しています。創業者の何かしらの考え方がこめられています。大きな問題点に立った場合、この目的に立ち返って決断することもあります。これは動く意志が明確であるほど、強固である必要があります。 2決断するとは  なるようにしかならない諦めを持ちながら行動後、意味を見出し、実際に活かします。そう考えると行動することで目標が設定されることがあります。なお、伝聞するということは決断には含まれません。 その考え方を生かす  これらの目的を持って行動することは、実は無意識のうちにしています。ですが、改めて意識することでいっそう前向きに行動、成長出来ます。  たとえば聖書や古典、自然の摂理や自らの経験、本を参考に目的を立てる、であると

官僚=公務員の役割と存在

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 自己紹介をするときに自分の所属を事細かに言う人が居ます。これは自分の所属している組織の責任を自分の責任と過信し、見栄があるのだと思います。見栄は力を出す意味である程度あるのはいいと思います。しかしありすぎると問題です。そのような見栄のありすぎる方は、優秀な方に多いです。その優秀な方の一つとして国を作っている官僚がいます。その「国の公務員=官僚」についてどのような役割と存在なのか、ここでは批判的な書き方をしたいと思います。 質問発表会という議論場への疑問  官僚の方々には見栄がありますから、非常に優秀です。何事もどこか上手くやろうという気があります。ですから本来議論をする国会の場で、質問を事前に根回しします。はたから見てるとこれは議論でなく、質問発表会です。会議は全員一致が前提だといわれていますが、これもおかしな話です。まるで共産主義国のようなことが民主主義のトップ、国の機関で行われています。 最高のマシーン、官僚  彼ら官僚を公務員として考えた場合①無駄なき完璧性②最高のマシーンとなることからスピード重視です。しかしスピードを重視してどうするかは考えているのでしょうか。どうするか考えずに速さが最高のマシーンになっても、制度の中にいるだけでそれを打ち破るような新しいものは生み出せないのかもしれません。すると、世に多くいる民間人や世間との価値観とはずれてくる可能性があるのでは、と私は思います。  ですからそうした極端なスピード主義を行き過ぎさせないために、見 栄をなくすことは難しいにしても、減らす方法を持つことが大事です。そのための対策として①人情を持ち、敬意を持つこと②愚痴も聞き、素性を知ること③無駄なことが実は無駄ではないことも知ることがある と思います。  ちなみに私は公務員は向かないと考えています。なぜなら効率よく動く意味を考えてしまうからです。 最高の公務員はなぜ勉強をする  官僚は法案作りのため毎日勉強しなければならないと考えています。基本的には本からフォトリーディングを用いて手早く理解することもあるそうです。  方法としてフォトリーディングがあるそうですが、私はフォトリーディングで本や文章の内容を理解できるのか疑問です。誤訳することもありそうでしす、そもそも考えることには向かないような気がします。ですから

事業のきもち・ありかたと人のありかた・きもち

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   旦那さんの転勤で子どもや奥さんが付いてこない場合があります。これは以前は考えられないことだったそうです、こういった時代の変化にどう対応するかということが望まれています。  ちなみにこの転勤を断られることへの対策には旦那さんが周りの状況を知り、いろいろな立場で物を考える姿勢が必要です。家族とコミュニケーションを図り、相手のニーズを知ることが大事と思われます。噂や評判などと言ったノイズに惑わされない気持ち、本当の気持ちを汲み取ることも大事でしょう。  このことは事業運営にも活かすことが出来ると思っています。ここではその活かす方法を考えたいと思います。 事業運営に関して  事業を行うにあたって、終わり、即ち「死」を予感すること、腹切りをするつもりで、どれだけ覚悟をもてるかが必要です。決断を持ち、リストラも一つの生き残る方法とします。また他人だけでなく自分も身を引くこと、さらには解散する勇気も必要だと思います。  その事業継続のなかではどのようなことが必要になるのでしょうか、私が事業運営に際し大事だと思う創業におけることと人の育成について述べます。 創業・継続に関して  創業は自然を受け入れ、失敗したらやり直す気持ちを持ち、したいようにすればいいと考えています。強制は出来ません。それを思うと昨今の「熱い気持ち」を従業員に持て、という教育は少々行きすぎな感じがします。例えば甘えを赦さず数字を上げることを目的としすぎる点が、です。  3年で経費を1/3に減らせというところもあるようですが、それ以後も1/3ずつ減らすのでしょうか、10年で経費ゼロで売り上げ上げられるのでしょうか、そんなことは出来ませんし、バカらしい話です。でしたら多少無駄は出しても新しいことに手を出して盛大に失敗したらよいのではないでしょうか。また相手に根負けをさせる営業を是とするメーカーもありますが、これも誰が喜ぶのでしょうか。メーカーでしたら人より製品を売れよ、と思います。 人材育成に関して  人材育成については上司のあり方と部下のあり方とで必要なものは異なります。  上司として大事なことは・役割の違いを認識する。・監視せず、見守る姿勢を持つ。・常に後継者の育てることを意識する、  部下として大事なことは手足とな

成功法則・失敗経験サイクルを回す。

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   ある事象を捨てるか複眼的視点を持つか、いつもかけひきで物事は決まっています。それが善いや悪いという判断は立場によって変わることになるのですが、今の状況によってどうするのか考えることは重要です。そこでここでは考えるに当たっての法則を考えたので紹介したいと思います。 世の中ではいつも判断がなされてる  世の中のことの全てが知れたら最も優れていると思います。そして世の中はそうしようと思っています。法制度の改革案を作るときにはパブリックコメントを組み込んだり。白い巨塔の最後で財前が里見に診断をお願いしたように、です。  しかし世の中全ては知れません。全ては知れませんし、理由の(わから)ないこともあります。そして何より人間は基本的に自分の経験でしか知れません。ですから正しい仮説を設定し、全てを知れる「現実に近しいこと」を、考えます。逆に言うといくら仮説が確度高く見積もられたとしても、それはあくまで「つもり」です。  その判断の一手法として確率統計やパレートを用います。そして「見極め」ます。すると無形の「正しさ」や「一流さ」が得られます。これらは目的でなく結果です。 見極め方法とは  先に示した「見極める」場合、4つのサイクルで成り立っています。  1「風が吹けば桶屋が儲かる」ように、誰かが仮説を設定し、検証しています。建築業界における景気動向を知る目的での着工面積などがそうです。会社における融資では社長さんを見て、余裕も見ている部分があります。  2この考えに経営者などの発明者が、意図を与して複眼的視点を持ちます。失敗と成功の両面性を持ち、仲間との関係や独立を通して自己実現を図ります。  3すると、それまで負け犬だと思われていた判断が、実は勝ち馬だということがわかります。経験を元に学びを自由に身につけ、続けることで力が付きます。そして飛躍します。  4この考えに法律学者などの研究者が意図を与して単一視点をもたれます。注意力を持ちある程度を捨てて本物となり、制度や法則となります。自由からYES/NOといった判断をし、関心ごとか経時における傾向をみます。  そして1に戻ります。 図を示すと以下のようになります。 Fig.1 成功法則・失敗経験サイクル

問題発見手段の考え方

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   問題が発生した場合にいったいどう対処したらよいかわからない場合があります。結局いつも同じ形になるのですが、この問題解決の方法を知ることは重要です。そこでここでは問題解決に役立たせられるかもしれない考え方を示します。 意図的に仮説立案や枠組み変更する人  結局なるようにしかならないのですが「風が吹けば桶屋が儲かる」のように、人間は何らかの法則(仮説)を見つけたがります。一方、法則が何にでも適用できるように枠組みを変えようとする人も居ます。優劣は付けられず、これ自体は意味はありません。ですが他人に奉仕したい気持ちや、自分が儲けたい、など何らかの意図がその行動の裏側に存在していることは理解できます。  これは問題を近寄ったり離れたりすることで認識しています。例えばカウンセリングでもこの手法を応用します。具体的には、YESあるいはNOで答えられると閉じた質問と、どう感じた?と言った自由回答形式の開いた質問とで相手の考えを探ります。 こういった違いのある方法を逆手にとって、企業の場合は相手の要求以上の答えをして信用を得たり、あえて法律の微妙な判断基準を利用したビジネスで儲ける場合もあります。 判断の仕方・パレートの法則  この分ける手段のひとつとして、パレートの法則があります。全てのものが「2:8」で分けることが出来るという法則です。  例えば10ある行動が、状況8に対し、心2で分解できます。仕事時間や仕事業績も休み2仕事8としたりすると良くなるかもしれません。主に捨てる場面でこの法則が使われたりします。8割あったらほぼ全数とみなし、残りの2を捨てる。といった具合です。  ちなみに私が生産技術の会社員をしていたときに見つけた「業務における法則」の相関率は通常6割~7割あれば適用していました。(3~4割を捨てる)生産技術自体、不確定要素が多いからです。この6~7割の相関率で導かれた法則を元に①捨てる②幅を広げるかを考え、目的の時間、目的の品質に適う生産を考えます。以下この捨てることと幅を広げることについてそれぞれ書きます。 捨てる  予想外を取り入れることは困難ですが全体の情報量が少なくなるため、早く判断可能です。知らず知らずのうちに損得勘定で見てしまいます。  頭で整理したもの

時間を意識し偏り無い情報を手に入れ決定する。

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 「安物買いの銭失い」という言葉があります。これは何でも応用可能です。努力することを怠り、簡単に何でも手に入れることは粗悪品を掴むことの例えです。では逆に何でもといわないまでも、出来るだけ多くのものを手に入れるにはどのようなことに気をつければ良いのでしょうか。ここではその考えを書きます。  開発企業では誰でも出来ることを、人によって異なる価値で観測しています。そして正しさと確度を追求した上で、目的に合った「駆け引き」をお客さんとしています。「駆け引き」とは 「北風と太陽」 の話で知られる交渉術です。「駆け引き」をする場合には、準備してから攻めることが重要です。準備とは、ミスを認め自由をゆるすことです。即ち心を育てることです。 前社会にあったもの  これまでは恣意的的に情報操作をされ、その情報を元に行動していました。誰かしらが何らかを意図し、敢えて誤った情報を出し続けて混乱を誘います。利権が元にある環境問題や、地球温暖化が例としてあげられます。  こうした誤った情報でも、真実の情報を集め、情報をうまく使う、即ち目的をもって捨てることがこれからは必要です。捨てるためには一般的に パレートの法則、2:8の法則 を使うことが多いです。パレートの法則を使うためには数値化されていないものを数値化しなくてはなりません。  情報を捨てると中央集権な官僚体質から個を大事にする民間体質へ変わります。ただ、これが全て良いかというとそうともいえません。メリット・デメリットがそれぞれあります。 今の社会で求められているもの  ともあれこうした変わってゆく社会に求められているものは1時間を大切にする考えと2確度を大切にする考えだと思われます。以下にそれぞれを示します。  時間を大切にする考えとは 究極は時代に追いつくか、時代が追いつくかです。ある程度の時間を投資し、目的を持って行動し続ければ力になります。すると力が認められて知を蓄積しえます。例えば開発では特許の作成がこれに近いです。  確度を大切にする考えとは 好奇心を大事にし、視覚を含めた感受性や5感を磨きます。偏りのない情報を得て、他者の経験を精査し、自分で見、考え、検証します。例えばサービス業ではお客さんの表情や声のトーン、非言語的言葉を見たり聴いた

男女や社会の乱れを鎮める。

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 予想外でどうにもならない社会です。また既にある差を埋めようとする平等社会でもあります。男女でも、経済でも、政治でも、どのようなことでもそうです。世は混乱し続けます。すると混乱することが問題だと思われます。そこでこの問題を解決するにはどうしたらよいのでしょうか。ここではその解決方法を一つ考えたいと思います。なお結論を先に書きますと、確固たる答えはありません。ですがその場やその時点での結論を出す方法はあります。情報を偏りなく受け取り、見方を変えて、責任を持って行動することです。 社会は時代により変遷しています。  以前は社会主義的な中央集権社会となっていました。一方的なものにより、一方的な見方を強要されます。自分で考えることが無く、結論ありきで根拠無き信頼、指針が容易に得られます。すべてのことが紐つけられていたため、一つのことがわかれば対策は容易に打てました。演繹的です。  一方現在は民主主義的な平等分散社会となりました。双方向・多方向の考え方や見方がされます。自分で考えなければならず、結論を見出すことが出来ません。不安で指針もありません。すべてのことが役割によって分断化され、一つのことがわかっても対策が容易に打てません。帰納的です。 時代の流れは必然です。  こうした流れは物理化学で言うと エントロピー増大の法則 によるものです。何がしかの外的圧力が加わらなければ、より乱れたほうに進みます。池にインクを一滴落とすと広がるように、そして一度広がったら戻ることがないように、です。歴史「を」学ぶことをよりも、歴史「に」学ぶことのほうが重要です。あるものがないものとなり、ないものがあるものとなります。 ですから受け入れて対応します。  先のインクの例で言うなら「ろ過」をしたりと、「強制」したりすれば、その場だけの秩序を保てられるかもしれません。しかし時間の経過によって「別の部分」がほころびます。  つまりいずれにしても乱れた方向に拡散していくのは世の常なのです。抗うことは出来ません。ですからそれを前提とした上でメリットやデメリットを偏りなく受け止める方法が有効なのかもしれません。そして複数の視点を持ちます。  例えばだまし絵のように、ひとつの絵でも複数の見方を持つことで、森を見、木を

気持ちが「砂上の楼閣」な世代。

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 地に足が着かず文句ばかり言う世代の方がいます。現実を見ず、どこか「から元気」なところがあります。彼らはどこかで自己実現への飢餓や心の不満足感を持っています。そうした彼らの気持ちのありようはどうしたら満たされるのでしょうか。自ら戒め、地に足をつけるにはどのようにしたら良いのでしょうか。その方法について書きたいと思います。なお、結論は「諦めること」です。 世代の役割  40代は精神科医のユング曰く「人生の正午」なんだそうです。これから能力が下り坂に向かってゆくのを認識する重要な時期です。そうした40代の彼らは若かりし頃、男女雇用機会均等法が制定され、男女平等をもとに、雑誌、新聞、テレビドラマなどがもてはやしました。時代の先端を行くことから今でも多くのメディアで記事にされています。  彼らの世代の方はエネルギッシュです。親世代がバブル世代の方や少し上の世代の方であることもあり「甘やかされた」というか、「与えられた」世代の方です。ですから何も考えない/考えたくない世代の方なのだろうと思います。  よって無駄に自分探しをしたり、楽(ラク)さを生きる基準とします。そして、根拠の無い自信を持ち、自意識過剰な部分があります。他人と比較を繰り返し、他人の幸せを妬み、野心よりも卑しさが目立ちます。ある意味純粋無垢ともいえますが、子供っぽいともいえます。 結婚と就職での選択の見誤り  そんな彼らはこれまでメディアに踊らされてきた部分があります。その例の二つに仕事の側面と結婚の側面とがあります。  仕事の側面では、男女雇用機会均等法ができたことから、常に平等を先行く世代です。仕事への刺激を求め、得続けないと不満です。社会への貢献よりも自分が「金」、「仕事」、「生活」、すべて得たいと思っています。しかし野心はありません。また転職も平気でします。  結婚の側面では、結婚すればどこかラクができると思っている部分があります。まだ結婚はしなくてもいい、いつでも子供は産める、と思っています。一方主婦の方たちは子供をモノとしてみている部分を有していて、子を育てることより自分が働きたい部分が強いです。また既婚者との恋愛も平気でします。 今後の形  彼らは今後どうなるのでしょうか。私は彼らが更年期障害と向き合い、生きていく

ものづくりの場で必要な「選択と度量」

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  ものづくりをしている会社には高品質化で大量に生産する開発会社と低品質でも新たな少数のものを生み出す発明会社とがあります。どちらにも、独創性が必要です。独創性が無いと永遠に二番手で、売り上げもそれなり、そして弱いです。これでは問題です。そこで強い会社になるため、即ち独創性や技術力を得るためにはどうしたらよいのでしょうか。ここではその会社における環境の整備方法について述べます。先に結論を書きますと、どの分野を専門にするかと言った「選択」と無駄を多少出しても良いといった「度量・認め・ゆるし」が必要になると思われます。 企業による役割  SONYと言うメーカーがあります。生活には困りませんが便利なものを作る企業です。一方SHARPというメーカーがあります。市場にあわせた製品を作る企業です。  これらのどちらがどう良いかというのは人によって異なります。また企業規模によってもどのような役割を果たせばよいかは異なると思います。ただ、いずれにしても、独創性をもてることが大事です。 企業体質  独創性がないとどうなるのでしょうか。一つに営業第一主義な場合、研究を敵視し、口で何とでも言って売ることを目的とします。  ですからそのような企業の場合、厳しくしさえすれば何でも出来ると思われています。規則で縛りますが責任は持ちません。取り組め、何とかしろと口だけは威勢が良いです。  これが続きますと、絶対的な指標、技術力が無いため軸がぶれます。技術者はないがしろにされ、傷つけられることがあると思います。私はこれはメーカーである以上、おかしいと思っています。 ものづくり企業は  そのため、絶対的指標や技術力を持つためには、環境を整備する必要があります。具体的にはどこに専門的な分野を持っていくかと言った「選択」と多少の無駄の排出をしてもよいといった「度量・認め・ゆるし」が必要です。  選択する理由は全てが得られないからです。どの分野でなら勝てるかを選択します。逆に言うと、どの分野を捨てるかと考え、初めて技術力や専門性が得られます。  また新しいものや考えは「可能性があるね」と認められる環境でこそ生まれえます。「駄目だ」といった効率性重視の環境では絶対生まれません。  責められてばかりだと、新しい物を作る意欲を失ってしまいます。そんな新しい

目的を的確に定め共有する。

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 基本的に私たちの生きる世界では「確立したもの」はありません。ですから、できるだけ既存の法則を用いようとします。しかし何にもわかっていない場合、もしくは何を目的とすればよいかわからない場合は結果すらろくに出せません。ですから結果を求める場合、目的を的確に定めることは重要です。そこで、ここでは目的の定め方や目的の誤った定め方、事例を述べ、誤った目的を持たずに生きる方法を考えます。 目的と終着点のバランス  目的を持って行動する場合、ある程度無駄を見越して行動する必要があります。目的の到達地点には安定を目的にする考え方と、自由を目的とする考え方とがあります。  安定を目的とする考えとしては、ある程度まで向上するのには貢献しますが、こだわりすぎると変わらず衰退します。昔の価値観を適用し、悪しき習慣の実践がなされ、押し付けがなれたりします。  自由を目的とする考えとしては、向上するのには向きませんが、こだわることで、変化を生み発展します。新しい価値観を生み出し、強制されることなく、生み出すことが可能です。  目的はこれらのバランスが良いことで成り立ちます。しかしバランスのとることを考えていたら本末転倒です。また、目的を遠くに定めている人が近くの目的しか定めていない人を見ると「その程度?」と残念に思えてしまうことがあります。人間関係を維持する上で相手との目的の共有を図ることが重要です。そのためには話をしましょう。 誤った目的を立てると  その目的の到達点の違いの例として「人間関係の構築方法」があります。仕事の継続にも影響することですが、これはどこにいっても必要です。そのなかで異業種交流会と、結婚相談所について書きます。  異業種交流会では「商売」を目的に定めた方がいます。目をギラギラさせて、がっつく傾向にあり、いちいち反応がわざとらしいです。MT車ならいきなり5速で走ろうとしている状態です。引きます。そこで目的を「友人作り」に置くと自然な人間関係の構築ができます。はじめにゆっくり、徐々に激しく交流するように加速を調整します。  結婚相談所では、あくまで「自分が幸せになること」を目的とする方がいます。相手の「年収」にこだわってしまい、すぐに金や仕事の話をします。これも

好き嫌いと実績とで採用方法を分ける

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 人にはいろいろな役割があります。それを見誤るとトラブルの元となります。ひとつとして使う側と使われる側とで役割の違いがあります。この認識は重要です。そこでここでは役割の違いについて採用方法を例にとり、その違いを考えます。私は使う側は好き嫌いで、使われる側は実績から採用するのがいいと思います。 企業の採用  採用は基本的にトップがします。しかし大きな会社では主に人事部がします。人事部は現場と関係のあること、意思疎通の取れていることが重要です。即ち「のりしろ」のような形であいまいな重なり合いを持つ必要があります。  こののりしろな関係を維持しながら、ミスマッチの少ない採用をする必要があります。採用方法には好き嫌いで判断する方法と、実績で判断する方法とがあります。 採用方法  二つあると思います。    ひとつは好き嫌いで判断する方法です。従来の採用方法の多くです。好き嫌い、直観に頼りに判断します。これまでの実績はともかく可能性を考えます。ですから合わないと停滞しますが、合えば伸びます。対等な考え方をもつ、経営者として採用する場合には向きます。  もうひとつは実績で判断する方法です。これまでしてきたことで活かせそうな部分を判断します。どこか優生学的な考え方があり、All or Nothingな考え方でもあります。採用側が「この程度」と推しはかっていることがあるのかもしれません。これには決めてかかることがあり、悪しきは悪し、蛙の子は蛙、とする部分があります。質問を一方的にしたり、高圧的な態度になりがちだと思います。手先として使える従業員を雇うのにはこれは向きます。  前者は使う立場としての社員をとることが出来、後者は使われる立場としての社員をとることが出来ます。割合は使う立場の社員≪使われる立場の社員です。 分断する  将来どのような形で社員や会社の成長をのぞむのかわかりませんが使う社員と使われる社員とは求められている部分が異なるため、それをどう組み合わせるかを考える必要があります。  ちなみに私は世の中や人間関係は好き嫌いで回ることを知っているので、好き嫌いで採用したりされたりするのが好きです。人間にはそれぞれの特異性があります。ですからそれを活かして採用するすことが重要です。

心の育成は周りの見守りで得たり

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 経営の目的は事業を回し続けることです。しかしその考えが行過ぎて売り上げを上げなければならないといった強制・強迫的な気持ちをもたれている方がいます。そのような強制・強迫的な考えをもたれている方は、いつか途中で限界が訪れます。そこで、途中の限界が訪れず、伸びつつけるにはどうしたらよいのでしょうか。対策のひとつに「心の育成」があります。そこでここではこの心の育成方法について述べたいと思います。 心の育成とは  心の育成とは私は(~を)「したい」を育てることだと思っています。この「したい」から行動を生み、行動をし続けます。すると行動に対する信用が得られ、最終的にお金を生むことが出来ます。 ざっくり手法  この「したい」を育成するためには、周りや本人が①終わりのあることを認識し②人の伸びうる要素を確認し、③行動を起こした際どのような気持になったかを知ります。経験を通して学び、責任をもつ、もってもらえるようになります。また、責任のもてる行動をとることで計画と経験との差を修正しどんどん良くなります。 具体的手法  具体的な対応として、周りは敢えて手を出さず何も関与しない、即ち 見守ること で本人が 身の程を知り ます(1)。その後 どうだった? どう思った? どうしたい? という言葉がけから新しい行動.(1)へ移行し、以後繰り返されます。するとどんどん良くなります。 心の育成とは逆のもの  したい気持ちとは逆に、ルールを作って縛り付けること、即ち行動を強制して守らせる方法もあります。しかしこれは売り上げを上げたり しなればならない 気持ちから恐怖心が芽生え、一時的に売り上げの向上は期待できるかもしれませんが、最終的には行動を抑制する気がします。 同じような例  過去に学校のテストにおいて「だめじゃないか」といわれ(強制され)続けたグループと「(結果はどうあれ)楽しみじゃないか」といわれ続けたグループとで時間経過におけるテストの平均点の結果を比較した実験がありました。  その実験の結果、最初は前者のほうが高得点を得ましたが、最終的に後者のほうが高得点となったことが知られています。これと同じことだろうなと思いました。 それを以下を読んで考えました。 小山昇 社長はなぜあなたを